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84 雪

   カンダラが去った数時間後、昼過ぎに出発した。雄一郎たちに加えて、エリザとエリザの二人の部下がともにシャルロッタへと向かう。  エリザの二人の部下は、これまた少女と言っても過言ではないほど幼く愛らしい見た目をしていた。だが、チェト曰く「あの二人は、ここ数十年見た目が変わっていませんが、売娼たちの中では古参の部類に入りますよ」とのことだった。だが、何度見ても、雄一郎にはその二人は十代前半の少女たちにしか見えなかった。  更に、後から聞いて驚いたが、そのうちの一人は女性ですらなく、とっくに成人した男性ということだった。だが、よく考えれば女性と男性の垣根が曖昧なこの世界では、女性だとか男性だとかいう区別は必要ないのかもしれない。  エリザも二人の部下も、ショートドレスの下に厚手のズボンと動きやすそうなブーツを履いている。そして、それはノアも同じくだった。 「段々慣れて、動きやすくなってきたよ」  誇らしげに言って、ふわふわなスカートの裾を翻しながら身軽に動く。  シャルロッタまでの道のりの中程までは、馬車で向かった。だが、途中からは傾斜のある岩山になるため、馬車を降り、徒歩へと変わる。岩ばかりが転がる殺伐とした岩山を登り始めて、すぐに身震いするような寒さが襲ってきた。 「随分と冷えるな」  呟いた言葉に、外套の前を掻き合わせながらテメレアが答える。 「山の上は、もっと冷えます。ゴルダールは基本山岳地帯の国ですから、国土のほとんどが年中凍えるような寒さです」  白い息を吐き出しながら、そうか、と短く相槌を返す。更に数時間登ったところで、空からふわふわと白いものが降ってきた。 「雪だ」 「ユキ?」  雪はチューニングが合っていないのか、テメレアが首を傾げる。雪を指さしてこれは何と言うんだと訊ねると、テメレアが答えた。 「セッキです」 「セッキ」  オウム返しに呟いて、雪を受けとめるように緩く手のひらを差し出す。それと同時にノアが弾んだ声をあげた。 「セッキなんて初めて見たよ」 「ジュエルドでは、雪……セッキは降らないのか?」 「一部では降ることもありますが、滅多なことではありませんね。ゴルダールでは年中セッキが降り積もっている場所もありますが、ジュエルドではセッキが積もることはほとんどありません」 「雄一郎の世界では、たくさん降るの?」  ノアが振り返って訊ねてくる。その問い掛けに、雄一郎は思い返すように視線を宙へと浮かべた。 「たまにだが積もることもあったな。一回あんまりにも降るもんだから、シロップをかけて食ってやったな」  それは、確か北海道に演習に行った時の記憶だ。まだ二十代前半で、若くて後先考えない頃のバカな思い出。  同じ班の同期が意気揚々と買ってきたかき氷のシロップを、新雪に直接かけて食ったことを思い出す。白い雪の上に、赤や緑、黄色や青のシロップをぶちまけて、その色の鮮やかさごと甘ったるい味を頬張った。勿論結果は班全員が腹を壊して、長々と反省文を書かされる羽目になったが。 「シロップを? それ、おいしいの?」  ノアが不思議そうに訊ねてくる。同様にテメレアもどこか理解できないように首を斜めに傾げていた。 「まぁ、うまいな」 「ふぅん。じゃあ、いつか一緒に食べようよ」  無邪気に『いつか』などと口に出す。その『いつか』が来ることを疑っていないノアの言葉に、雄一郎は曖昧に笑った。 「いつかな」  そう答えると、ノアは嬉しそうに微笑んだ。寒さのせいで、その頬が赤く染まっている。その後ろで、テメレアはただ口をつぐんでいた。どこか寂しげにも見える眼差しで、雄一郎を見つめている。  二人の男の眼差しを振り払うように、雄一郎はまっすぐ頭上を見上げた。灰色の地面、灰色の岩壁、灰色の空がどこまでも広がっている。その中で、降り注ぐ雪だけが眩しいくらい白かった。  一日でシャルロッタへと辿り着くことはできず、晩は山道の途中に作られていた山小屋で一夜を明かした。  エリザたちも毎回シャルロッタへ向かう際は、この山小屋を使っているということだった。そのおかげか、山小屋の中は、想像よりもずっと綺麗で、それなりに広かった。それでも九人の人間がいれば、広々とは使えなかったが、窮屈とは思わなかった。  エリザの二人の部下が温かいスープを作った。ぶつ切りの野菜を入れた、塩味のきいたスープだ。 「有り難う。美味いな」  そう声をかけると、二人の部下は目を細めて微笑んだ。その落ち着いた表情は、確かに重ねられた年齢を感じさせる柔らかなものだった。  少ない食事をとった後は、見張りを立てて眠ることにした。テメレアとキキは、陛下や女神様を他の民間人と一緒に寝させるなんて……と一瞬渋ったが、当の本人であるノアと雄一郎が気にする様子もなかったので、結局それ以上は何も言わなかった。  少しだけ埃の匂いのする毛布をかぶって眠る。外からは風が吹きすさぶ音が聞こえてきた。  目を閉じてすぐ、背後から抱き締められた。テメレアの長い髪が首筋に触れている。その直後、今度は前から腰を抱く腕を感じた。見なくてもノアだと分かる。  こいつらは……と呆れた感情がかすかにわき上がったが、ゆっくりと浸み込んでくる二つの体温にあらがいがたい眠気が襲ってきた。目を閉じると、すぐさま意識が暗闇へと飲み込まれていった。 ***  オズが目の前に立っているのを見て、またいつもの夢だと気付いた。手榴弾でズタズタに切り裂かれたオズの顔面やはらわたを見るのも、もう慣れたものだ。  今度の夢は、過去の追体験というわけではなさそうだった。真っ暗な世界には、ぽつんとオズが立ち尽くしているだけで、他には何も見えない。オズは何も言わず、ピクリとも動かず、ただじっと雄一郎を凝視している。 「いい加減、俺の夢に出てくるな。俺のせいで死んだと恨み言でも言いたいのか」  雄一郎を守るために手榴弾に覆い被さったことに対する恨み言なら、そうはっきり言えばいい。問い掛けると、わずかな沈黙の後、オズの唇がかすかに動いた。 「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある」 「は?」 「神を愛する人々、すなわち、神の計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っている」  まるで壊れたロボットのように聖書の言葉を棒読みするオズの姿に、雄一郎は目を丸くした。 「何を言ってる」 「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」  何だこのひどい夢は。神を信じていないのに、なぜ神の言葉を延々と聞き続けなければならないのか。 「やめろ、俺は神に祈らない」  首を左右に打ち振りながら呟く。すると、微動だにしなかったオズが緩く口元に笑みを浮かべた。以前見たときと同じ、子供でも見つめるような慈愛じみた眼差しを雄一郎へと向けてくる。 「なぁ、金は美味いか」 「何?」 「金は美しいか」  以前オズに聞かれたのと同じ問い掛けだと思った。雄一郎が唖然としていると、オズがゆっくりとした足取りで近付いてきた。歩く度に、オズの腹から飛び出したはらわたが血を滴らせながらぶらぶらと揺れていた。 「ユーイチロー」  気が付いたら、息が触れるほど近くにオズの顔があった。大きく裂けた右頬がびらんと顎まで垂れ下がっている。ふわり、と深い血臭が鼻先まで漂ってきた。 「きみは何のために戦う」  問い掛けに、雄一郎は言葉を失った。  その瞬間、不意に耳元でつんざくような声が聞こえた。 「敵襲!」

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