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第三話『 好きの定義 』 下

 そして瑞季(みずき)は、これまでの事を手短かに美鶴(みつる)に話した。  そんな瑞季の話を聞き終えると、美鶴は苦笑しながら言った。 「そっかぁ……大変だよね。そう言うの……。"どっちが大切なの?"とかって、俺も言われた事あるや」 「そうなのか?それは、モデルの仕事と……とか?」  確か美鶴は中学時代も部活には所属してなかったと言っていた。  瑞季はそんな記憶からそう問うてみたが、美鶴は首を振った。 「あ、ううん……中学の時はまだモデルの仕事はしてなかったから」 「じゃあ――」 「友達……かな。もんちゃんは水泳が大切でそう言われちゃったんだと思うんだけど、俺にとっては友達と家族が何よりも大切なものだったんだよね」 「――ってことは、友達と私と、みたいな感じか……」 「うん……彼女といる時間も、同じくらいとってたんだけどね……"自分を一番に優先してくれないと嫌"ってはっきり言われちゃって……」 「あぁ、きついな……」  身に覚えがあるのか、共感したかのような瑞季のその言葉を受け、美鶴は苦笑した。 「確かにきつかった……それで結構めちゃくちゃ言われたり、別れた後にデタラメなウワサ流されたりでさ……そんな事ばっかりあったもんだから精神的に疲れすぎて体調崩すくらいになっちゃって……」 「えっ、マジ?」 「うん、その時期の俺がそういうストレスに弱かったのも原因なんだけど」  相変らず苦笑している美鶴に対し、瑞季は心が痛むのを感じた。 (体を壊すくらいのストレスって、どんな事言われてたんだ……しんどすぎるだろ……)  瑞季は当時の美鶴の事を思い、気が気ではなかった。まだ中学生だというのに、美鶴の恋愛経験はずいぶんと凄惨だったようだ。 「――って、ごめん。なんか俺の話題になっちゃったね。話、戻そ」 「あぁいや、美鶴の話聞けるのはむしろ嬉しいっつぅか……聞いて良いなら聞きたい」 「……そ、そうなの?」 「そうなの……でもさ、そんだけ大切な友達がいたなら、相談乗ってくれたりとかしたんじゃないのか? 親友的な……」  自分の事を話すのになんとなく気が引けていた美鶴だったが、そんな瑞季の様子から本当に話が聞きたいと思っているらしいと感じ、美鶴はそのまま話を続ける事にした。 「あ、うん。親友には相談に乗ってもらってた。――で、結局体崩すくらいになっちゃった時に親友がね、"無理してまで一緒にいる相手って、それもう好きとは言えないだろ"って言ってくれて。それから、"自分に都合の良い彼氏になれって言う時点で、それはもう恋人じゃなくて奴隷になれって言ってるようなもんだろ”とも言ってくれてね。だから俺、その後はもう告白受けてもOKするのも、恋人作るのもやめたんだ」 「……そうだったのか」 「うん、やっぱ断ってその場で泣かれちゃうのとかは結構辛かったけど、辛い事や悲しいのが長引くよりはお互いにいいかなって」 「まぁ……そうだな」  瑞季もまた自分の中学時代の事をふと思い出し、深く頷くようにそう答えた。 「うん。だからもんちゃんとその子の事も、改めてお互いの事をどう思ってるのかを考え直してみるといいかもね。――相手の事が好きでしょうがないなら思いやりをもたないとだし、逆に都合のいい恋人にしたいってだけなら、それはおかしいって事を話した方が良いと思う」 「そっか……そうだよな……」  美鶴が経験してきた恋愛は、瑞季が想像していたような華々しい物ではなく、凄惨といっても過言ではない物だったと知り、瑞季は驚きを隠せずにいた。  そんな中で美鶴の助言を聞き、瑞季も改めて話し合う必要性があるんだろうとも感じ始めていた。  するとそこへ、再び美鶴が言葉を投じた。 「ねぇもんちゃん。その子とは、ちゃんと話し合ってみたりはしたの?」 「え……あぁ、うん。ちょっと前だけど、時間が出来た時一回だけ会ってちゃんと話はしたんだ。で、その時、俺は今どうしたいのかっていう事と、お前の事だけを優先するのは難しいって事も伝えた」 「そうしたら?」 「……"やっぱり俺の事なんてどうでもいいんでしょ"って泣かれて……それで、言い返す気にもなれなくなっちまって……ごめんっつって、そのまま」 「あぁ……なるほど」  瑞季と後輩が交わしたその話し合いに対し、美鶴も何か思い当たる節があるらしく、そんな反応を返した。  そして、少し言いづらそうにしながら続けた。 「その……どれだけ話してもダメなら………………うん」  それを明確な言葉にするのだけは控えてくれたのだろうが、瑞季は美鶴の言いたい事を悟った。  実のところ、瑞季もずいぶん前からその事は考えていた。  だが、それを口にする事で、恋人である彼をまた悲しませ、泣かせてしまうのではないかと考えると、どうにも切り出す事が出来なかったのだ。  今でも十分に自分の我儘で彼を悲しませ、苦しめている。そうだというのに自分はまた更に彼を悲しませるのか――と、瑞季はどうしてもその決断に至れないでいたのだった。  そうしてそれから少しの沈黙の後、その話は流れのままに終わった。 「なんか、変な話しちまってごめんな」 「ううん。俺こそ……あんまり役に立たなくてごめん」 「いや、そんな事ないって。これ、ずっと誰にも話せなかった事だったから、聞いてもらえてスッキリした。話もすげぇ参考になったし。ありがとな」 「そう? それなら良かったんだけど」  苦笑しながら美鶴(みつる)がそう言うので、瑞季(みずき)はそれに少し明るめに返事をした。  そして瑞季は、それから気分転換も兼ねて外に出る事にした。  ただ、外に出ると言っても目的なく歩くのはどうにも性に合わないので、瑞季はとりあえず近場のコンビニに向かう事にした。 (話聞いてもらったし、美鶴にアイスかなんか買って帰るかな……)  瑞季はそんな事を考えながら、学校近くのコンビニに向かった。  そしてコンビニに着くなり、美鶴が好きだと言っていたチョコミントのアイスを買い、コンビニを出た。  そうしてまた外の空気を吸いつつ歩いていると、帰り道の途中にある公園から、のんびりと野良猫が出てきた。  それを見るなり瑞季は歩調をゆるめる。するとそれに気づいたのか、野良猫から瑞季の方へやって来た。そしてそのまま足元にすり寄ってくるので、瑞季はそっとその場で腰を下ろす。 「はいよ、仰せのままに」  瑞季が小さくそう言って顎の下や耳周りを掻いてやると、彼は心地よさそうに喉を鳴らし始め、最終的にはその場で腹を見せながら寝転んでしまった。 (ここら辺の猫ってほんと人懐っこいなぁ……)  瑞季はそれにおかしそうに笑み、引き続き色々な所を掻いたり撫でたりしてやる。  そうして野良猫がすっかり溶けてしまった頃、ふいに公園内から声がした。  どうやらその声の主は、瑞季のすぐ横にある垣根を挟んだ向こう側にいるらしかった。  瑞季はそれらを盗み聞きせぬようにと、意識を猫の方へと集中させた。 「なぁ、まぁだそいつと付き合ってんの?」 「ちょっと、まだって言わないでよ」  そこでやっと猫の方へ意識をやり始めた瑞季だったが、あまりにも聞き覚えのある声がした為に猫を撫でていた手が止まる。  瑞季はそのせいで、ついその会話に意識がいってしまった。  そして、それほど近くに瑞季がいるという事を知るよしもない二人は、そのまま会話を続ける。 「そんな奴もうどうでもよくね? 俺いんだしさぁ、さっさと別れろよ。いつまで俺と二股かけるつもりだよ」 「やだよ。そんな事したら俺が悪者になっちゃうじゃん」 「はぁ……イケメンだか何だか知らねぇけど、そんなにそいつがいいかよ」 「そりゃそうでしょ。優しくてかっこよくてさぁ。いいにきまってんじゃん。ま、水泳が好きすぎるのは意味わかんないけど。水泳なんて何が楽しいんだろ……。俺、先輩と会えるからってだけでやってたけど、あんなの全然楽しくないし」 「ははっ、お前みてぇな奴がスポーツとか運動部とか、マジウケんな。全然向いてねぇだろ」 「うるさいなぁ」 「はいはい。でも返信もこねえんだろ。ここなんか虫うぜぇしさ、もう行こうぜ」 「うん」  そうして会話を終えたらしい二人はその場から去って行ったようだった。  結局そんな会話を全て聞いてしまった瑞季は、もっと撫でろと強請る猫の相手をしながら、無表情に彼らの会話を反芻していた。  そしてふと前方を見ると、先ほどの声の主であるらしい二つの人影が、その道の突当りの道を横切ってゆくのが見えた。  その二人のうち、背の高い方の少年には見覚えが無かった。  だが、もう一人の、背の低い少年には嫌というほど見覚えがあった。  彼らが着ていたその制服は、瑞季にとってやや懐かしいものであった。  瑞季はそんな二人の少年たちを見届ける中、自分の中に何の感情も芽生えていない事に気付く。怒りもなく、かといってショックを受けたような感覚もない。まさに"無"といったところであった。  そしてただ、あぁなるほどと無感情に思っただけで、その後はただ誰もいなくなった道を見つめるのみであった。  だがその次の瞬間、足元から乾いた音が響き始めた。どうやらそれは、先ほどの野良猫が瑞季の持つコンビニ袋にパンチをする音のようだった。  それにより瑞季は、先ほど買ったアイスの存在を思い出した。 「やっべ、アイスとけるっ――ってこら、やめろって、こん中にはお前の好きなもんはねぇぞ」  とうとうコンビニ袋に顔を突っ込み始めた猫を宥め、瑞季は立ち上がる。  そして不満そうに鳴いた猫に別れを告げ、瑞季は足早に帰路を辿った。  そうしてアイスが半壊した頃、瑞季(みずき)は寮室へと辿り着いた。  寮室のドアを開けると、美鶴(みつる)がおかえりと笑顔で出迎えてくれた。  瑞季はそれに返事をするなり、コンビニ袋ごと美鶴に手渡した。 「これ、お土産」  すると、美鶴は不思議そうに袋の中を覗き込むなり目を輝かせて言った。 「えっ! いいの!? 本当に!?」  美鶴はコンビニ袋の中に入ったアイスを見るなりそう言ってはしゃぐ。  瑞季がそれに頷くと、美鶴がその中からチョコミントのアイスを取り出し笑い出した。 「ど、どした」 「あっはは、ちょっともんちゃ……ふふっ、もう、どこで油売ってたのぉ?」 「え? な、なんで」 「アイス! アイスやばいってぇ! あっはは、もうやばぁ~、アイス、棒から離れて袋の中でタプタプいってるんだけどぉっ」 「げっ! やっぱ溶けた!?」  美鶴はどうやらそのアイスの様子を見てツボに入ってしまったらしく、涙を浮かべながら笑い転げている。  瑞季は自分のその失態を反省しつつ、そんな美鶴の様子を見てなんとなくまた心が明るくなるのを感じた。  そしてそんな中、瑞季の心ではとある決心がついたのだった。  その晩、電話をするべきかと迷ったが、すぐにそれも面倒だなと思った。 (面倒……か……なんか俺って結構冷たい人間だったんだな……)  そう思った瑞季(みずき)は、スマートフォンのディスプレイを眺めつつ苦笑した。  そして、メッセージの送信画面を表示させた瑞季は、――ごめん、あのさ、俺ら別れよっか。――とだけ打ち込み、一呼吸置いた後に送信した。  その後、メッセージを相手が確認したという事を示す"既読"という表示が、その画面内に現れる事は一向になく、それから少しの時間が過ぎた。  そうして時刻は零時を回り、美鶴(みつる)の電源も落ちたところで、ようやっと瑞季のスマートフォンが点灯した。  どうやら瑞季のもとへ、新しいメッセージが届いた様だった。  その通知を受けて瑞季がメッセージを開くと、それは先ほどの送信相手からの返信であった。  そのメッセージは、先ほど公園内にいた少年の内の一人。背の低い方の少年であり、瑞季の恋人でもあった、あの後輩からのメッセージだった。 ――いいですよ。いつか言われると思ってました。   どっちにしても、先輩は俺の事なんて最初から好きじゃなかったですもんね。   長い間俺に付き合わせてすいませんでした。   それじゃ、さよなら。  彼から送られてきたメッセージには、そう記されていた。  瑞季はそれを見て、静かに溜め息を吐いた。  瑞季はこの一か月半の間、いつもならば気ままに泳ぐ時間として使っている部活外の時間を使い、彼と会う機会を作ったりしていた。また、学校や部活以外の時間はなるべく予定をあけるようにして、彼と出かけられる日にしてみたり、電話やメッセージのやりとりも、寝不足になりつつも出来る限りしたつもりだった。  そして、彼と過ごしている間は彼だけを見て、彼が喜ぶような事も積極的にするようにしていた。 (つまり、そんなんじゃ好きって事にはならないのか……)  瑞季は決してその後輩の事を想っていなかったわけではない。  ちゃんと彼の事を愛しく思っていたし、だからこそどうすれば悲しませずにいられるのかをひたすら考えたりもした。  瑞季は"バカ"がつくほどの水泳好きだが、"バカ"がつくほどの正直者でもあった。  だから、好きでもない相手を抱きしめたり、好きでもない相手に好きだなどとは言えない。  瑞季はちゃんと、彼の事を好きだと思っていたのだ。  だが後輩の言葉によれば、それは彼の思う”好き”という形の条件を満たさなかったらしい。 (じゃあ、好きってなんなんだろうな……)  瑞季にとって、その後輩は初めての恋人というわけではなかった。  同性の恋人としては初めての相手であったが、恋人という関係を結んだ相手は彼以外にもいた。  だが、今よりもより子供であった当時の瑞季に、その関係は重すぎたのだった。  だから度々、恋人同士となった女子たちからは、やはり散々な事を言われてきた。そして、結末はいつもこんな感じだった。  そんな瑞季はその度、無理をしてデートの為に作った時間を、好きな事をする時間にあてていればよかったと後悔するのだった。 (それも、ひでぇ話か……俺、結構最低な人間だなぁ)  瑞季は自嘲気味にそんな事を考え、目を閉じる。 (わかんねぇなぁ、やっぱ)  これで、こうなるのは何度目かは分からないが、やはり美鶴がそうしたように、自分も恋人など作らない方が良いんだろう。  瑞季はふと、そう思った。 (そうしよう……そうすればきっと、もう誰も悲しませないし……)  瑞季は心の中でそう結論を出し、夜風に耳を澄ませた。  すると、夜風と共に規則正しい美鶴の呼吸音が聞こえ始めた。  瑞季はその音に心地よさを感じながら、ゆっくりと眠りについた。  

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