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第11話 日常(4)

「手を放せ。ちゃんと傘を差すから」 「駄目、宏武。ほら、髪も濡れてる」  肩を抱いていた手が、ほんの少し濡れた毛先をすくった。耳の際にある後れ毛が、風に流れた雨で濡れたのだろう。  これは不可抗力だと言いたいところだが、リュウの顔を見れば眉間にしわを寄せて難しい顔をしている。  あまりにも真剣な顔をしているので、思わず吹き出すように笑ってしまった。けれどいきなり笑われた意味がわからないのか、彼は難しい顔をしたまま首を傾げる。  その表情がますます自分のツボにはまり、肩を震わせて笑いをこらえてしまう。  彼は感情表現まで素直だ。くるくると変わる表情は、見ていて飽きない。そう、たとえるなら小さな子供のようだ。  笑ったり拗ねたり怒ったり、見ただけで彼の心の内が手に取るようにわかる。裏表がなくてすごく正直なのだ。  そんな彼の傍にいると、毒気を抜かれてこちらまで素直な気持ちになってくる。意地を張ったり、自分を誤魔化したりすることが、なんだか恥ずかしくなってしまう。 「早く家に帰ろう。夕飯楽しみにしてるんだ」 「う、うん」  傘をまっすぐと持ち、少し彼のほうへ身体を寄せると、目をぱちくりとさせて驚きをあらわにする。急に態度を変えたので、戸惑っているのだろう。  そんなリュウの表情が、なんだか可愛くて、つい口元が緩んでしまった。  彼の傍にいると、本当に気持ちが穏やかになる。憂鬱な気分が紛れて、少し足取りも軽くなった気がした。 「宏武、笑うと可愛いね」 「は? なに言ってるんだ。あんたのほうがよっぽど可愛いよ」 「そんなことないよ」  可愛いよ――甘やかに耳元で囁かれて、不覚にも頬が熱くなってしまった。彼は姿形ばかりではなく、性格もよく、言葉を紡ぎ出す声もいい。  こんなにも優れたものばかり持ち合わせて、欠点というものはないのだろうか。  まるで神に祝福された子のようだ。それゆえにこんなにも眩しいのだろうか。  人が聞いたら、大げさだと言いそうなことを考えて、彼の横顔を見つめた。

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