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唇の表面を撫でる幸の指。温かくも冷たくもないそれは、端にたどり着いたところで離れていった。
「どしたん?歩」
俺に触れていた幸の指を止めたのは歩だった。幸の手首を掴み上げ、呆れたような顔をしている。
「目の前で男と男がイチャついてんの見たくねぇんだけど。暑苦しいしウザい」
「イチャつくって、ちょっと触っただけやん。こんなんがイチャイチャなるんやったら、チューはどないなるん」
「友達同士で口なんか触るか?俺は触られるのも、触るのも嫌だし見るのも嫌」
「ああ……確かに言われてみれば。俺も触られたくないかも。でもほら、相手はうさまるやから」
「どう見たって慧も男だろ。ってか行くなら早く行け」
ごめんな、せやな、と軽く笑った幸に俺は首を振って応えた。下手に口を開いてしまったら余計なことを言ってしまいそうで、素直にそれを閉ざす。
視線だけで歩に礼を言って後ずさると、靴を脱いだ歩が俺の隣に並んだ。
「な、なんだよ」
噛みそうになりながらも言った俺に、歩は視線をそらさず返してくる。
「あ?別に」
威圧感たっぷりに睨まれている気がするのは、多分気のせいじゃない。この後、歩に怒られるのは決定だ。そこに俺の意思は関係ない。やると口に出しては言わないけど、言わなくてもやる男、それが歩だ。
「歩はうさまるの保護者か何かなん?その睨んでる顔めっちゃ怖いんやけど」
「こんなやつの保護者になるくらいなら、その辺の野良犬の保護者になる」
「そう言う割にはガチで睨んでくるやん……俺はただ、さっき来てた人と何かあったんちゃうかなぁって心配しただけやのに」
さっき来てた人。その言葉に大げさに反応した俺を、歩が横目で見たのを感じた。歩と拓海以外で、この家を訪れるやつなんて1人しかいないからだ。
「さっきの人って、あいつ?」
歩の質問に小さく頷くと呆れた顔でため息をつかれる。この短時間で何回、俺は歩にこの目で見られたのか、もうわかんない。
「うさまるは喧嘩してへんって言ってたけど、実はちょいちょい声聞こえててん。なんやリカちゃんが~とか、断った~とかフラれた~とか」
はいアウトーって心の中の俺が叫んだ。内なる俺の声は俺にしか聞こえないけれど、同じことを考えたのか歩の舌打ちの音が聞こえる。俺にだけ聞こえる小さな音で、でもめちゃくちゃ存在感のある音。この後の超絶怒られ反省会が、より激しいものに進化した気がする。
「慧……お前なぁ。だから油断すんなって言っただろ。面倒なやつに聞かれてんじゃねぇよ」
幸には聞こえない声で言われて、うっと息が詰まる。
「だって。あいつが、リカちゃんが勝手に来ただけだし。俺からは呼んではないし」
「名前を出すなバカウサギ。とりあえず何を言われても適当にごまかせ」
ここからは協力プレイで幸をごまかすのだと、俺と歩は揃って正面を向く。
「喧嘩はしてないから大丈夫。幸が気にすることじゃない」
「慧がこう言ってんだから早く行け」
話を切り上げるための協力プレイに、幸が「うさまる」と俺だけを呼んだ。身体を屈めて同じ高さで合わさる視線が、まっすぐに俺を射す。
「俺、浮気相手が乗りこんできたんかと思ってん」
「浮気相手?」
「うさまるの彼女の。リカちゃんって言ってたから、2人で取り合いしてるんかと思ってんけど、その様子やったらほんまに違うみたいやな」
今度こそ納得した幸がやっと部屋を出て行く。扉が閉まる瞬間まで振り返って手を振り、にっこりと笑って廊下に消える。
──けれど、ダンジョンはまだ終わっていない。強敵を1人やっつけた後には、さらなる強敵が待っている……ってのは、避けては通れない定番だ。
その証拠に、廊下の先のリビングから俺を呼ぶ声が聞こえた気がしたようなしないような……。
「そこのバカ、さっさと戻って来い。5秒以内に来ないと、お前が数学の小テストで10点だったこと兄貴にバラす」
ほらな。でも、せっかくだから歩に教えてやりたい。
リカちゃんは俺のテストの点数は全部把握してるってな。あいつの粘着質をなめんな。10点をとったその日に、俺は死ぬほどの説教をくらったんだから。
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