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プロローグ『 醒 』- 01 / 02

       目を覚ますと、あたりは暗闇に覆われていた。     ― プロローグ『醒』 ―      目が覚める直前まで、自分は何か大きな幸福に満たされていた気がする。  だが、目を覚ましてみれば、その場を満たしていたのはただの暗闇だった。  もしかして、これまでの時間はただの夢だったのだろうか。  だから、これまでの事を鮮明に思い出せないのだろうか。  だが、そうだとしても、目覚めた先のこの状況についても、自分はよく分からなかった。  自分は、先ほどまでどこに居て、今はどこに居るのだろう。  分からない。  ただ、不思議とこの場に恐怖は感じない。  いや、それどころかむしろ、ここには住み慣れた我が家のような安心感すらある。  不思議だ。  だが、そんな安心感があってしても、どうにも物足りないような感覚を覚えた。  恐らくそれは、事実として、今の自分には何かが足りていないからなのだろう。  でも、何が足りていないのだろう?  そもそも自分は、目が覚める直前まで何に幸せを感じていたのだろう?  自分はそれから、その事について考え始めた。  だが、しばし考えてみても、頭がぼうっとするだけで答えは出なかった。  そして、それから更に何時間も考えてもみたが、それでも答えは出なかった。  そんな事から、それ以降はただ、音や匂い、何かの感触すらも一切感じないまま、考えるだけの時間が過ぎていった。     そして、それからまた幾分が経ち、考える事にも飽き始めていた頃。  改めて周りを見回しては思った。  それにしても、ここは不思議な場所だ。  真っ暗で何も感じないのに、こんなにも安心できる。  赤ん坊が母親のお腹の中で過ごしている時などは、まさにこんな感じなのだろうか。  だが、そんな事を思いつつも、何も感じないながら、ここが母親のお腹の中ではないという事だけはなんとなく確信していた。  何せ、そういった赤ん坊達は大抵目を閉じているし、もし母親のお腹に居るならば、自分もまた液体の中でぷかぷかとしている事になる。  だが、そもそも今の自分は目は開いている。  光の感覚はないにしろ、なんとなくそう感じるのだ。  そして、感触はないにしろ、液体の中で浮いているわけでもないように思う。  だからやはり、今の自分は彼らとは違う。  それゆえに、ここは母胎の中というわけではないはずだ。  でも、そうであるならば、今の自分は一体どこに居るのだろうか。  そして、一体何に幸せを感じていたのだろうか。  色々と考えるうち、またその疑問に戻ってきてしまった。  きっと、その事こそが、自分としてはどうしようもなく気になっている事なのだろう。  なぜか、それを思い出す事を諦めきれないのだろう。  ならば、仕方ない。  また少し考えてみよう。  すると、その後。  そうして諦め半分でも再び挑戦したのが功を奏したのか、それからまた何時間も考えたところで進展があった。  なんと、自分が何者であったのかを思い出したのだ。  そして、そんな事から、その成果を無性に嬉しく感じた自分は、その喜びのままに更に考えてみる事にした。  すると、それからまた長い時間を経った後ついに、自分が何に幸せを感じていたのかを思い出す事が出来たのだった。  だが、そうしてついに思い出せたというのに、自分はそこで、やはり思い出さない方が良かったかもしれないとも思った。  それは何故か。  その理由は、自分はそれを思い出した事によって、どうしてか非常に残念な気持ちになったからだ。  どうやら自分は、目を覚ます前のその時。  別段、幸せに満たされていたというわけではなかったらしいのだ。  これは、思い出してみて分かった事だが、どうやら自分は、“幸せに満たされる直前に”この暗闇で目を覚ましてしまったらしかった。  なんて運が悪いんだろう。  自分は、そんな事実に対し、そう思った。  そして、更に思った。  もったいない。  じれったい。  またあの幸せを感じたい。  ちゃんと最後まで幸せに満たされたい。  またあの人のぬくもりを感じたい。  そして、そうしてその暗闇の中で色々な事を思い出すうちに、そういった欲望もどんどんと強くなっていった。  ただ、そんなじれったさの中でも、更に新たな事が判明した。  それは、今の自分の状況だ。  どうやら自分は今、何やらずいぶんと狭い空間に居るようなのだ。  そして、それが分かってくると、何故だか手や脚の感覚も徐々に戻ってきたのだった。  その為、その感覚らを頼りに、改めて周りを探ってみた。  すると、そのおかげで、今度はここは長方形の狭い空間であるという事が分かったのだった。  自分は、そうして徐々に様々な事が分かってきた事に再び喜びを感じ、それからまた周囲をひたすらに(まさぐ)った。  だが、そうして周囲を探りに探った事で、次に自分の中に腰を据えたのは微かな絶望だった。  実は、それからまた数時間かけてその空間について調べたのだが、探っても探っても出口らしきものが見当たらなかったのだ。  このままでは、ここから出られずに死んでしまう。  そんなのな嫌だ。  自分は、何が何でも、もう一度あの人に会わなくてはならないのに、このままではただ会う事すら叶わずに終わってしまう。  嫌だ。  そんなのは絶対に嫌だ。  嫌だ。嫌だ。  そして、そう思い始めてからは、酷い焦燥感と共にそれ以降の時を過ごす事となった。  だが、そんな中ではあったが、諦めたくない気持ちに背を押された事で、自分は次に、ここから出るにはどうしたら良いかを考える事にした。  だが、残念ながらその思案は意味をなさなかった。  考えても考えても、良い案は浮かばなかったのだ。  自分は、その事から更に事態に対する絶望の色が濃くなったのを感じた。  しかし、そんな時だった。  泣きそうな気持ちで体を丸めていたところへ、不意に奇跡が訪れた。  なんと、今居るこの場所に、初めて変化が起きたのだ。  そしてそれは、音によるものだった。  ある時から、自分の居るこの空間の上の方から物音がするようになったのだ。  その音は、人が歩くような物音や話し声といった音だった。  自分は、その事に酷く興奮した。  人が居るという事は、助けて貰える可能性があるからだ。  そして、更に別の事に思い至った事で、自分の興奮がピークに達するのを感じた。  もしかしたらこの音は、あの人のものかもしれない。  もしかしたらこれは、突然居なくなってしまった自分を探しに来てくれたあの人のものかもしれない。  いや恐らく、かもしれない、ではない。  そうに違いない、が正しい。  そうでしかないはずだ。  だって、ここには自分が居るのだから――。  しかし自分は、そこまで考えたところではっとした。  実は、目を覚ましてから沢山の事を思い出せたにも関わらず、自分は、あの人の顔を思い出せないままなのだ。  つまり自分は、あの人を見ても、あの人だと分からないかもしれないという事だ。   自分が分かっているのは、あの人は男だという事だけ。  あの人は、もし自分がそんな状態でも、助けてくれるだろうか。  そんな自分でも、あの人はちゃんと助けてくれるだろうか。

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