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第六話『 初めての恋 』 下
「俺、自分は美鶴の事どうしたいんだろうって、ずっと考えてたんだけど、まず、独占したいわけじゃないんだなって気付いてさ。だから俺は、美鶴とは恋人なんかにはならなくてもいいんだ。――そりゃあもちろん、美鶴と恋人同士になれたら嬉しいよ。でも、なれないからって落ち込んだり、逆恨みしたりなんかしない。――俺は、美鶴の中で一番になりたいと思ってるわけでもないんだ。――それと、俺の事を恋愛的に好きになってくれとも思ってない」
そして、瑞季がそこでひとつ言葉を区切ると、美鶴は不安そうな表情のまま尋ねた。
「……それってつまり、恋愛的に好きだけど友達のままでも満足できるって事?」
すると瑞季は、それに迷わずそれに頷いた。
美鶴は、そんな瑞季にやや戸惑った。
これまでの人生で、そんな事を言う人間に出会わなかったからだ。
それゆえに美鶴は、戸惑いながらも更に尋ねた。
「それって、辛くないの……?」
すると、瑞季はまたすぐに頷いた。
だが、そうした後に苦笑して言った。
「まぁ、怪しまれるのは分かるよ。普通に考えたら、そんなのやっぱ変だもんな。俺も、自分で変だなって思うし……。――でも嘘じゃない。俺自身もよく分かんないけど、なんでか本当にそれを辛いと思わないんだ」
しかし、そんな上向きな言葉を聞くも、美鶴は未だ不安げな表情のまま言った。
「それってさ、実際にその辛さを感じてないからじゃないのかな……。――だって俺、もんちゃんの事、この先もずっと恋愛的に好きになる事ないんだよ? それって、好きな人が永遠に振り向いてくれないって事だよ? そんな相手と一緒にいて、もんちゃんはしんどくないの?」
すると瑞季は、頭を軽く掻きながら苦笑して言った。
「うーん、そうだな……。――俺は、お前に振り向いてもらえないとか、恋人になれないって事なんかより、美鶴と一緒にいられなくなる事の方がしんどいって思うんだよな」
そんな瑞季に対し、やはり戸惑いながらも美鶴は確認するように尋ねた。
「つまり……、ずっと一緒にいられるなら、友達のままでもいいって事?」
瑞季はまた頷くようにして答える。
「あぁ、そんな感じだな」
「……そう、なんだ」
すると美鶴は、これまでの瑞季の言葉を反芻しているのか、また少し考え込むようにして黙した。
そして、少しばかしの沈黙の後に言った。
「――うん、わかった」
すると今度は、瑞季がその言葉に首を傾げた。
「え?」
美鶴は、そんな瑞季を真っ直ぐ見据えて続ける。
「俺、今もんちゃんが言ってくれたこと、全部信じる」
「美鶴……」
瑞季はそこで、安堵したように美鶴の名を呼んだ。
すると美鶴は、また小さく息を吐くようにして笑んだ。
そして、少し表情を引き締めるようにしてから言った。
「でも、もしそれが嘘だったとしても、どっちにしても俺は恋人にはなれないから。それだけは、頭に置いておいてほしい、かな」
瑞季はそれにしっかりと頷く。
「あぁ、わかった。ちゃんと頭においとく。――話、信じてくれてありがとな」
美鶴は、そんな瑞季の言葉に緩く頭を振った。
そして、申し訳なさそうに言った。
「ううん。――でも、もんちゃんの気持ちに応えられない事は、本当にごめん。それと、俺はやっぱり、もんちゃんにはちゃんと恋愛できる人を好きになってほしいって気持ちがあるんだ。――だから、もしこの先、ちゃんと他に好きな人ができたら、その時は俺の事はちゃんと忘れて、その人と幸せになってね」
瑞季は、そんな美鶴の言葉にもしっかりと頷いた。――というわけにはいかず、残念ながら瑞季は、
「え、あ~……お、おう」
という、先ほどとは打って変わった、なんとも揺らぎしかない応答をした。
「ふふ」
美鶴はそんな瑞季に、少しおかしそうにして苦笑した。
瑞季はそれにより更に動揺したが、なんとか問い返した。
「な、なんだ?」
すると、美鶴は苦笑しながら答える。
「もんちゃん、ほんと嘘つけないよね。今の返事こそ頑張って取り繕わないと、俺、また不安になっちゃうでしょ」
「あっ、そ、そうか」
そうして、頭を掻きつつ失敗したといった表情をする瑞季を見て、美鶴はまた苦笑する。
「ふふ、もう」
そして、ひとり言を言う様な口調で言った。
「ほーんと、もったいないなぁ」
瑞季は、それに困惑しつつもまた問い返す。
「何がだ?」
すると美鶴は、変わらず苦笑しながら答えた。
「もんちゃん、こんなに正直者で優しくてかっこいいのに、俺みたいの好きになっちゃってさ……。――お願いだからちゃんと恋できる人に恋してよね」
そんな美鶴の言葉を受け、瑞季は少し不満げに言った。
「そんな事言われても、好きになっちゃったんだからしょうがないだろ。――それに、そんな事言うなら、美鶴こそもうちょっとその魅力減らしておいてくれよ」
美鶴はそれを受け、今度は少しおかしそうに笑った。
「あはは、何それ。俺はいつだって素だったもん。魅力アピールなんてしてないよ?」
すると、瑞季は負けじと言い返した。
「知ってます~――っていうか俺は、その“素”に堕ちたんです~。だから美鶴が自分でその魅力を隠してくれないと堕ちちゃうんです~」
だが、美鶴もそれに負ける事なく、大袈裟に溜め息をつくような素振りで言った。
「もぉ~、駄目だなぁ。もんちゃんてばほんっとチョロ屋さんなんだから~」
「なんだチョロ屋さんて……」
そして、そこでつけられた妙な肩書きを瑞季が拾い上げると、美鶴はやれやれと言った様子で答えた。
「もんちゃんみたいに優しくて純粋な人の事かな~」
「それ、一応褒められてるんだよな……」
そんな美鶴の回答を受け、瑞季はその肩書きを訝しむようにしつつも、希望を込めてそう尋ねた。
だが美鶴は、
「え? 全然?」
と、その希望を打ち砕いたのだった。
その為、あまりの事に瑞季は思わず大きく問い返した。
「えぇっ!? そこは褒めてるって言うとこじゃねぇの!?」
美鶴は、そんな瑞季の相変わらず優秀なリアクションを楽しげに笑った。
そして、すっかりいつもの元気を取り戻した様子の美鶴は、そこでひとつ申し訳なさそうに続けた。
「ふふ、――なんてね。でも言ったでしょ。もんちゃんは俺には勿体ないよって。――そう思ってるのは本心だよ。――でも、それなのに、そんなもんちゃんの気持ちに応えてあげられなくて……、本当にごめんね……」
すると、今度は瑞季が苦笑した。
そして、美鶴を安心させるようにして、穏やかに言った。
「もうそれはいいんだって。――つか、美鶴はもう謝らないでくれよ。俺はさ、こうして美鶴といられるだけで満足してんだから。それに、俺こそごめんな。考えなしに勝手に色々言って、誤解させたままにして苦しめて……」
美鶴は、そんな瑞季の言葉に頭を振る。
「ううん、もう大丈夫だから。それに、俺だって好きだって言ってもらえるのは素直に嬉しかったから。――だから、こんな風に言うのは変だけど、好きだって思ってくれて、本当にありがとう」
そして、そう言った美鶴は微笑んだ。
それは、今まで通りの美鶴の笑顔だった。
瑞季はその事に安心し、微笑み返して言った。
「ん、こちらこそ。――そう思ってくれて、ありがとな」
すると、美鶴はひとつ頷いては笑った。
そうしてその晩をきっかけに、二人はいつも通りの日常に戻る事ができたのだった。
また、その日。
それから二人は少し遅めの夕食を楽しんだ。
瑞季はそこで、そうして美鶴と肩を並べ、笑顔の美鶴と共に食事ができる事の幸せを改めて感じていた。
そしてそんな中で、今朝の自分はこの幸せを壊そうとしていたのだと思い至り、酷く恐ろしくなった。
もしもあの時、本当に美鶴に嫌われてしまっていたら、こうして笑い合って過ごす時間は永遠になくなっていたのだろう。
だが、今回はなんとかそうならずに済み、またこうして美鶴と笑い合う事ができている。
瑞季はそれを、何よりも幸せだと思った。
たとえ恋人になどならなくとも、こうして笑い合い、言葉を交わし、共に過ごすことができるのだ。
ならば自分は、美鶴を独占できるという未来への選択肢より、こうして美鶴が心置きなく笑顔を向けてくれる未来への選択肢を選びたい。
瑞季は、心からそう思った。
そんなその日の晩は、お互いに少しだけ早い時間にベッドに入り、眠りにつくまでの時間を穏やかに過ごす事となった。
そんな中で、互いに向かい合うようにしてベッドにうつぶせになっている美鶴へ、瑞季はふと思い至った事を尋ねてみた。
「なぁ美鶴。もし、嫌だったら教えてくれなくてもいいんだけどさ」
「うん? なぁに?」
すると美鶴は、布団のぬくもりですっかり緩んだ様子で応答した。
瑞季は、そんな美鶴を愛おしく思いながら続けた。
「美鶴はさ、その中学の時の事が原因で、この先自分を好きになった人には必ず嫌われるような気がして、それで恋人になるとか、恋愛するのはもうこりごりって思ってるんだよな」
すると美鶴は、それに頷くようにして答える。
「うん、大体そんな感じかな。でも今は誰彼構わずっていうより、親しい人と恋愛関係になるっていうのが怖いのかも」
「親しい人と?」
「そう」
瑞季が復唱するようにして首を傾げると、美鶴は頷いた。
そして、少し考えるようにしながら言葉を紡ぐ。
「――まぁ、親しいって言っても、流石に家族とそうなる事はないから、――ここで言うのは例えば、仲良くしてる友達とか、そういう家族以外の大切な人と恋人や恋愛関係になるのが怖いって感じ」
瑞季は、それに対し更に問う。
「それは、どうして?」
すると、美鶴はそこでひとつ唸り、考えるようにしながら答えを紡いでゆく。
「う~ん、なんだろ。――恋人関係ってさ、結婚とかしない限りはいずれは終わっちゃうことが多いでしょ?」
「あぁ」
「でも、友達のままなら終わりは来ない。――ただ、一度恋人になっちゃったら、終わりの可能性は一生ついてまわる。しかも、終わった後は友達に戻れないことがほとんどだし、知り合いにとどまるならまだしも、最悪の場合、嫌われたりするでしょ」
「……確かに、そうなる事もあるな」
「うん――だから俺、大切な人ほど恋人関係にはなりたくないんだ。――全然知らない人ならまだしも、そういう大切な人に嫌われるなんて、絶対耐えられないもん。――俺は大して強い人間じゃないから、大切な人との終わりなんて考えたくないし、大切な人とはずっと一緒にいたい――だからこそ、そういう人たちとはずっと友達のままがいいんだ……」
「そうか……だから、恋愛感情を抱かれたくなかったんだな」
「うん……」
瑞季は、そんな美鶴の気持ちをゆっくり飲み込んでいった。
そして、改めてその理由を聞いた事で、今度ははっきりと、美鶴が恋愛を恐れる気持ちを理解できたような気がした。
「これはほんと、ただの俺のワガママなんだけどね……――でも、だからこそ俺は、もんちゃんとも友達のままでいたいんだ」
瑞季は、そうして言葉を締めくくった美鶴に微笑み、そこで思った事を素直に口にしようとした。
「……そっか……それなら俺も――ん? でもそれって……」
だが、その途中で少し気になる事ができた瑞季は考えるようにした。
「ん?」
美鶴はそれに首を傾げて応答する。
「あ、いや……なんでもない。その、美鶴の思ってる事知れてよかった。ありがとな」
しかし瑞季は、その事を素直に告げるのをやめた。
そして、妙に思われないように話を戻し、礼を言った。
すると、特に訝しむ事もなく、美鶴も笑顔を返した。
「ううん、こちらこそ。聞いてくれてありがと」
そして二人は、それからまた少しの団欒を楽しんだ。
「――そろそろ寝るか」
だが、そろそろ本格的に夜更けになるという頃合いに美鶴があくびをしたので、瑞季はそこで団欒を切り上げる提案した。
「うん」
すると美鶴は、それにゆったりと頷いた。
瑞季はまた、そんな美鶴を愛おしく思いながらも就寝の挨拶を告げる事にした。
「おやすみ、美鶴」
「うん。おやすみ、もんちゃん」
そして、瑞季に挨拶を返した美鶴は、その後ゆっくりと眠りに落ちて行った。
瑞季は、そんな美鶴の呼吸音を耳にしながら、その後も少しだけ思考を巡らせていた。
瑞季の脳内では、先ほど交わした美鶴との会話が思い起こされている。
――だからこそ俺は、もんちゃんとも友達のままでいたいんだ
美鶴は先ほど、大切な人々とはずっと一緒に居続けたいからこそ、そういった人々と恋愛関係に発展したくないと言っていた。
そして、瑞季ともそうでありたいから、友達のままでいたいとも言っていた。
つまりそれは、美鶴が瑞季を“大切な人”としているという事なのだろうか。
瑞季は、先ほどからその考えが頭の中を巡っており、なかなかにして落ち着けずにいた。
瑞季がすぐに寝付けなかったのもそのせいだ。
瑞季はここ最近で、美鶴に対してあまりにも失態を繰り返してしまった。
それゆえ、美鶴の中での自分の株は、酷く落ちてしまっただろうと瑞季は思っていたのだ。
だが、美鶴の言葉をそのまま受け取ってよいのならば、少なくとも瑞季は、美鶴にとって親しい友人であるという位置に置いてもらえているという事になる。
その日に瑞季が美鶴に告げた言葉は、全て本心からのものだ。
美鶴と一緒にいる事ができるのなら、恋人になってくれなくとも、自分を恋愛的に好きになってくれなくとも構わない。
ただただ美鶴のそばにいられて、美鶴の笑顔を見ていられるのなら、自分はそれだけで満足できる。
瑞季はそれを確信していた。
ただそれは、恋をしている人間が思うような事ではないのだろうという事もまた思っていた。
だが、本心からそう思っているのだから仕方がない。
恐らくこれが、美鶴に恋をした場合の瑞季の恋の形なのだ。
たとえ自分のものにならなくとも、そばで笑ってくれているなら構わないと思える。
普通ではなかろうが、それが今の瑞季の本心なのだ。
つまりそれは、美鶴がそう思わせてしまうほど強く、瑞季の心を射止めてしまったという事である。
そして、そんな風変わりな恋がまさに、瑞季にとっての、初めての本気の恋となったのであった。
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