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第九話『 愛に逢いて 』 下
「それ、俺じゃないっすね」
「ええぇ!?」
瑞季はそこで再び青ざめる事となった。
あれは真智がつけたものではないという。――ということは、である。
(やっぱ殺される……?)
「夜桜さん、確か洋介 の事は美鶴から聞いてるんすよね」
「は……はい……」
「んと、じゃあそのキスマークつけたのは多分その洋介っす」
「や、やっぱりそうなんですね……」
「……え、なんで泣きそうな顔してるんすか」
「いえ……やっぱ殺されるんだなと思って……」
「………………ッ、ははっ、夜桜さん、洋介にもそんな事思ってたんすか?」
「だ、だって鉄パイプで殴られてもびくともしないって……」
「あぁ、まぁ、それはそれで事実っすけど」
それを聞き、更に瑞季が青ざめてしまったので、真智は笑いながら言い添える。
「でも、洋介も別に夜桜さんを殺したりなんてしないっすよ。俺も洋介も、美鶴とは付き合ってないんで……――でも、なんでキスマークでそんな事まで考えちゃったんすか?」
「あぁ、それは――」
瑞季はそこで、直前の大航海で得た雑学を早速披露する事となった。
「はぁ、なーるほど。なんか確かにそう言うのも聞きますね……でも俺も洋介も、美鶴に痕つける事はあったとしても、そういう意図はないっすよ」
「そうなんですか……?」
真智はそこで静かに頷いた。
瑞季はそれにより、やっと心から安堵する事が出来た。
だが、それと同時に瑞季の心には懺悔の念が芽生え始めていた。瑞季はそれを素直に口に出すことにした。
「でも……やっぱ俺、お二人にとって邪魔な存在じゃないですか?」
「……どうして、そう思うんすか」
「俺、美鶴から中学ん時の事も色々聞いたんです。――で、その時に美鶴をそばで見守ってたのは八雲さんだったって聞いて……それと、美鶴が誰かと恋愛関係になるのを怖がってる事も聞きました。だから、そんな美鶴のそばに俺みたいなのがいたら、俺が美鶴を傷つけるんじゃないかとか、不安かなって思って……」
「………………」
瑞季の言葉を静かに聞いていた真智は、瑞季の言葉が途切れると共に目を伏せ、少し沈黙した。
それからひとつ息を吐いて、言葉を紡ぐ。
「確かに……不安でしたよ。美鶴から初めて夜桜さんの事聞かされた時は、気が気じゃなかった――でも、美鶴から話を聞く度に、そんな不安もなくなってったんすよ」
「……え?」
驚いたように顔をあげた瑞季に苦笑し、真智は続けた。
「美鶴はいつも、夜桜さんの事優しい人って言ってました。ただ、無条件に優しい奴ほど裏がどす黒かったりするんで、俺としてはかなり警戒してました。……でも、初めて直接会った時、なんとなく本当に"いい人"なんだなって感じたんすよね」
俺が言うのは失礼かもしれないっすけど、と真智は付け足して首を傾げるように苦笑した。その表情は、何やらあどけないような、柔らかなものだった。
瑞季はそれに対し、いえ、と否定しながらも、真智のその雰囲気にあたたかなものを感じた。
「それで、いつかちゃんと話せたら、夜桜さんの事を俺もちゃんと知った上で見ていけるなって思ったんですよね」
「そうだったんですね」
真智はまた黙したまま頷いた。
つまり、唐突ではあったが真智が突然瑞季をこの家に連れ立ったのも、彼なりに瑞季を知り、己の誤解からなる不要な不安を捨て去る為だったのだろう。
「夜桜さん」
「はい?」
「夜桜さんは、美鶴のこと、恋愛的に好きなんですよね」
「………………はい」
そんな瑞季の返答を受け、真智は手元のグラスを少し揺すったあと、そっと口を付けた。
真智の持つそのグラスからは、はたはたと水滴が落ちていった。その様子を眺めつつ、瑞季は真智の言葉を待つ。
そして、真智は静かに口を開いた。
「でも、夜桜さんは付き合いたいとは思ってなくて……美鶴と一緒にいられればそれでいい、――とか」
「……はい」
「本心から、そう思ってるんすね」
「……はい」
「そっか……」
優しく呟くようにそう言った真智は、お互いのすぐ横にあったベッドに頭だけを乗せるようにして、そちらへ体を預けた。
そして、そのまま目線だけを瑞季に向け、穏やかな表情で言葉を続けた。
「ねぇ夜桜さん……夜桜さんは、美鶴のどこが好きなんすか……?」
「……色々……あるんですけど……」
瑞季は少し照れたように頭をかき、様子をうかがうように真智に視線をやる。
そんな視線を受けた真智はまた微笑み、頷くようにゆっくりとひとつ瞬きをした。
それに背を押されるようにして、瑞季は言った。
「美鶴の……笑顔が、一番好きです……美鶴の笑顔を見ると、嬉しくなるって言うか……」
相変らず照れくさそうに、それでいてどこか嬉しそうにしながらそう言う瑞季に、真智はくすりと笑う。
そして満足そうな表情で、
「すっげぇわかる……」
と言った。
その一言で、瑞季もまたなんとなく嬉しくなり、真智に答えるように笑った。
「ん、良かった」
「え?」
真智がすっと体を起こして、片膝を抱え、そこに頬を預けるようにして言った。
「美鶴が、"ルームメイトがもんちゃんで良かった"って言ってたんすよ。――で、俺も今、そう思いました」
「………………」
真智はそう言うとすっと顔を上げ、瑞季をまっすぐに見た。
そして、
「夜桜さん……俺は、美鶴の事がすっげぇ大事なんです……だから、夜桜さんも美鶴の事好きだって思ってくれてる間は、あいつの事、めちゃくちゃ大事にしてやってください」
と言って微笑んだ。
その笑顔は、初めて真智と会った時に彼が美鶴に向けていた笑顔と似ていた。
そしてそれは今、瑞季に向けられている。瑞季はその笑顔に少しどきりとしながらも、微笑み返して頷いた。
「はい、もちろんです」
それから少し笑い合った後、真智が伸びをした。
「は~ぁ、やっぱちゃんと話さねぇとダメっすね。色々誤解しててすんませんした」
「えっ、い、いえ! 俺はどっちかっていうと今すごい満足してますから」
「え? 満足?」
「はい」
瑞季の言葉に、真智は首を傾げた。
それはどういう事なのかと表情で問うている真智に、瑞季は屈託のない笑顔で言った。
「俺、ずっとお二人に迷惑かけてるんだろうなって思ってたんで、ちゃんと謝りたかったんです。だからこうして話せて良かったなって。――それと、八雲さんて凄い美人なんで、今日はそんな八雲さんの笑顔も沢山見れたし、俺にとってはラッキーな日でした。だから大満足……って、あれ、八雲さん?」
「………………」
瑞季が一切の曇りもない本心をストレートに言葉にしたところ、全てを言い終える頃には眼前の真智はすっかり顔をうつむけてしまっていた。
一体どうしたのかと真智の様子を伺おうとした瑞季は、そこでなんとなく真智の様子を悟り少し驚きつつ言った。
「えっとー……大丈夫、ですか……?」
「………………だろ」
「え?」
瑞季は、何かを言ったらしい真智の言葉が聞き取れず、様子を伺うようにしながら疑問の意を声にした。
すると、それにはじかれたようにばっと顔をあげた真智は、すっかり頬を紅潮させたまま声を張り上げた。
「アンタなぁ! それは俺に言う事じゃねぇだろ! そういうのは俺じゃなくて美鶴に言えよ!! 俺はそういうの慣れてねぇんだよ!! その天然、次発揮させたらマジで殴るからな!!」
瑞季は、先ほどの大人っぽい雰囲気と打って変わった真智の様子に驚いたが、それと同時になんとなく悪戯心が刺激され、からかうようにまた本心を声にしてみた。
「あはは、八雲さんて結構照れ屋なんですね。そういうの可愛いって言われません――」
「やっぱ今殴る」
「す、すいません! 調子のりましたマジで勘弁して下さい!」
「……次やったらそのケツ蹴り飛ばすかんな」
「はい!! もうしません!!」
「ならいい……」
「は、はい! すいませんした!」
「はぁ……でもまぁ、あーなんつぅか一応その」
「……?」
未だ不機嫌そうな表情の真智であったが、そのまま目を反らしながら何かを言おうとしているようだった。
瑞季がそれを不思議に思い、その様子を見守っていると、真智は眉間に皺を寄せながら小さな小さな声で、
「褒めてくれたんは……ありがと……」
と言った。
「………………」
そして、その真智の礼を受け、瑞季は呆気にとられながら真智を見た。
「んだよ」
「い、いえ………………」
瑞季はその日、これまでのやり取りで真智との距離が少し縮まったような気がして嬉しく思っていたのだが、その日の彼の成果はそれだけにとどまらなかった。
(これが………………ツンデレか……)
瑞季はこうしてその日、ツンデレの良さをも痛感したのであった。
そうして瑞季 は、それから少しだけまた真智 と雑談を交わした後、空が夕焼けから夜空に移り変わる頃合いに真智の家を出て、寮へと戻ったのであった。
「ただいま、美鶴 。もう帰ってたんだな、仕事お疲れ」
その日、瑞季がそうして無事に寮へと帰還すると、すっかりリラックスした様子の美鶴がおかえり、と出迎えてくれた。そんな美鶴はベッドに体を横たえたまま出迎えてくれたのだが、挨拶を交わしあった後も何やら意味深な笑みを浮かべたまま瑞季を見ていた。
「な、なんだ?」
そんな美鶴の様子に気付いた瑞季は、理由がわからず戸惑った様子でそう言った。
すると美鶴はスマートフォンで口元を隠し、やや頬を赤らめながら嬉しそうに言った。
「う~ふ~ふ~、良かったねぇ~もんちゃん~」
「な、何がだ……」
そんな美鶴の様子に更に混乱した瑞季は動揺を隠せずにそう言った。
すると、美鶴は相変わらず嬉しそうにしながら言った。
「もんちゃん、真智の顔、前から結構好みだったでしょ」
「!?」
瑞季があまりの驚きに声を出せずにいると、美鶴がまた楽しそうに続けた。
「もんちゃんわかりやすいもん。す~ぐわかるよ」
「ま……まじすか」
「まじっす」
瑞季はその言葉を受け、やや懺悔するような心持ちで言った。
「……う……、た、確かに八雲 さんは美人だと思う……でも俺は別に――」
「あ、違うよ~」
「え?」
「ごめんね、そういう意味じゃないよ」
「?」
美鶴は瑞季の心を察したのかすっと身を起こし、立ったままうなだれていた瑞季の元までやってきた。
「今日、真智と二人で話してきたんでしょ」
「あ、あぁ……聞いたのか?」
「うん、さっき真智から謝罪メッセきてたから」
「え、謝罪!?」
「うん、勝手にもんちゃん捕獲した上に、勝手に色々話したりしたからごめん、て」
瑞季はそれを聞いて慌てた。
彼は決して悪いことなどしていない。瑞季はむしろ、今回真智とも話ができて良かったと思っているのだ。
「そんな……八雲さんは美鶴のことを思って――」
だが、そんな瑞季の気持ちをも察したのか、美鶴はふと笑って言った。
「うん、大丈夫。俺もちゃんとわかってる。だからそうやって伝えておいたよ」
「……そっか。でも、俺の方こそごめん……美鶴に先に言わないで話してきたりして……」
「ふふ、俺は嬉しいよ」
「え?」
瑞季がそうして不思議そうにしていると、美鶴は柔らかく微笑んで続けた。
「真智はね、俺にとってすっごく大切な人だから――だから、もんちゃんに怖がって欲しくなかったんだ。でも、俺がいくら話しても、やっぱ実感わかないとそういうのって難しいでしょ? だから、こうして二人が面と向かって話してくれて、お互いにちゃんと知り合ってくれたのは、俺、すごく嬉しい」
「美鶴……」
美鶴の言う通りだ、と瑞季は思った。
きっと真智もそうだったのだ。瑞季が美鶴から真智の話を聞いて、色々と情報は知り得てはいたのだが、やはりどこか怖いというイメージはあった。それは恐らく、美鶴を奪う様な事をしているという気分であったのも要因だろうが、何よりも、八雲真智という人間を、ちゃんと知らなかったからこそだった。
そしてそれと同じように、真智も瑞季の事を美鶴からの話でしか知り得ていなかった。
だからどれだけ美鶴が瑞季を信頼していようとも、真智の不安は消えなかったのだ。
「俺も、話せて良かったよ」
瑞季がそう言うと、美鶴はまた嬉しそうに笑った。
瑞季はその笑顔を見て、改めて美鶴への想いを実感した。
きっと、愛おしいというのはこういう気持ちのことを言うのだろう。
瑞季はそう思いながらその晩もまた、その愛おしい彼に、笑顔を返した――。
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