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「今年の作品があるから在校生のはずだが、これが気になると言うか……『凪』の作品はどれも泣きの小説でね」 鹿野の言葉に俺は、ゆうべ広げたメモの中に『泣いてばかりいる』なんて意味不明な感想が混ざっていたのを思い出していた。 「泣き……?文芸誌には全て目を通しているけれど、そんなふうに思ったことはないね。まぁ、若干、悲観的な作品もあるけれど、多感な年頃には良くあることさ」 「……、……」 「不服そうな顔をして見ないでくれよ?」 「不服だから、こういう顔をしているんだ。嘘つきめ」 「本当に知らないんだ。部員は大半がペンネームを持っていて、本名で活動する子は稀だと思う。その方が意見や感想を先入観なく交わせるからね。中には当人同士知って……、」 「そうじゃない!このペーソスにお前が気付かないのが嘘だと言っているんだ。何を凪は泣くんだろうな……?小気味いい描写や仕掛けでドキッとさせるのも惹かれるね。本人に会ってみたいが探せないか?」 とても『俺です!』なんて出ていける雰囲気じゃなくて、固唾(かたず)を飲んで様子を窺っていると、 「そんなに気になるのかい?」 と、泣き声かと思うような須崎の消沈した声が言った。 「あぁ。傍にいて肩を抱きたくなるね……」 「……っ!」 たまたま、誰も購買部に来ないとはいえ、男子高校生相手に『肩を抱く』って何だ? 危うく変な声が出そうになるのを押し留めて小さく息を吐き切ると、冷静沈着な須崎も流石に動揺したらしい。 「うちの生徒に手を出してみろ、特にあの子は……、」 と、言いかけて押し黙った。何だか雲行きが妙な方向へ流れている気がする。 須崎の言う『あの子』は俺で間違いない。先生は『凪=俺』であることを忘れている訳じゃなかった。貼り付いた壁の冷たさが背中から心臓を突く。この大人たちが何を言っているのか、だんだん解らなくなってきた。俺を知らないとか、泣いているとか、肩を抱きたいとか、挙句に、 「あの子って?」 と、訊かれた須崎は僅かな沈黙のあと、思いもよらないことを言いだした。 「いや、確証はないけれど、雲谷凪斗(うのやなぎと)という生徒がいてね。確か文芸部のはずだ」 「何年生?どんな子だ」 「颯介。頼むから、あまり触らないでやってくれないか?気の優しい、今どき珍しいくらいシャイで繊細な子なんだ」 どこがだ、と俺の中で笑いがこみ上げて来る。 雲谷は推理小説が好きで好奇心旺盛な、どこから噂話を集めて来るのかも知れない情報通だ。確かに大人しくて優しいヤツだがシャイという事はない。嘘つき……、嘘つき、嘘つき、嘘つき!要するに須崎は鹿野に俺を会わせたくないんだ。だとしたら須崎は、……須崎は?…… 「間に合った!オジサン、シャーペンの0.5芯ください!」 突然、購買部へ飛び込んだヤツに驚いて、俺はその場を離れ、少し先の死角でそっと息を吐いた。心臓がバクバク言っている。 「誰がオジサンだ」 という鹿野の太い声が聞こえて、スッと俺の横を通り過ぎたのは須崎だった。 一瞬にして空気が凍り付く。 「時枝くん……、どうしてここに?」 「ぁ、いや……」 「いつから?」 俺は無言で薄く笑った。どうして、このタイミングで笑えたのか自分でも解らないけれど、たぶん、それは酷く意地悪な笑みだっただろう。その瞬間に見た須崎の狼狽と苛立ちを()い交ぜにしたとても人間臭い表情が、それを伝えてきた。聞かれたくなかったわけねと、その時、俺の中の別人格が、ほくそ笑んだ気がする。須崎が俺の信頼を裏切って凪の作品を雲谷の作品だなんて言ったのが悪いんだ。学生の素人作家でも作品にどれだけ心血を注いでいるか、元文芸部だと言うなら、そこは(たが)えちゃいけないんじゃないのかなぁ……? そして、冷えた感情は馬鹿に頭を研ぎ澄まさせる。ふと、あぁ、そうか……と思った。 須崎は鹿野が好きなんだ。 「俺、気に入られちゃってるみたいね」 鹿野に、と神経を逆撫でするような言い方をすると、 「そのようだね」 と、意外でもないが須崎は直ぐに冷静さを取り戻した。少しツマンナイなんて思った自分が、本当にクッソつまんない……。 「上履きが届いたって聞いたんだけど、持ち合わせがないから、またにするよ」 その間に『凪』の正体の訂正でも『アイツはヤメロ』でも『愛の告白』でも好きにしなって思ったけれど、この人のいい男はスーツのポケットを叩いて財布を探しているみたいだ。 「センセ、生徒に金を貸すのはマズいんじゃないの?」 「足、痛いんだろう?ツケで良いから、颯…、鹿野さんに貰っておいで」 「あと2分でチャイムが鳴るから、いい……」 「そうか。……ぁ、走るんじゃないよ」 いつもの穏やかな声に戻って、だけど、俺の顔は見ない。身じろぎもしない須崎の旋毛(つむじ)を見て、左巻きなんだな……なんて、どうでもいい事を思いながら、俺は「はい」と素直に応えた。去り際に俺の心臓に軽く触れた須崎の手は『心配』の意思表示だった。盗み聞きを咎めるより、やっぱり身体の心配を優先させるんだ。意地の悪い態度をとったことを少し反省した。購買部から半身を覗かせた鹿野に、 「おう、待っていたぞ」 と、呼ばれたけれど、 「授業、始まる」 俺は、ひらりと手をあげて教室に戻った。 何だか、色んなことがモヤモヤしていた……。
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