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2-14 失念

雪兎と慶司の前には、コーヒーが出された。 二人がひと息つくのを待って、冬兎が訊ねる。 「雪お兄ちゃんと慶司さんも、獅紀に会いに来たの? お母さんから連絡行った?」 「いや、羊子さんから連絡は頂いたが、目的はそっち。姉の方の藤山をな、引き取ってくれ、だと」 「美亜は慶司さんの言う事ならちゃんと聞くからね。でも、獅紀君にも会いたかったよ。可愛い冬を預けるに値する相手かどうか、自分の目で見極めないと安心できないからね」 害の無さそうな笑顔で、辛辣なことを口にする。 冬兎の叔父、一筋縄では行かなそうだ。 美亜がじとりとした視線を母親へ向けると、羊子はわざとらしく鳴らない口笛を吹いた。 「でも、姉さんが認めてるなら、安心かな」 「うん!」 冬兎が嬉しそうに腕に抱き着くと、雪兎は温かい眼差しを向けそのふわふわの髪を優しく撫でた。 まるで讃美歌が聴こえてくるようだ、と獅紀は思った。 勿論、惚れた者の欲目だ。 一枚の絵画に見えた。 あたかも、大天使と天使が戯れているように……… 同じくそんなことを思っている慶司も惚れた欲目で、羊子に至っては腐女子フィルターが作動し、恋人たちに見惚れる攻めの二人込みで萌えてしまっている。 そんな中、一人冷静な美亜だけは、三人のポーッと惚けた表情に、心の中でケッ…と唾を吐き掛けた。 一方、クリスを追いかけていった一狼は……… 時は少々遡り。 エレベーターが1階へ向かっているのを確認すると、一狼は階段を使って後を追った。 慌てて外に出た時には、意外にも俊敏な動きを見せたクリスはもう近くには見当たらず、「帰る」と口にしていたことを思い出した一狼は取りあえず駅へと向かって走り出した。 猛ダッシュで走っているうち、クリスとすれ違わないままに駅まで来てしまった。 体力には自信がある。足の速さもクリスには劣らない。どころか、鈍足に属すクリスと俊足に属す一狼では、歩いて15分ほど掛かる駅までの道のりで追い付けないなどあり得ない話だ。 ───どこかで追い越したか? 懸命に走っている間にその姿を見落としてしまったのかも知れない。 一狼は軽く走りながら、冬兎の家へ戻ることにした。 ……そう言えば、早く追いつかなければと最短の道を選んでしまったが、四人で歩いたのは公園の中を通る道だった。 初めて冬兎の家を訪れたクリスは、その道しか分からないのではないだろうか。 慌てていた為、すっかり失念していた。 羊子が恐ろしくて、委縮していた所為もあるかもしれない。 一狼は進路を変え、公園へと足を向けた。

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