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一歩前ヘススム 第5話

 夕刻を過ぎ、夜の時間帯になってしまったが、二人の時間はこれから始まる。明日のお昼まで希を預かってもらえるので、それまではフリータイムだ。  せっかくだから美味しい店でディナーを――そう雅之は考えていたけれど、今日は家でゆっくり過ごしたい、という淳のおねだりを聞いて、デパ地下へ方向転換した。  いつもは遠慮がちなところがあるので、時折こうして素直に甘えてくれるのがひどく可愛い。かくいう雅之も、早く二人きりになりたいと思っていた。  早く抱きしめてたくさんキスがしたい。できるならいますぐ隣り合った手も握りたい。  それはまるで思春期の、恋を覚えたばかりの少年のようだ。だが実際の思春期の頃は、こんなに胸が騒ぐことがあっただろうかと考えてしまう。  人並みに恋をしてきたはずなのに、いまの雅之にはその欠片さえも思い出せない。 「これだけで足りるかな?」 「だいぶ買いましたよ。雅之さんってちょっとをたくさんってタイプですよね」  昼間に活用した保冷バッグの中には、小さなパックに入った惣菜があれこれと詰め込まれている。一見多いように見えるが、成人男性二人ならば、おそらくあっという間だ。  お酒も買って帰ろうと話していたので、夕食兼つまみ。  ならばこの辺でやめておくかと、雅之はバッグの口を閉めて、財布をしまった。 「ああ、品数が多いと希も喜ぶし。たくさん作ってストックしておくと、のちのち便利だからね」 「それをできるのって結構すごいんですよ。希くんくらいの歳は、まだそんなにたくさん食べられないから、ほんとにちょっとずつですよね。ベテランのママさんでも大変だって言いますよ」 「ほら、いまは時短レシピとかで、電子レンジが大活躍だから」  元より雅之は料理をするほうではあったが、希と二人暮らしになってから、積極的に母親に習うようになった。  数あるレシピ本も、彼女からおすすめされたものだ。  おかげで高遠家の冷蔵庫は、常備菜と小分けに冷凍した品でいっぱいになっている。  結婚していた時でさえ、こんなにたくさん入っていたことはない。 「よし、食料はこれでいいか。なにか映画でも借りていこうか?」 「いいですね。そういえばこのあいだ貸した小説の映画が、レンタル開始になったみたいです」 「あ、あれすごく面白かったよ」  淳と歳が離れているわりに、雅之が会話に困らないのは、趣味が似通っているからだろう。読む本や観るドラマや映画、話してみると被っているものが多かった。  最近ではお互い、まだ触れたことのない作品を貸し借りしている。  いま話題に上がったのはファンタジー作品で、なかなかの巻数が発行されているのだが、休憩時間や一人時間に読みふけり、読破したところだった。 「あれ、もうこんな時間か。遅い時間になっちゃったね」 「今日も一日が早いですね」 「ほんと淳くんとの時間は貴重だな」 「え? 大げさですよ」  レンタルビデオ店に寄って、酒を買い込んだ頃には十九時を回っていた。朝から動いているのに、時間が溶けてなくなったかのような気になる。  淳と一緒にいられるのも、あと半日ちょっと、そう思ったら名残惜しささえ感じた。 「この辺りっていつも静かですよね」 「そうだね。一軒家やファミリータイプのマンションが多いからか、暗くなるとひと気が少ないかも」  のんびりとマンションへの道を歩くと、自転車が時折、傍を通り過ぎていく程度で、すれ違う人は少なかった。 「昼間は暖かいけど、夜になるとまだ涼しいね」 「ですね。少し肌寒いくらい」 「大丈夫? 上着を持ってきたら良かったね」 「大丈夫です。でも、ちょっとだけ」 「えっ? あっ、あんまり可愛いことされると、送り狼になりそうなんだけど」  ふいに周りを見回した淳は、なにかを確認すると、一歩足を踏みだし、肩が触れるほどの距離まで近づく。そしてあったかいですね、と照れくさそうに小さく笑った。  その顔があまりにも無邪気で、雅之の胸はぎこちないような忙しないような、妙な動悸を覚える。  おかしな音を立てる胸に手を当て、思わず息をついてしまった。 「淳くん、あとちょっとだよ」 「はい。……んふふ」 「どうしたの?」 「なんだか、幸せだなぁって噛みしめちゃいました」 「また、そういう可愛いことを」 「だって夢みたいです」  小さく含み笑いした淳は、珍しく肩にすり寄ってくる。そのぬくもりがやけに愛おしくて、雅之が隣り合った彼の手に手を伸ばせば、きゅっと小さく指先を握られた。  すると胸が再び慌ただしい音を立て始める。  気づいた時には淳の手をきつく握りしめて、足早に歩き出していた。それに驚いた反応が返ってくるけれど、雅之はただまっすぐに家へと急いだ。  部屋の前にたどり着くまで、五分くらいだったと思う。その途中、人とすれ違った気もするが、記憶が定かではない。  押し込むように鍵を挿し入れて、扉の向こうへ飛び込んだあとは、彼を強く抱きしめた。  そうして淳の体温を感じて、柔らかな優しい香りを嗅ぐと、少しばかり急いた気持ちがなだめすかされる。  首筋に鼻先を押し当てて深呼吸したら、伸びてきた手に背中を抱きしめ返された。 「ああ、やっと抱きしめられた、って感じがする」 「昨日は、ちょっと……お預けだったので、俺もそわそわしちゃいました」 「じゃあまずは、一緒にお風呂でも入ろうか。それからご飯食べて映画見て」 「そのあとは、いっぱいしてくれますか?」 「その上目遣い、すごく可愛いね」  ちらりと持ち上げられた目に、ほのかに熱が灯っていて、胸を鷲掴まれるような心地になる。  雅之が頬を撫でると、瞬いたまぶたがゆっくりと閉じられていき、それに誘われるままに唇を寄せて、薄く開いた隙間に滑り込んだ。 「ん、……んっ」  絡みついてくる舌を撫で上げれば、背中を握る手に力がこもる。さらに深く押し入ると、肩を震わせて小さな甘い声をこぼす。  その手の感触に、その声に、身震いするような、身体も心も揺さぶられる感覚がした。 「淳くん」  二人分の唾液がこぼれて、二人の呼気が混じる。雅之はいつの間にか、追い詰めるみたいに、淳の身体を玄関扉に縫い付けていた。  握った手のぬくもりに、ふつふつと熱が湧き上がる。 「ぁっ、まさ、ゆき、さ……んっ」  少しひんやりとした身体。シャツの隙間から手を差し入れて、雅之はそこに熱を移していく。  触れるたびに上がる体温で、肌がしっとりと汗ばみ、指先に吸いつくような感触がした。立ち上る香りがムスクのようで、衝動が止まらず、首元に歯を立ててしまった。 「ぁ、ぁっ、駄目……なんだか、変」 「ごめん。痛かった?」 「ち、違います」  思いのほか強く噛みついてしまったようで、鎖骨に赤い歯形が残った。それを雅之が指先でなぞると、淳の肩が大きく跳ね上がる。 「やっぱり、痛む?」 「そ、そうじゃなくて」 「ん?」 「なんかゾクゾクして、気持ち良くなっちゃって」  言葉を紡ぐたびに頬が真っ赤に染まって、それに雅之が驚きをあらわにすれば、茹で上がったように肌まで朱に染まった。  さらにはしどろもどろにごめんなさい、などと呟くものだから、理性がぷつりと焼き切れる。 「だ、だめっ、触ったら、すぐ出ちゃう」  乱雑にベルトに手をかけて、デニムのファスナーを引き下ろした。そしてその奥へ手を突っ込むと、びっしょりと濡れた感触がする。  糸を引くようなぬめりに、雅之の口の端が持ち上がった。  身をよじって逃げようとする身体を押さえ込んで、快感を引き出すように手を動かせば、か細い声が切羽詰まったように漏れ聞こえる。 「あっ、ぁっ、やっ……雅之さんっ、イっちゃう、イっちゃう」 「いいよ、いっぱい出して。……でもちょっと声、響いちゃうから」 「ん、んぅっ」  もっと可愛い声を聞いていたいところだが、扉一枚ではさすがに通りすがりに声を聞かれかねない。それでも追い詰めるみたいに、激しく手の内にある熱を扱いていく。  それはいつもより過ぎる快感なのか、次第に淳はボタボタと涙をこぼし始める。  しかしその様子が可哀想だと思うのに、手を止めることができなかった。ビクビクと震えた熱は、雅之の手の中にたっぷりと欲を吐き出す。 「はあ、すごい。いっぱい出たね。またヒクヒクしてる」 「あっ……まだ、止まんない。気持ちいいの、んんっ」 「もう一回、イク?」 「……雅之さんのも」 「うん」  震える指先が、スラックスのファスナーをじりじりと引き下ろしていく。もどかしいくらいの緩慢さに、手を取りたくなるけれど、熱に浮かされた目を見ると快感が増した。  ようやく取りだしたものに、うっとりとする淳は愛おしげに触れてくる。  その様子に我慢がならず、雅之が早く――と耳元に囁けば、おずおずと腰を寄せてきた。拙い動きだが、熱い息を吐きながら腰をくねらせる姿だけで、達してしまいそうになる。 「今日の淳くん、すごくやらしくて可愛い」 「んっ、んっ」  自分の声を塞ぐみたいに、ぐいぐいと唇を押し当ててくるそれは幼さを感じるのに、目の前の艶っぽさに息を飲む。  今夜は寝かせてあげられないかもしれない、そんなことを考える自分に、雅之はひどく呆れた気持ちになった。

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