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第三話『 好きの定義 』 上

 瑞季(みずき)美鶴(みつる)の学園生活が始まり、それから一カ月と半月が過ぎようとしていた頃の事。  その日は瑞季の部活動もない休日という事もあり、二人は寮室でゆっくりとした時間を過ごしていた。  瑞季はそんな中、ベランダで手際よく洗濯物を干している美鶴の後ろ姿を見ていた。  二人は洗濯を当番制にしていた。寮のベランダは二人並んで洗濯物を干すには少々狭い、というのがその理由だ。  そしてその日の当番は美鶴だった。美鶴は、普通なら嫌々といった様子でもいいようなところ、ずいぶんと楽しそうに洗濯物を干している。  どうやら美鶴は料理だけでなく、全般的な家事をするのも好きなようだった。  そんな美鶴の後ろ姿を見つつ、これが女子であるならば、きっと嫁さんみたいだなと思うんだろうなどと瑞季は考えていた。  そんな時、瑞季の手元にあったスマートフォンが震えた。瑞季はそれに気づき、スマートフォンを見やる。 「…………」  そして、自身のスマートフォンに表示されたとあるメッセージ通知を見て、黙したまま目を反らした。  そのメッセージを送ってきたのは、瑞季のよく知る人物だった。  瑞季にはその時、付き合っている恋人がいた。 ― 虹色月見草-円環依存型ARC-ツキクサイロ篇-Ⅰ❖第三話『好きの定義』 ―  瑞季(みずき)は、幼い頃から"バカ"がつくほど水泳好きな少年であった。  幼稚園に入り、初めてプールに入ったその瞬間から、瑞季は水泳の魅力に憑りつかれた。  そして、その幼稚園で開かれていた水泳教室にも入り、小学生となった頃には外部の水泳スクールにも通うようになっていた。  そんな瑞季は、毎日を水泳と共に過ごしながらその才能を開花させていった。  また、そんな彼の水泳好きは中学生になっても変わる事はなく、そのまま中学校の水泳部にも入り、そこでも優秀な成績を収めていった。  そのようにして、同級生たちが恋愛や様々な遊びを経て過ごす間も、ささやかな恋愛沙汰はあったにしろ、瑞季はほとんどの時間を水泳に費やしていた。  だがそんなある日、瑞季は同じ水泳部に所属する同性の後輩から愛の告白を受けたのであった。  瑞季が自分をバイセクシャルだと知ったのは、この時だ。  その後輩は、瑞季がよく面倒をみていた後輩だった。そして彼は水泳にも非常に意欲的だった。  毎日の練習が終わってからも、遅くまで泳いでいる瑞季と共にその後輩も残って練習をしていた。  そして、彼は毎度のように瑞季にアドバイスを求めては、目をキラキラと輝かせながら瑞季の言葉を聞いていたのだ。瑞季はそれが嬉しかった。  中学時代、同級生たちからは水泳好きである事を馬鹿にされる事も多かった。"水遊びがそんなに楽しいのか"とまで言われる事もあった。  だが瑞季は、そんな彼らの言葉に反応を返すことはなかった。瑞季にとって、そのような言葉は無に等しい物だったのだ。だから何を言われても、何を感じる事もなかった。  だから瑞季はそういった時、常にその言葉がまるで聞こえていないかのような対応をしていた。  そういった事もあり、そんな瑞季を気味悪がる同級生も多少なれどいたのは事実だ。  それゆえに、水泳に意欲的な部の仲間たちやその後輩は、そんな瑞季にとってかけがえのない存在だった。  だからこそ瑞季も、その後輩の告白を迷わず受け取れたのだった。 ――ほ、本当ですか?  その日、瑞季がその告白にその場で頷いた時、後輩は驚いたようにそう問うた。 ――うん。俺は男と付き合うの初めてだけど、それでいいなら  そして、その問いに対し瑞季がそう言って微笑むと、その後輩はその場で涙を零して喜んだ。  その反応を受け、流石の瑞季も動揺したが、その後はただ後輩が泣き止むまで彼を(なだ)めながら、新しい関係へと発展した彼との温かな時間を過ごしたのであった。  そうして瑞季は、そんな少女漫画のような告白経験を経て、初めて同性と付き合う事になったのだった。  そんな当時、実のところ瑞季(みずき)は既に部内ではOB扱いとなっていた。――というのも、当時三年生であった彼は、受験生という事で夏の大会を最後に引退となっていたのだ。  だが、スポーツ推薦が適用されたことで、瑞季の受験は十月頃には終幕となり、そこから先は、OBとして部活に参加して良いという事になっていたのだった。  そして、そんな瑞季は無事に中学校を卒業し、白狐(びゃっこ)学園へと進学した。  だが、それと時を同じくして、その後輩から部活をやめる事になったと言う話を聞かされ、瑞季は驚いた。  そして、瑞季が驚くままに後輩に理由を聞けば、 ――ここ最近、テストの成績が悪かったんです……それで、受験もあるんだから勉強に集中しなさいって親に言われて……  との事だった。 ――そっか……確かに、先の事はちゃんと考えないとだしな……  後輩から理由を聞き、瑞季もそれならば仕方ないと思い、宥めるようにそう言った。  だがその直後、後輩はぱっと明るい表情を見せて続けた。 ――でも、部活がなくなったら先輩といられる時間が多くなるし、沢山遊べるし、俺はこれで良かったんだなって思ってます!  後輩は瑞季に笑顔を向け、満足げにそう言った。  だが瑞季はそんな彼に驚き落胆した。  学生である自分たちが、部活動より学業を優先するのは当然だ。しかしあれほどまでに水泳に意欲的だった彼が、こんなにも簡単に水泳を切り捨ててしまった上、それを良かったと言う事が、瑞季には残念でならなかったのだ。 ――そ、そっか。  そんな瑞季はその時、彼に対してそう返答する以外に何もできなかった。  そして、そんな彼との関係が始まってから約半年ほどとなる今の状況はと言えば、とても良好とは言えない状態であった。  瑞季は、そんな現在の恋人でもある彼からの電子メッセージを、相手に確認したことがバレぬよう、受信通知に表示された冒頭部分だけを見て確認してみた。  すると、やはりといった具合にその部分を見るだけでもすっかり気持ちが萎えた。瑞季はそんな気持ちに促されるようにしてスマートフォンを手放した。  せっかく心癒されるような時間を過ごしていた所に水を差され、瑞季は思わず溜め息を吐いた。 「どうしたの?」 「えっ」  そんな瑞季の小さな溜め息が聞こえてしまったらしく、洗濯物を干し終えたらしい美鶴(みつる)が瑞季を見ていた。  それにより、自分が知らぬ内に溜め息を吐いていた事に気付き、瑞季はやや慌てながら取り繕う。 「あぁ、いや、なんでもない」 「そう?」  そんな瑞季を心配そうに見つめる美鶴は、遠慮がちに言葉を続ける。 「何か、悩み事? その、俺で良ければ何でも聞くから言ってね。――といっても、解決策を出せるかは分からないけど」  そう言って苦笑気味に微笑んだ美鶴を見て、瑞季はそれだけでも心が癒されたように感じた。  後輩との関係が悪くなっていったのは、瑞季が進学し、高校での部活動に専念するようになってからだ。  瑞季にとって水泳は、未だにかけがえのないものだ。だから部活があるならば、それを優先するのは当然の事だ。そんな瑞季がもし部活を休むような事があるとすればそれは、非常時くらいだろう。  だからデートをする為という理由で部活を休むなど、瑞季には有り得ない事だ。  だが、後輩はそれこそが不満だったらしい。  一時期まではそれに対し――悲しいです――というしおらしいメッセージが送られてくるのみだったのだが、最近ではついにトゲトゲしいメッセージばかりが送られて来るようになった。更にはその中で――水泳と俺、どっちが大切なんですか?――という恋愛沙汰ではお決まりの一言まで頂いた。  そのような中、こうして微笑んでくれる美鶴の存在は、瑞季にとって癒し以外の何ものでもなかった。  そんな美鶴の微笑みを受け、きっと女子なんかはこうやって微笑まれたらイチコロなんだろうと思った。 (でもすげぇモテそうなのに、美鶴から彼女の話とか恋愛の話とか聞いたことないな……)  それは、自分がこの状況下にある事から恋愛についての話題を出さなかったせいでもあるが、美鶴からも一切そのような話題が出る事はなかったのだ。  男が二人で集まれば、好きな女性のタイプやら、色々な界隈における女性の話題が出てもおかしくはない。また、そこから恋愛の話だって出たりするだろう。  だが、美鶴と過ごしてきたこの一か月半もの間、そのような話題は一切出なかった。  ただそんな中、美鶴は土日や放課後、友達の家に行くといって外出したり、休日間では外泊をするような事はあった。 (もしかして言わないだけなのかな。これまでのも、友達との約束じゃなくて彼女との約束だったりして……)  聞けば美鶴は、とあるファッション雑誌の専属モデルをしているとの事だった。しかもその人気はそこそこにあるらしい。以前に瑞季が美鶴の顔に見覚えがあったのも、そのせいであった。  また、一部のファンからはSNSはやらないのかという声も上がっているほどで、そのようなファンがつくほどの人気があるモデルなのだった。  もしかしたらそれほどまでにファンが多い事から、恋人の存在などは簡単に口外に出来ないのかもしれない。  だが、そんな人気があるという事はやはり、中学時代はずいぶんとモテたはずだ。  そこで瑞季は、その好奇心から何気なくそれについて訊いてみる事にした。 「なぁ、美鶴」 「ん~?」  洗濯物を干し終え、美鶴の隣に腰を下ろした美鶴が、自身のスマートフォンを弄りながら瑞季に返事をする。 「美鶴って今、彼女とかいないのか?」  瑞季のそんな何気ない一言が予想外だったのか、美鶴は一瞬、驚いたように目を見開いた。  だがその直後、まるで何事もなかったかのようにスマートフォンを眺め、いないよとあっさり答えた。  その言葉は決して嘘に聞こえなかったが、その様子はやや何か取り繕ったように見えた。  それを不思議に思い、瑞季がそれをどう訊こうか迷っていると、今度は美鶴が瑞季に尋ねた。 「もんちゃんは?」  そして、今度は瑞季が小さく動揺する事となった。  この話題が展開されたなら訊き返されるのは当たり前なのだが、瑞季はその事を失念していた。  だが、瑞季はそれに嘘をつく理由も見当たらなかったので、結局ぎこちなく真実を伝える事にした。 「……えっと……いるにはいる、かな」 「――やっぱり! そうだよねぇ、もんちゃんカッコイイからなぁ~、恋人いるだろうなぁとは思ってたんだぁ」  美鶴は嫌みのない笑顔でそう言うと、満足げにした。  瑞季はまたそんな美鶴の笑顔を受け、気持ちが明るくなるのを感じた。  瑞季は、美鶴と出会った時からこの笑顔が好きだった。そしてそんな彼の笑顔は、人を元気にする力があるとも感じていた。  瑞季がそんな笑顔に癒されていると、美鶴が続けた。 「あ、もしかして中学の同級生とか?――って、こういうのあんま訊かない方がいっか」  先ほどの勢いでそう訊いてしまったらしい美鶴は、少し申し訳なさそうにした。  だが、瑞季はそれに笑って答える。 「あぁいや、全然隠してるとかじゃないし、大丈夫。――まぁ、そんなとこ。中学の後輩なんだ」 「ほんと?良かったぁ……。それにしても後輩か~、確かにもんちゃん、後輩とか年下にモテそう」 「え、そうか?」 「うん。だってなんか、頼りになるお兄ちゃんって感じの雰囲気あるもん」 「そ、そっか」  なんとなく、美鶴から"頼りになる"と言われると嬉しくなる瑞季は、それに少し照れつつも短くそう答えた。  だがそんな時、再び瑞季のスマートフォンが震える。どうやらまた新しいメッセージが届いたようだった。  そして、スマートフォンに映し出されたメッセージ通知には――無視ですか?――という短いメッセージが表示されていた。  「あー……もしかして……喧嘩中?」  どうやらそのメッセージ通知が見えてしまったらしい美鶴が、遠慮がちにそう言った。  瑞季はそんな美鶴の言葉を受け、本当は誰にも話すつもりはなかったのだが、すっかり気持ちが落ちてしまった事から、少しだけ美鶴の肩を借りる事にした。 「その……全然面白くない話なんだけどさ……美鶴、ちょっとだけ相談に乗ってもらってもいいか」 「……うん、いいよ」  優しい声色そう微笑んだ美鶴に、瑞季も苦笑するように笑み、礼を言った。    

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