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第七話『 気になる彼 』 上

      「そういや、どう? あれから順調か?」 「じゅ、順調というか、はい、普通に過ごせてます」 「そっか」  放課後、屋上へと続く階段の踊り場で、瑞季(みずき)晃紀(こうき)は肩を並べながらそんな会話を交わしていた。  そして瑞季の返事を聞いた晃紀は穏やかに笑み、安心したようにそう言った。  外では蝉たちがけたたましく命を奏でている。  それは、そうしてすっかり夏らしくなってきた日の事であった。     ― 虹色月見草-円環依存型ARC-ツキクサイロ篇-Ⅰ❖第七話『気になる彼』 ―     「ヨールー! わっしょーい」 「おわっ」  背後からあだ名を呼ばれ、学内の廊下で突然のしかかられた瑞季(みずき)は思わず驚きの声をあげた。 「実和(みちか)、お前通り魔かよ」 「ふっふ~、ヨルは反応が良いから楽しいね~」  驚きのままに瑞季が背後を振り返ると、先ほどのしかかってきた生徒が軽やかに跳ねるように身を離し、楽しそうにそう言った。そんな彼の後ろには晃紀(こうき)が立っていた。  どうやら瑞季に突然のしかかってきたのは、晃紀のクラスメイトであり、二年生の幸神(さいのかみ)実和だったらしい。彼は瑞季の事を”ヨル”というあだ名で呼んでいる。  そんな実和は、春ごろまでは垂らしていた後ろ髪を結び、その黄緑色に染め上げられた髪を夏らしくまとめていた。その後ろ髪は、彼がぴょんぴょんと跳ねる度に楽しそうに揺れている。高身長な実和だが、その動作はまるで小動物のようである。 「ヨルが俺らの階にいるの珍しいね~」  そんな実和は身に着けた装飾品を軽やかに鳴らしながら、落ち着きのない動作で瑞季に尋ねた。彼もまた、美鶴とも親しくしている二年生なのだが、美鶴と実和の二人が揃うとお互いに落ち着きのない様子で会話をし始めるので、この実和は内面的な部分で美鶴と波長が合うのだろうと瑞季は感じていた。 「確かに珍しいな。どうした? 誰かに用か?」 「あ、はい」  彼らの所属する白狐(びゃっこ)学園は、学年ごとに教室のある階が違う為、一年生は上級生に用でもない限りは二階以外の教室区画にいる事は少ないのだ。  その為、その時の瑞季もまた晃紀が言った通り、水泳部の副部長に用事があった為に二年生の教室区画へと来ていたのだった。 「あの、今って伊崎(いさき)先輩いらっしゃいますか?」 「あぁ成吾(せいご)か、ちょっと待ってな。今呼んでくる」 「すんません。ありがとうございます」 「おう」  そしてその後、晃紀に呼ばれた水泳部副部長、伊﨑成吾に無事に借りていたものを返すことができた瑞季は、改めて晃紀に礼を言った。 「ありがとうございました」 「おう。あぁそうだ桜、この後って時間あっか?」 「え? はい、大丈夫です」  その日はすでに学期末の試験期間に入っていた為、再び部活動は休止期間となっており、プールの立ち入りも禁じられていた。それにより、いつもならすぐに部活動へと参じていた瑞季も、放課後は暇ばかりという期間となっていた。 「じゃ、ちょっと付き合って」 「あ、はい」  瑞季が頷くと、晃紀は先導するように歩き出したので、瑞季もまた、なんだろうと思いながらも彼の後に続いた。  そうして晃紀によって瑞季が連れ立たれた先は、あまり生徒が使用しない階段途中にある踊り場であった。  屋上に通じているうちのひとつであるその階段の踊り場で晃紀は足を止め、壁に寄り掛かるようにして口を開いた。 「ここでいっか。わりぃな時間貰って」 「いえ、大丈夫です。どうしたんですか?」 「あぁ、大したことじゃねぇんだけど、お前に謝っとかなきゃなって思ってさ」 「え?」  瑞季が相変わらず不思議そうにしていると、晃紀は続けた。 「いや、こないだ美鶴(みつる)に聞いたんだけどさ、前に二年の奴が美鶴に手ぇ出そうとしてたところにお前も鉢合わせたんだろ? そん時にお前も色々ヤな話聞いちまったって聞いてさ。あの二年のバカがそういう事したのって、俺が妙な場所使っちまったからじゃん? だから、原因のひとつとしてお前にも謝っておこう思ってな」 「えっ、いえそんな……あれは(まどか)先輩が悪いって言うより、そういう事する人間が悪いだけっすから」 「まぁそれはそうなんだけどな。俺も軽率だったなと思ってさ。――いずれにしても悪かったな。お前にも美鶴にも嫌な思いさせる事になっちまって」 「いえ、俺は全然。ほんと気にしないで下さい」 「ありがとな」  晃紀は瑞季の言葉を受け、少し申し訳なさそうにそう言った。  そして、少しその雰囲気を切り替えるようにして晃紀は続けた。 「そういや、どう? あれから順調か?」 「じゅ、順調というか、はい、普通に過ごせてます」 「そっか」  晃紀はそんな瑞季の言葉を受け、安堵したように微笑んだ。 「あぁそうだ。それと、お前にも一応言っとくな」 「なんですか?」 「俺と美鶴の事だけど、俺らはもう体の関係は持ってねぇから」 「えっ……」  瑞季は晃紀の言葉を受け驚いた。そして少しの罪悪感を覚えた。 「それって……もしかして俺のせいでしょうか。俺が先輩にあんな相談したから……」 「あ~違う違う。早まりなさんな」 「……?」  瑞季が罪悪感を覚えたのは、自分が晃紀に美鶴への気持ちを相談したせいで、美鶴と晃紀とのそういった関係を壊してしまったのではないかと思ったからだった。  瑞季は確かに美鶴の事が好きだ。だが、それと同時に、美鶴の大切な関係を壊すことはしたくないと思っていた。  例えそれが体の関係であったとしても、美鶴にとってそれが大切なものならば、自分の為に断たれるなど絶対にあってはほしくないと思っている事だった。 「あんな、美鶴とそういう関係じゃなくなったのは、お前のせいでも美鶴のせいでもなくて、俺のせいなの」 「先輩の?」 「そ、こうなったのは単純に、俺の下半身が誰かさん専用になったからってだけ」 「……なんと」  晃紀の言葉によればそれはつまり、晃紀に恋人ができたという事なのだろう。  これまでの晃紀の下半身は、随分と奔放(ほんぽう)に生きてきたという事を聞かされてきた為、瑞季はその事実に驚き、妙な返答をする事となってしまった。 「そ、なんとな。だから美鶴とは今まで通り、優しくて頼りがいのあるイケメンの先輩様と後輩っていう関係ではあるけど、ベッドでの上下関係はなくなったから、もし桜が嫉妬に狂うお年頃になったとしても、俺は対象外でよろしこ」 「あ、は、はい。多分嫉妬とかはしないと思いますんで、どっちにしても大丈夫です」  瑞季はまだ驚きに包まれたままではあったが、その中で美鶴の事が少し心配になった。  以前、美鶴が手当たりしだいの人間と体の関係をもっている、というようなウワサを流す奴らがいたが、それはデマだ。  確かに美鶴は恋人ではない相手と体の関係は持っていたが、この学内でそういう関係にあるのはこの晃紀と、先ほど瑞季にのしかかってきた実和とだけだ。  そして、恋人ではないにしろ、その人物と体の関係まで持っているという事は、少なからず美鶴がその相手に並み以上の信頼をおいているという事だ。  だから、そんな相手のうちの一人が少し遠い所にいってしまうというのは、美鶴にとってはどうなのだろうか。体の関係をもつというのは、人肌が恋しくてという場合もあると聞いた事がある。  ならば、美鶴は晃紀の存在がその枠からなくなる事で寂しい思いをしたりすることはないのだろうか。 「あ、あの」 「ん?」 「美鶴は――」 ――寂しがってはいませんでしたか?  瑞季はふいにそう尋ねようとして、咄嗟に言葉を呑み込んだ。  美鶴の事を考えればこその問いかけだったが、せっかく恋人ができたという人間にそんな事を訊くのは野暮(やぼ)だ。  晃紀だって美鶴を大切に想っていた中の一人だ。それは自分が相談にのってもらっていた中でも、美鶴の話からでもわかった事だ。だからこそ、美鶴もあそこまで信頼をおいているのだ。  だから決して、晃紀は美鶴をないがしろにしたわけではない。ならば、そんな事は訊くべきではない。 「あぁいえ、すいません。なんでもないです」 「そうか?」 「はい」 「そっか。――にしてもお前さん、やっぱ変わってるな」 「え?」  何に対してそう言われているのか、瑞季が検討をつけられずにいると、晃紀は続けた。 「好きな相手と他人が体の関係もってる事を知って、文句とか、敵対心のひとつもないのもそうだけどよ、――そんな二人から体の関係がなくなったって事で喜ぶならまだしも、不安になるような奴そうそういないぜ?」 「あはは。そこは、俺自身もよくわからないなと思ってます」 「まったくな。今更だけど、マジでなんとも思ってなかったわけ?」 「そう、ですね。なんていうか、美鶴がそうしたいと思ってる人とそうしてるんなら、俺は別に」 「はぁ、健気(けなげ)って言ってやりてぇけど、やっぱ“変わってる”の方が合ってるかもな。ま、イイ意味で、だけどな」 「はは、ありがとうございます」  晃紀と瑞季はそう言ったところで少しだけ笑い合った。 「そうだ桜、もしまた上級生が美鶴に無理やり手ぇ出すようなことあったら、そん時は言ってくれ。前の奴は二度としねぇと思うけど、別の奴でまたなんかあった時は、俺がちゃんと言い聞かせとくから」 「あ、はい。ありがとうございます」  瑞季はそこで、“前の奴”と言われたあの先輩が、晃紀によりどのような罰を受けたのだろうと、晃紀への謎が深まるばかりであったが、その疑問もまた胸の内にしまっておくことにした。何故だかわからないが、聞いてはならないような気がしたのだ。 「っし、ほんじゃ戻るか」 「はい」  晃紀は寄り掛かっていた壁からすっと身を離し、そう言った。  瑞季がそれに頷くと、二人で階段を下りていった。  その後、晃紀と別れた瑞季は、そのまま寮棟へと向かった。      

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