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第4話

 イタリア男の――というより、ロベルト・ルスカの情熱を甘く見ていた。  講義の最中、学生たちの意見のやり取りを眺めながら、イスに腰掛けて足を組んだジェイミーは、内心ため息を吐きたい心境だった。  ロベルトと携帯電話の番号を交換して一週間が経った、その間毎日、ロベルトから電話がかかってくる。しかも、一回や二回という可愛いものではない。  朝はモーニングコールに始まり、昼間はランチ、夕方は夕食、夜は飲みに、と誘ってくるのだ。  誘い方はスマートでも、こうも電話がかかってくるとさすがに腹が立ってくる。  寝る間際に、おやすみ、と言うためだけに電話がかかってくるので、このとき文句を言おうとすると、気勢を削ぐように甘く囁かれるのだ。 『一声でも多く、ジェイミーの声を聞くためなら、俺は貪欲で図々しい男に変われるんだよ』  初めてこの言葉を聞いたときは、さすがのジェイミーもベッドに顔を突っ伏してしまった。そして痛感した。  この男は手ごわい、と。  腕時計に視線を落とすと、そろそろ講義は終了だ。同時にそれは、ロベルトからの電話がかかってくるのを意味している。  一週間もの間、不本意ながらロベルトと連絡を取り合っていると、ロベルトのほうがジェイミーのタイムスケジュールを把握してしまったのだ。 「……あいつは、他にやることがないのか」  学生たちの前で、思わず憮然とした声で独りごちてしまう。チラチラと学生たちがこちらを見たが、アイスブルーの瞳の冷たい輝きに、誰もがすぐに視線を逸らす。  ジェイミーの冷たい瞳をきれいだと言うのは、ロベルトぐらいだ。たいていの人間は、澄みすぎた青を怖がる。  案外ロベルトは、マゾかもしれない。  ふとそんなことを考え、自分の考えのおかしさに、ジェイミーは唇に薄い笑みを浮かべる。  講義を終え、ジェイミーが教室を出て廊下を歩いていると、ジャケットのポケットの中で携帯電話が震える。  取り出すと、案の定、ロベルトからだった。 「何か用か」  素っ気ない受け答えはいつものことだ。電話の向こうでロベルトが、微かな笑い声を洩らしたのを聞いた。 『ジェイミーの冷たい声は、何度聞いても素敵だね』 「……褒めているようで、わたしをけなしているだろう、お前」 『まさか。ジェイミーには、褒め称えるところはあっても、けなすようなところはないよ。まさしく、美の女神が作り上げた完璧な芸術だよ』  聞いていて耳がむず痒くなってくる。 「用があるなら、さっさと言え」 『ランチがおいしい店を見つけたんだ。今、大学の前まで来ているから、一緒にどう?』  いつもならここで、飛び回ってうるさいだけのハエを叩き落すがごとく、容赦なく断って電話を切るジェイミーだが、寸前までロベルトのことを考え、少しばかり機嫌がよかったせいもあって、こう答えた。 「わたしは舌が肥えているぞ」  数秒、ロベルトが沈黙する。ジェイミーの言葉を頭の中で反芻した時間らしい。 『……それってつまり、一緒に食事してくれるってこと?』 「わたしは、理解力に欠ける人間は嫌いだ」  次の瞬間、電話の向こうから大げさな歓声が聞こえてくる。静かになるのをじっと待っていたジェイミーだが、あまりにいつまでも喜び続けるので、イライラしてつい怒鳴っていた。 「うるさいっ」  廊下を歩いていた学生や職員たちが、何事かとジェイミーに注目する。それらを無視して足早に歩く。一方のロベルトは軽い笑い声を上げる。 『ごめん、ごめん。嬉しくてさ。こんなに興奮したのは、久しぶりだよ』  うそを言うな、という指摘するのも億劫だ。 『ならこれから出てきてよ。裏門……なのかな、その近くに車を停めてあるから』  わかった、と応じて、余計な言葉を聞かされる前に電話を切る。  洗面所で手を洗い、教員棟に戻って教材や資料を置くと、ジェイミーはブリーフケースに、新たなペーパーバックを放り込んで出かける。  どうせこのあと、今日はもう講義は入っていないのだ。ロベルトとの食事に辟易したらさっさと逃げ出し、別の店にでも入ってのんびり読書をするのもいい。  外へ昼食に出かける学生たちの間をすり抜け、大学の裏門から外に出る。  歩道を歩く学生たちの視線が、なぜかある一方向へと向いている。つられて同じ方向を見たジェイミーはつい足を止めてしまった。  車道脇に停められた黒い車の運転席側に、皮のパンツに淡いピンク色のシャツを着た男が立っていた。  ウェーブがかった長い金髪は緩く一つにまとめられ、サングラスをかけているので瞳の色はわからない。だが、派手な存在というだけで、男が誰であるか特定するのは簡単だ。  いくら桜の季節とはいえ、そのシャツの色はなんだと、ジェイミーは内心で呟く。  他人のふりをしたいところだが、ジェイミーに気づいたロベルトが、様になる仕草でサングラスを外し、子供のように大きく手を振ってくる。おかげでジェイミーまで注目を浴び、はっきりいっていい迷惑だ。  ずかずかとロベルトに歩み寄ると、実に甘やかな笑みを向けられる。 「やあ、ジェイミー。今日も実にきれいだね。桜の化身かと思ったよ」 「――それはお前だ。今後、わたしの前に現れるときは、ノーマルなスーツか、もしくはワイシャツを着用しろ。もう一度突拍子もない格好をしてみろ、お前との仲はそこまでだ」 「それはつまり、今後も俺と会ってくれる約束ということだね」  あっという間に右手を取られ、手の甲に軽くキスされる。さすがのジェイミーも、呆気に取られるしかない。  艶やかに笑い続けるロベルトに助手席のドアを開けられ、乗るよう示される。我に返ったジェイミーは、すでにロベルトのペースに巻き込まれているのを自覚しながらも、車に乗り込む。  ジェイミーは、感じた疑問をすぐに口にした。 「車、買ったのか?」 「レンタカーじゃ、これから動くときに何かと不便でね。当分日本にいるというのは本当だよ。むしろ、腰を据えて住まないといけないかもしれない」  ロベルトの言葉は意味深だ。漠然とながら感じていたが、ロベルトは単なる放蕩のためだけに日本に滞在しているわけではないようだ。  だが、興味はあっても、それ以上の質問はしない。相手のことをより多く知るというのは、それだけ相手に深入りするのを意味している。関係が一段階ずつ複雑になっていくということだ。  ロベルトが連れて行ってくれたのは、なんともシャレたイタリアンレストランで、女性が多い店内中の視線を一気に集める。  それはそうだろう。ピンク色のシャツを着た、ただでさえ派手なイタリア男と一緒にいて、目立つなというほうが無理な話だ。しかしロベルトの捉え方は違うらしい。  テーブルにつき、料理を注文したあと、ウインクと共に言われた。 「みんな、ジェイミーのことを注目してる」 「……ロベルト、今すぐレストルームに行って鏡を覗いてこい。少しは、自分の派手な格好を認識できるだろ」 「自分の姿なんてどうでもいいんだよ。今は、こうしてジェイミーを見るのに夢中なんだから」  料理を食べる前に、ロベルトの甘い言葉で満腹になりそうだ。 「――ジェイミーは、自分の好奇心と理性の折り合いをつけるのがうまいね」  食事の最中、ふと思い出したようにロベルトに言われる。凝った盛り付けのパスタを惜しみながらフォークで崩していたジェイミーは、視線を上げないまま問いかける。 「どういう意味だ?」 「怪しいイタリア男の正体を気にかけているけど、絶対自分からは踏み込んでこない」  気がついてたのかと、ちらりと視線を上げる。褐色の瞳は、油断ならない光をたたえてジェイミーを見つめていた。 「後々、面倒が嫌なだけだ」 「最初に言ったでしょう? ジェイミーには負担も面倒もかけないよ。それに俺は、単なる元お坊ちゃまだというだけで、身元は怪しくないよ」  ロベルトの表現が気になり、小さく首を傾げる。ロベルトはもったいぶることなく教えてくれた。 「父親がイタリアで会社を経営しているのは言ったよね? その会社が今、経営が危ないんだ。だから俺は、日本でスポンサー探しをしているわけ」 「なんだ、仕事をしているのか」 「本物の放蕩息子のほうがよかった?」 「……別に、どちらでも。わたしには関係のないことだ」  ロベルトはなぜか嬉しそうな表情となる。 「そう、ジェイミーのそういうクールなところもいいよね。クールさの間から見える感情的な部分が際立って――すごく、キュートだ」  ロベルト以外の男が言ったなら鳥肌が立ち、迷うことなく殴っているだろう。  だがこの瞬間、ジェイミーの背に甘い痺れが駆け抜ける。ずいぶん久しぶりの感覚だ。  ジェイミーの内の変化を読み取ったように、ロベルトは目を細め、甘い眼差しを向け続けてくる。  案の定、次の約束を求められた。 「ねえ、明日は、夕食に誘っていいかな」 「二日続けて、お前の甘い言葉を聞けと言うのか?」 「夕方のお誘いの電話は休むから」  ジェイミーはパスタを口に運ぼうとした手を止め、考えるふりをする。ロベルトは期待するように目を輝かせ、テーブルに身を乗り出してくる。  こんな反応を見せられて、悪い気はしない。 「――明日の夕方は、講義で使う資料を探しに、あちこち回らないといけない」 「つき合うよ。俺を足に使ってよ」  これで話はまとまった。ジェイミーは短く告げた。 「明日の午後五時、今日と同じように裏門で」 「スーツ着用で」  ロベルトの受け答えに、ジェイミーは小さく笑んだ。
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