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第二話『 はじめまして 』 下
そのようにして、寮生活一日目を終えた二人であったが、美鶴 はそれからも度々瑞季 を驚かせる事となった。
まず、それからすぐに瑞季を驚かせたのは、美鶴の朝と夜の弱さだった。
実は、それから数日を過ごす中で分かった事なのだが、美鶴は零時ちょうどになると電源を切った機械のように眠りに落ちる。それは例え彼が立っていたとしても同様だった。
もしも彼がベッドに辿り着く前に時刻が零時になったとすれば、彼は文字通り床でのたれ死んだように寝てしまう。
以前より友人間でリアクションがでかいと言われてきた瑞季は、美鶴がそうしてのたれ死んでいる度に驚き、大声を出しそうになったりもした。
そして、次に朝だ。美鶴はどうやら朝にもめっぽう弱いらしく、寮生活開始から数日の間で見た限りでも、美鶴が午前中にまともな反応をした事は一度もない。
だが不思議な事に、ある時間になればむくりと起き出し、様々な場所に頭を打ち付けながらも身支度をし、瑞季と共に部屋を出る。そしてそのまままた様々な場所にぶつかりながら教室に辿り着くと、ホームルームの時間まで座席で死に絶える。
そうしてその後、一応は身を起こしてどこかを見ているらしい様子でホームルームや午前の授業を終え、時刻が正午を回ると突然ぱちりと目を覚まし、空腹を訴えるのだった。
瑞季は、そんな美鶴の様子を初めて見た際、心臓が口から出るのではないかというほどハラハラとした午前を過ごした。
だが、その前の晩、
――俺、朝全然起きないし反応しないと思うけど、放っておいていいから! 後、なんか変な事してても忘れてね!
と言われていたので、瑞季はとりあえず様子を見守るだけにしていたのだが、とてもじゃないが忘れるなど出来る光景ではなかった。
その為、あまりに心配になった瑞季が美鶴にその事を尋ねると、
――午前中はなんか、ほとんど意識ないんだよね……。
との事だった。
そのような状態でどうして身支度などが出来るのか、瑞季には甚だ疑問であったが、彼自身が問題ないと言うので追及するのはやめておく事にした。
またそれに加え、入学式の日はどうして普通だったのかも不思議に思い、それも尋ねてみたが、
――そ、それはその……緊張してたから大丈夫だったのかも!
と、どうやら明かせない事情があるようだったので、それもまた迷宮入りとなったのであった。
そしてそんな驚きの中、もう一つ瑞季 を驚かせたのは、美鶴 の料理の腕前であった。
寮生活一日目の晩は、新入生歓迎も兼ねた食事会が食堂でなされた為、美鶴も瑞季も食堂で夕食をとった。
また、それからも少しの間は二人で食堂へ行ったりしながら食事を済ませていた。
だがそれから少しして、瑞季が所属する水泳部の練習が始まったある日の事だ。
その日、瑞季は放課後の練習で帰りが遅くなり、疲れていた事からも食堂へ行く事を億劫に感じていた。そこで、その日は夕食を抜いて過ごそうかなどと考えて部屋に戻った。
だが、いざ寮室に帰ってみると妙に腹が減り、冷蔵庫を漁っていると、そこへ風呂上りの美鶴が声をかけてきたのだった。
「あ、もんちゃん、おかえり~」
因みにだが、寮生活が始まってからすぐに打ち解けた二人の間ではこの時既に、瑞季のこのあだ名は定着していた。
実は、この"もんちゃん"というあだ名は、美鶴の実家に居る"もん太"という猫の名が由来となっている。なぜ、美鶴の実家で暮らす大勢の猫たちの中からその"もん太"が選抜されたのかというと、美鶴曰 く――赤毛と表情とその大きなリアクションが、実家のもん太に似ているから――という事らしい。
瑞季は美鶴からそれらの共通点を挙げられ、更にもん太さん本人の顔写真も見せられ、大柄な猫である事をも確認した時点で、一切その命名に反論する理由が見当たらなかった。その為、そのあだ名は瑞季により公式採用となったのであった。
「ん、どうしたの? お腹すいた?」
そして、そんなあだ名にもすっかり愛着が沸いていた瑞季は、不思議そうに首を傾げている美鶴に言葉を返した。
「あ、あぁ、ただいま。ちょっとな」
「食堂開いてなかった?」
「いや、そうじゃないんだけど、なんか今日、食堂行く気分になんなくてさ……」
「そうだったんだ。じゃあなんか簡単なものでも作ろっか?」
美鶴がそう言うと、瑞季は驚いたように美鶴の方を見た。
「えっ、マジ!? 美鶴、料理出来んの!?」
すると美鶴は、少し照れくさそうに答える。
「あはは、ちょっとね。でも大したものはできないから、簡単なのになっちゃうけど」
「すげぇ……全然大丈夫……」
瑞季がそうして素直に尊敬の眼差しを向けていると、美鶴はまた照れたように笑いながら言った。
「んと、もんちゃんはなんか、嫌いなモノとかアレルギーとかある?」
「あぁそうだなぁ、アレルギーはないんだけど……なんか酸っぱいのは苦手かも……」
「酸っぱいのっていうと……レモンとか梅干しとか、そういう酸っぱいの?」
「あぁ、そんな感じ!」
「おっけ~」
美鶴はそんな瑞季の回答を聞きながら、ざっと冷蔵庫を見回して言った。
「じゃあ、もんちゃんはお風呂入って来ちゃいなよ。その間に用意しておくから」
「美鶴お前神様かよ……わかった、マジでありがとう……今度なんか奢るから……」
「わぁい、ありがと。あ、でも期待しないでね」
「はは、考えとく」
「え~」
お互いにふざけながらそんなやりとりを交わした後、瑞季は美鶴に心から感謝しつつ、促されるままに風呂に入った。
そして、
(簡単なものって何だろ……握り飯とかインスタントカレーとかカップ麺とかかな……腹減ってるしマジで何でもいいんだけど……)
などと考え、部屋に戻ってきた瑞希は自分の目を疑った。
(誰だよ、握り飯とかインスタントとかカップ麺とか言った奴は……俺だよ……)
瑞季は心の中でそんな自問自答を展開しながら、背丈の低いテーブルに置かれた一品料理と美鶴を交互に見た。
「ミートソースあったから、パスタにしてみたんだけど……食べられそう?」
「み……美鶴……」
「な、何?」
「やっぱお前神様だわ……」
「……ッ、……あははっ、なんかもんちゃん言葉の選び方変だよ……でも、喜んでもらえたならよかった」
心底おかしそうに笑っている美鶴に対し、瑞季は相変わらず真剣な顔つきで、
「笑い事じゃねぇぞこれは……マジありがと……」
と礼を述べ、パスタを前に坐した。そして、
「本当に食っていいの?」
と、相変わらず真剣な顔つきで美鶴に尋ねた。
そんな瑞季の様子を受け、美鶴はまたそれにおかしそうにしながら答える。
「ふふ、もちろんどうぞ」
「……じゃあ、いただきます」
「はい、召し上がれ」
瑞季は丁寧に手を合わせて食事の挨拶を済ませるなり、いちいち感想や感謝を述べながらパスタを食してゆく。
美鶴はそんな様子を眺めながら微笑んでは、瑞季の言葉に礼を言った。
「ねぇもんちゃん」
「ん?」
それからものすごい速度でパスタを平らげた瑞季は、手を合わせて食後の一礼を述べた。
それに美鶴も言葉を返したところで、美鶴は続けて言った。
「あのさ、もし良かったら、今後も必要がある時は俺がご飯作ろっか。今日みたいに部活で疲れてる時も、部屋で食べた方が楽ならその方が良いだろうし」
「えっ、でも大変だろ?」
「そうでもないよ? 俺は部活入ってないから。それに俺、……料理作るの好きだし、さ」
美鶴がおずおずといったようにして最後の一言を添えると、瑞季はまた驚いたように言った。
「そ、そうなのか!? 初耳だぞ……」
「え、うん。だって……男が料理好きっていうのも、なんか変に見られるかなって思ったから」
「いや、全然そんな事ないだろ……つか、美鶴が大変じゃないなら、俺は大歓迎だけど……」
美鶴はそんな瑞季の言葉を受け、ぱっと表情を明るくさせて言った。
「えっ、ほんとに?」
「お、おう。つかこんな美味い飯食った後にイヤって言う奴は居ないだろ」
「あはは、ありがと……じゃあ、部活の夜練がある日は作るようにしておくね」
「マジか! ありがとな。なんかすっげぇ楽しみだわ」
美鶴は、そうして素直に喜ぶ瑞季の言葉を受け、更に嬉しそうに微笑んだ。
そのようにしてその日から、瑞季が夜にかけての練習がある日は、美鶴が夕食を作る事となった。
だがその後、瑞季がそれを歓迎する事もあり、次第に美鶴が料理をする頻度は増えていった。そして結局、共に生活するようになってから一カ月ほど経った頃には、毎日のように美鶴が食事を作るようになっていったのであった。
ただそれに対し、瑞季は嬉しい反面、流石に無理をしているのではと心配した。
だが美鶴は、
――無理なんてしてないよ。料理できるの凄く楽しいし、嬉しいから。あ、でももんちゃんが嫌なら控えるよ?
と、言った。
それに対し、瑞季はとんでもないと首を振った。瑞季は本当に美鶴の作る料理を気に入っていたのだ。その為、瑞季はそれに無理だけはしなくていいからという念だけ押し、美鶴も楽しんでやってくれているのなら、と料理は彼に任せるようになったのだった。
ただその代わり、手伝える時は瑞季も手伝い、洗い物も二人でする事にした。
もちろんはじめは、洗い物は瑞季が毎回担当する、という提案をしたのだが、
――それはだめだよ! 俺が好きで作ってるんだもん。だから洗い物は俺もする……。
と、美鶴が断固としてその提案をよしとしなかったので、結局二人で、という事になったのであった。
また、美鶴は体型を一定に保ちつつも身体を鍛える事が好きなようで、瑞季よりもそういったスポーツマンの体づくりに対する知識が豊富だった。
その知識量は、とても高校一年生とは思えないもので、瑞季は驚いた。
その為、料理を作るようになってからというもの、美鶴は栄養価まで考えながら瑞季の食事を作ってくれ、冷蔵庫を開ければ常に新しいスポーツドリンクが用意されているなどという日々が続いた。
瑞季はそれに対し、
(至れり尽くせりって、こういう事を言うんだろうな……)
と、思ったりもしていた。
だが、そのような恩恵を受けていながら何も恩返しが出来ない事を気にしていた為、瑞季は密かに、美鶴にどのように恩返しをしようかと考え始めていたのだった。
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