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第37話

 その日は俺にとって、生涯忘れられぬ日となった。  デュフール公爵からの団長への攻め手は途絶え、また、カルメ公爵の俺への攻撃もこれといってない。精霊たちも穏やかで、俺になにかを伝えてくることもない。団長との関係も順調。だからすっかり油断していたのだ。  レオンに宝物殿の保管庫への立ち入りを許してから、五日が過ぎていた。  俺としては、その日のうちに見つけ出していなくなるものと思っていたから、五日かかっても見つけられないことが謎でしかなかった。  没ゲームはどのルートでも、レオンが隣国へ戻ることで終了となる。  だからレオンには一日も早く隣国へ戻ってもらい、ゲームを終了させてほしいのである。そうでないと安心できない。  俺は、少し手伝ってみるかと仕事の合間に宝物殿へ向かった。  宝が神殿にあるといっても当然俺の私物ではなく、国の所有物である。  しかし国王も王妃も存在を知らず、宝物殿の目録にも載っていないものなのだから、宝物殿からなくなっても構わぬだろうと俺の一存でレオンに譲ると約束した。あとで誰かに問われても、知らぬ存ぜぬで通せばよい。そう思っているので、神殿の視察係である団長に事情を知られるのはいささか不都合だ。  団長は全快し、すでに現場復帰しているが、神殿への視察には午前中早くに来たので、今日はもう来ない。宝探しを見咎められることはない。  レオンは今、保管庫にいるはずだった。毎日朝早くに来て、夕方帰っていく。昼食時は俺の執務室へ来て、俺と一緒に食べている。  神官は事務所の一角にある食堂で昼食をとる。俺もいつもはそこで食べ、神官たちと情報交換をするのだが、レオンが来てからは、多忙を理由に食事を執務室に運んでもらっている。二人分の食事を。  レオンが宝探しをしていることを広めたくないのでそのようにしたのだが、さすがに五日目ともなると神殿で働く者たちに、ちらほらと不審に思われている様子。  この五日間、団長は昼食時に来ていないので鉢合わせていない。しかし知られたらあらぬ疑いを持たれそうで嫌だ。そんな思惑もあって、早く帰ってほしい気持ちは日毎に増している。  保管庫を覘くと、レオンは奥のほうにいるのか見当たらない。 「レオン様?」  名を呼んでみると、奥からレオンが顔を覗かせた。 「主教様」 「手伝いに来てみましたよ」 「それは助かります。見つからなくて挫けそうになって、休憩していたところです」  保管庫には数千点の美術品が保管されている。目録に記帳されているものに関してはそれなりに整理されているものの、詳細不明なものも多く、そちらは雑多に置かれている。すべてが厳重に包まれているので、開封、梱包作業だけでも手間がかかりそうだ。これを一人で探すのは大変だろうと察せられた。  俺は早速、壁際に並ぶ棚に向かった。ペンダントだからさほど大きなものではない。小さなものに手を伸ばす。目録に載っているものは包みに番号が書かれているのだが、そうでないものは番号が記されていない。 「どのようなペンダントか、聞いていますか?」 「ええ。紫色の水晶が中央にあり、金の細工で飾られていると」  包みを開封していると、そこに影が落ちた。レオンが俺の背後に立ったのだ。  彼の両腕が、俺を囲むように棚に伸ばされた。背中に、彼の身体が触れる。 「主教様……」 「私に手を出そうとすると、近衛騎士団団長に殺されるという話はただの噂ではなく実話なのですが、レオン様の耳にはまだ届いていないのでしょうか」  冷静に告げた途端、腕も身体も離された。 「実話……?」  慄くような呟きは無視し、俺は手にしていた包みを戻した。中身は違うものだった。そして新たな品へ手を伸ばしたとき、大きな箱の後ろに、開封された箱があった。開封した包みを雑に梱包した感じが不自然だ。まるで隠すように置かれているのも。  俺はそれを手にとり、開けてみた。すると金の細工に紫色の水晶のついたペンダントが出てきた。 「わあ。それだ、あった」  レオンのセリフじみた声が嘘くさい。俺は振り返り、冷ややかな眼差しで彼を見上げた。 「なぜ、すでに見つけていたのに、見つかっていないふりをしていたのですか」  さすがに嘘を続ける気にはならなかったらしい。彼は目を泳がせつつ、言い訳した。 「せっかく主教と毎日会う口実ができたので……。本来戻る予定の日まではまだ期間があるし、もう少しあなたと仲良くなれるまで、黙っていてもいいかなと思ってしまいました」  彼のジャケットの内側に書物が入っているのが、袷から少し覗いていた。まさか、ペンダントを探しているふりをして、ここで本を読んで暇潰ししていたのか。 「隣国の皇太子があなたをいまいち信用しない理由は、そういうところですよ」  呆れて言ってやると、レオンがぎょっとしたように俺を見た。 「どうして信用されてないと…」 「宝を探しに行かせるなんて試されていること自体が、もうね。これを持っていったところで、皇太子の関心を得られると期待しないほうがいいですよ。これが本物でも偽物でも関係ない。浮気せず傍に居続けて誠実な態度を見せるほうが、信頼を勝ち得るはずです」 「…はい……」 「まあ、せっかく見つけたのだし、これは持っていってください」  俺は彼の手をとり、ペンダントを乗せた。 「本当に、いいんですか」 「ええ。このペンダントの存在なんて、私以外誰も知らない」 「ありがとうございます」 「さあ、早く皇太子の元へお戻りなさい。首尾は、お便りで知らせてくださいね」  彼を送りだし、俺は仕事へ戻った。  これでレオンが無事に旅立てば、没ゲームも終了。やっと肩の荷が下りたと安堵の吐息が漏れた。  夜まで仕事をこなして自宅へ戻ると、レオンの使いの者が来訪した。  昼間の謝礼ということで、四十センチ四方の木箱を家の中へ運び込まれた。使いが帰った後、持ちあげようとしたらずっしりと重量があった。容積のわりに重量のあるもの。それは中身を確かめるまでもない。とりあえずそれは放置し、夕食をとり、入浴を済ます。  落ち着いてから中を確認すると、装飾の優美な箱が入っていた。蓋を開けると予想通り金貨が詰まっている。今回の謝礼をしたためたメッセージカードも入っていた。カードは一読したら暖炉に入れて燃やした。  金銭は要求していなかったんだが貰えるものは貰っておこう。  この金は、当然裏金行きだった。正規の帳簿につけられるものではない。  金貨って重いし嵩張るから保管が厄介だよな。  えっちらおっちら居間に運び込むといったん床に下ろす。そして敷いてある絨毯を剥がし、壁際の床板を外す。床板は簡単に外せるようになっていて、その下の空間が裏金の隠し場所だ。過去の主教が施した目くらましの魔法がかけられているため、絨毯を剥がしたくらいでは見つからないようになっている。  しゃがんだ姿勢で、そこに金貨を移そうとしたときだった。 「不用心すぎて心配だな」  ふいに背後からかけられた声に、身体が強張った。 「男が簡単に忍び込める家に住まわせておくのは、恋人としては心配だ」  恐る恐る振り返ると、団長が立っていた。  息が止まった。 「…なぜ……」  なぜ、今ここに。まるで図ったように。 「先ほど、主教に贈り物が届いたとの知らせがあった。それで来てみたら、扉が開いていた。それだけのことだが」  俺とは対照的に、彼は落ち着いた様子で箱を一瞥する。 「それがデュフール公爵の息子から貰った謝礼金か。代わりにくれてやったものは、なんだ?」 「なに…を」 「この五日、宝物殿に入れてやっていただろう。昼間、あなたが出たあとに中を確かめたら、アクセサリーを包んでいたと思われる包みが落ちていたと聞いた。中身は空でな。レオン・デュフールは早々に隣国へ戻る手筈だったようだが、いま、国を出る前に足止めさせている。彼はかの国の皇太子に熱を上げているとか。主教は、我が国の国宝を隣国にくれてやったのか? 宝物殿のものを勝手に譲渡するのは重罪だぞ。しかも他国になど」  冷ややかな眼差しが俺を刺す。すべて筒抜けだったようだ。 「あなたが黙っていても、じき、レオン・デュフールが洗いざらい吐くだろう」  うかつだった。  団長の他にも神殿に敵の手の者が紛れ込んでいるだろうことは承知しており、以前から気をつけていた。それなのに。没ゲームという常にない事態に焦り、注意を怠っていた。 「なぜそんなことをした。それほど金が欲しかったか」 「違います」  レオンに渡したのは、金のためじゃない。  団長の命を助けるためだった。  ――なんて言ったところで、納得する者などいやしない。 「……元々、隣国のものだったんです。戦争のどさくさで盗んできたものを返しただけ。我が国の者は誰も覚えていないし有効に使えない品です」  こぶしを握り、力なく言いわけした。  諦めるには早すぎる。レオンにネックレスを渡したことは証拠不十分で、シラをきることは充分可能だった。相手が団長でなければ、俺は堂々ととぼけただろう。だがそうする考えは思い浮かばなかった。言い逃れたところで、それがどうなるというのか。どう転んだところで、この男との関係は終わりだ。  団長は初めから、俺の隙を窺って近づいてきただけだったのだ。好きでもなんでもなかったのだ。最初に思った通り、ただの策略。そう思ったらなにがどうなっても、どうでもよくなってしまった。あがく気力は残っていなかった。  団長の視線が床下の金貨の山に注がれる。 「…あとで裏帳簿を押収させてもらう」 「……」  部屋の照明に照らされたその横顔は硬い。 「主教。いますぐ辞職を促したい」 「……」 「もし拒むなら、逮捕後、陛下が主教を罷免することになる。となると、いま自主的に辞職しておいたほうがあなたや国教会にとって幾分いいかと思うが、いかがだろう。俺としては、どちらでもかまわないが」  俺は団長の冷徹な顔を見つめた。  言葉が出てこない。  カルメ公爵にしてやられた。彼の人選は間違っていなかった。  俺を再起不能なまでに叩き潰すには、団長は最適な男だった。  今朝までの甘い眼差し。嫉妬交じりの言葉。夜毎の情熱。あれらはすべて演技だったのか。  演技とは思えない。しかしそれを今更問うても、意味はなかった。  高潔な男には、俺の犯した犯罪は許しがたいだろう。必要悪などと言っても理解を得られると思えなかった。たとえ理解を得られたとしても、これを暴くことが彼の任務。見逃すわけがない。  俺の行為はただの国賊。なまじ聖者面していたせいで、よけい悪印象が強まっているはずだ。  俺は肩を落とし、長く細い息を吐いた。 「……わかりました。辞職しましょう」  声を掠らせ、そう言うしかなかった。  主教をやめ、国教会と無関係の身となってから逮捕となったほうが、退職金の受給資格等々、主教として逮捕されるよりもマシなのは確かだ。団長の恩情だろう。  主教職に未練はない。心残りがあるとすれば、この男との縁が切れたことのみ。  主教ではなくなった自分に彼が興味を示すとは思えない。今後、彼と関わることはない。元々関わりなどなかった。一度深く関わってしまったが故に手放し難いが、元に戻るだけなのだ。元の、嫌われている男に。 「ではこちらに署名を」  団長が一枚の紙をテーブルに置く。そんな用意までしてあるとは。  俺は促されるままにテーブルへ向かい、辞職の旨を書き記し、その下に名を署名した。  彼は俺から辞職届を受けとると、丁寧に確認して仕舞った。そして告げる。 「イヴォン・デュノア。この届を陛下が受理されれば、あなたは主教ではなくなる。そこで、近衛騎士団団長である俺は、あなたを騎士団に迎え入れ、副団長に任命する」  ……。  ……。  ん?  前半はいい。後半は、なんと言った? 「…はい?」  告げられた内容が突飛すぎて、すぐに理解できなかった。  騎士団の副団長?  主教の俺を?  逮捕するんじゃないのか? 「今後は俺の管理下におく。拒否は、許さない。できないはずだ。もし拒むなら、あなたを窃盗の罪で逮捕する」 「は……? 拒むなら…? じゃあ…拒まなかったら…?」 「この金はあなたが主教として正当に受けとった給料で、コツコツ貯めてきた床下貯金を俺は見せてもらっただけ。俺は宝物殿の管理物なんて知らないし、レオン・デュフールとも神殿では会っていない」 「いや……え……?」  理解が進まない。俺を失脚させ、騎士団へ入れようとしている。それはわかるが、その意図は。  馬鹿みたいに呆けた顔をして、団長の瞳を見つめてしまった。 「……騎士団入りに承諾したら、犯罪を見逃すってこと……?」 「そういうことだ」 「どうして……?」 「あなたを正攻法で攻めても、得られるのは一時の気まぐれな好意だけ。神殿の視察期間が過ぎたらそれもきっと終わる。たとえ悪辣だとしても、もう一手詰めないと、遠征時の繰り返しになると思った。いま、ようやく弱味を握ったのだから、これを利用しない手はない。あなたの罪を枷に、一生、俺に縛りつける」 「……」 「これは脅迫だ。あなたに逃げ道はない」  彼の表情は変わらない。淡々と、冷徹に告げる。しかしその瞳の奥には、見知った熱があった。 「あなたは俺を、真面目なだけの男と思っているだろう。これでも多少の駆け引きくらいはできる」  俺は目を瞠った。  質実剛健、実直で裏のある相手を嫌う。それが周囲に抱かせる彼の人柄だ。その仮面を、彼は自ら外して見せたのだった。なりふり構わず、俺を脅迫してでも手に入れたいと、そう告げていた。 「…国の宝を隣国に勝手に渡すような男を、近衛騎士団に? 本気で?」 「だから、俺はそんな話は知らない。入団するならな。それに、いつか本当のことを教えてくれたらいい」  事情があることは察しているらしい。 「副団長――ロジュじゃなくアドルフ――デュフール公爵の息がかかったほうの奴を罷免したんで、席が一つ空いていてな。副団長ならば部下を護衛として連れて歩けるぞ。仕事内容は俺の事務補助で、社交の必要もない。悪い話じゃないだろう? ああ、それから地方騎士団が領主との次年度の契約をする際、孤児院の費用も交渉するよう通達しておく」  転職にデメリットがないことを説明される。  正直俺は、神官になったことを後悔していた。  神殿では魔法を推奨されていない。  特殊な魔法を使えるから神官に勧誘されたのに、神殿では魔法を使わないという矛盾には、入った直後に気づいた。神殿の権威付け。それと、特異な才能を封じ込む目的。太陽神や国王よりも人心を集められるような能力者は、新教を興し、国の安寧を覆しかねない。そんな意図があるのだろう。  国教会に目をつけられてしまったあとでは、やり直しはきかないと諦めていたが。  こんな俺が、騎士団に入れるのか。もし本当に騎士団に入れるのなら、今よりずっと、俺の能力が役に立ちそうではある。  副団長……。  事務補助で、社交の必要もない。  いいかもしれない。  そう思ったら肩から力が抜け、笑えてきた。 「…犯罪を知りながら黙っていたことがばれたら団長も罪を負うことになるのはわかっていますよね」 「望むところだ。共に縛りあえる」 「……」  べつに、こんな真似をしなくても団長から離れるつもりは――いや、彼に不利益になるような問題が生じた場合、そうとも限らないか。    普通に騎士団に誘われても断っただろうし。  しかし、だからといって。  呆れた気分で目の前の男を見上げる。  彼は今、俺の前で取り繕っていない。脅迫と言いながら必死に口説いて、全力で俺を囲い込もうとしている。その情熱に胸が高揚した。  そちらがそう来るならば。俺も取り繕うのはやめよう。 「ハア……いや、まったく、とんでもない」  俺は目を細め、口調を砕けたものにした。 「面白いことを考えたな。犯罪を犯した主教を副団長にスカウトとは大胆過ぎる。しかも俺の逃げ場を塞いで」  俺の変化に団長が瞬いた。それからニヤリと笑う。 「話し方が変わると、だいぶ印象が変わるな」 「久しぶりにこんな話し方をした。嫌かな?」 「いや。嫌ではないな」  団長が膝をつき、俺の顎を捕らえる。 「それで、返事は」 「逃げ道はないんだろう。じゃあ、副団長になるしかないじゃないか」 「決まりだな」 「本当に、不正をするような男を副団長に迎えていいのか?」 「ぜひ欲しいな」  何でもないことのように答えられてしまった。それにより、この男に不正を知られることを怯えていた自分の愚かさを知った。  それはそうか。清廉潔白なだけの男に近衛騎士団団長や名門侯爵家当主が務まるわけがなかったのだ。 「王宮中がアッと驚くだろうな。一人でまともに馬にも乗れない副団長なんて、前代未聞だ」 「ああ……そうだったな。馬の問題があるな」  彼が顔をしかめた。その顔を見て、俺は笑った。 「よく訓練された馬で、平坦な道を歩かせるくらいはできるんだけどな。剣も使えない。練習は、つきあってくれるだろう?」 「無論」  俺は彼の首へ腕をまわした。 「想像しただけでゾクゾクする。転職がこんなに愉快な気分になるとは」 「それはなによりだ」  団長が顔を寄せる。  唇が重なると同時に後頭部と腰を抱き寄せられ、深いくちづけとなる。

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