21 / 30

第十一話『 共依存 』 下

「――そろそろ寝られますか?」  そしてその晩。  本家でも賑やかさが静まり、たまに猫たちの運動会が開催される瞬間はあれど、すっかり夜更けとなった頃、クロノが美鶴に声をかけた。  夕食後の穏やかな団欒の後、それぞれが寝室へ向かう頃に、美鶴もまた自分の部屋へと向かう。そして、クロノと猫たちとの時間を過ごすのが常だった。  そんな中、美鶴がひとつあくびをしたのを見て、クロノはそのように声をかけた。 「う~ん」  ただ、あくびは出たものの、美鶴としては寝るには少し早い時間だと感じていた。  しかし、 「……そうだね」  と、とある思いがあり、それに賛同する事にした。  そして、美鶴の部屋でくつろいでいる猫たちに小さく謝罪を述べながら、猫たちを部屋の外へと誘導する。天羽家では、基本的に睡眠は猫と人は別でとる事になっている。  その為、不満げにする猫たちもいるが、就寝の雰囲気を悟るとほとんどは自発的に寝床へと向かうのであった。  そうして、クロノが最後の一匹を廊下の方へと届けたところで、既にベッドに身を置いていた美鶴がクロノに声をかける。 「はいクロはこっちだよ~おいで~」  部屋の扉を閉めたところでそのように声を掛けられたクロノは、おかしそうに小さく笑いながら、はい、と言って美鶴の元へ歩みを進める。  クロノは美鶴が幼い頃から世話係を担っていた。また、美鶴が自室を与えられ、両親とは別の部屋で寝るようになってからは、クロノとともに眠る事が常だった。  そのせいか、現在に至るまでも、美鶴とクロノは同じ床で眠る事が当たり前のままになっている。 「――クロがモデルになったら絶対人気出ると思うけど、そうなっちゃったら忙しくてお互いに会えなくなっちゃうね」  向かい合うようにしてベッドに入ったところで、美鶴はふとそんな事を言った。 「ふふ、俺がその道に行く事はありませんが、そうなってしまっても、俺はすぐにその道を捨ててしまいますよ。坊ちゃんや天羽家の元に一時たりともいられない事があるような人生など、何の価値もありませんから」 「そっか……」 「はい」  そう言わせるように仕向けたわけではないのだが、美鶴はそんなクロノの言葉が酷く嬉しかった。 「でも、俺もその方がいい。クロがいないと、俺ダメだから。どこにも行かないでね」 「もちろんです」  そんなクロノの言葉に嬉しそうにはにかんだ美鶴は、真っ白なワイシャツのから覗く真っ白な胸元にすっと触れる。  その事から美鶴の心を察したらしいクロノは、美鶴の腰元に手を添える。  すると、クロノと視線を絡めた美鶴が、緩やかに笑んで言った。 「さっき寝るか訊かれた時、布団に入るのちょっと早いなって思ったんだ」 「おや……」 「でも、そうだねって言った理由、分かる?」 「……今、分かりました」  クロノはそう言うと、美鶴の頬を撫でるようにする。 「最初からそう言っても下さって良かったのに……遠慮なさってたんですか?」 「ふふ、そういう風にしたい気分だったんだよ」  美鶴がそう言うと、クロノは苦笑していった。 「俺も察しが悪いですね」 「そんな事ないよ。でも、察してじゃなくて勝手に興奮してくれるようになる方が嬉しいなぁ」 「坊ちゃんは酷く魅力的ですから、理性がなかったらもうそうなってますよ。ただ、それではお仕えする身として天羽家に顔向けができませんから」  そんなクロノの言葉に少し納得がいかないらしい様子の美鶴は、ひとつ唸ってから言った。 「クロは理性お化けだもんねぇ」 「ふふ、それは褒めて頂いてるんですか?」 「ん~半々かなぁ」  それにまたおかしそうにしたクロノは美鶴の額に口付けて言った。 「では今は少しだけ人間に戻ります」 「もう、全部でいいのに」 「駄目ですよ。全部戻ったら当分この部屋から出せなくなってしまいますから」 「あっはは、それもいいかも」 「坊ちゃんは俺の理性を試すのがお好きですね、……でも、まだ駄目ですよ」 「それ――」  クロノは愛おしそうにそう言った直後、美鶴の言葉を呑み込ませるようにして口付ける。  その不意の事に美鶴は頭が痺れるような感覚を覚えた。それは快楽と同種と言っても過言ではない感覚だ。  普段のクロノは常に美鶴に優しく触れる。強引な振舞いは一切しない。驚かせることもない。だが、こういう時だけは彼の“人間”の部分を少しだけ出してくれる。  美鶴の命令がなくとも言葉を遮り、呼吸を奪い、全身を捕える。彼はほんの少しだけその欲のままに行動してくれる。  美鶴はこの時のクロノに何よりも欲情させられる。  美鶴とクロノは恋愛関係にあるわけではない。だが、恐らくそのようなラインは超越しているのだろう。  この二人の間に愛情というものは確かにある。だが、愛情という言葉だけでは語りつくせぬ深い絆による信頼関係があり、どちらかといえば依存に近いような絆といえよう。  美鶴は、真智(まち)洋介(ようすけ)にも似たような感情を抱いている。だが二人とクロノとではひとつだけ違う点があった。  美鶴は、クロノにしか言えない事があった。それが、どこにも行かないでほしいという事だった。  これは、真智や洋介には言えない事だ。なぜなら彼らには、この先自分以外の人々と恋愛的に結ばれる可能性があるからだ。  彼らは美鶴と違い、恋愛にトラウマを持っていない。だからこそ、普通の恋愛をして、その先の幸せを得る事が出来る。  だから、その未来を奪う事になるかもしれない言葉は、どうしても伝えたくなかったのだ。  それが、クロノと真智、洋介の違いだ。  この三人は家族同様、美鶴にとって最もかけがえのない人々だ。本当は誰とも離れたくはないし、どこにも行ってほしくない。  だが幸せになってほしいとも思っている。  だからこそ、自分に縛り付けるような事は言えないし望めない。  だが、クロノは美鶴のそばにいる事こそが最上級の幸せなのだと言う。  また、自分がクロノに酷く依存しているのと同じように、クロノが自分に酷く依存している事も強く感じていた。  だからこそ、クロノにだけは醜い本心すらも言えるのであった。 「ン……」   舌を絡め取られるようにしながら、好きなようにされ始めた部分は溶け出す。寝間着代わりの浴衣など、すっかりただの掛け布だ。  そんな中、体のどこが熱いのかおぼろげになり始めた美鶴は呼吸を乱し始める。 ――理性を失ってしまったらどうなる事か……  その年にして得てはならぬと思うほどの妖艶さを帯びた主人を、その五感全てで感じながらクロノはひとつ思う。  理性のない状態の自分がどのようなものかはよく知っている。 ――きっと耐え切れず、果てには本当に食ってしまうかもしれない  淫らに濡れた三つの指を根元まで咥え込ませ、更に大きなものを欲しがるそこを嗜めるように丁寧に整えてやる。  唇や舌、指だけでしか触れていないというのに、これほどに興奮させられる。まだ、自分の核は煩わしいほどにいきり立つだけでどこにも触れていない。  クロノはそんな熱を抱えながら、先ほどの美鶴の言葉を思い出し、少し苦笑する。  最愛の主人である彼の望みであっても、それだけは叶えてやれない。 ――許して下さい。俺は貴方を失いたくない  クロノは静かに謝罪しながら、愛らしく己の熱に犯され始めた主人に、敬愛をも込め、何度目かのキスを落とす。  そして、その熱が最も望むものを食う準備が整ったそこに、己の熱と共にゆっくりと押し入ってやれば、聴覚を犯すように主人が啼く。 「ん、ぁ……あ……っ」 「……お辛いですか」  その間、耳元に口付け、そっと様子を尋ねてやれば、美鶴は身体をびくつかせながらもやんわりと首を横に振る。 「んン……」  溢れんばかりの熱の中へ進めば進むほど乱れ啼く主人に己を締め上げられる。その感覚はクロノの背徳感を刺激した。  クロノはそれに興奮するたび、己の忠誠心など穢れた欲心でしかないと思う。だからこそ、忠義などで称賛されると後ろめたく感じる時もある。 「は、ぁ……あ……クロ」 「はい」 「クロ……」 「……はい」  様々な感情を込め、クロノの名を呼ぶ美鶴の声は、更にクロノの理性を叩き壊そうとする。  ほんのりと赤みを帯びた肌を露わにし、呼吸の乱れを表すかのように胸元を上下させるその様子は、あまりにもクロノの情欲を駆り立てる。  今はその美味そうな首筋すら、己の眼前に無防備に晒されている。クロノはこうして主人を乱している時、度々そこに食らいつきたくなるのだった。  名を呼ばれる時などはよりそう感じる。  だがそれは決してしてはならない事だ。主人の肌に歯を立てるなど、してはならない。 ――そんな事をしたらそのまま……  だからこそ、答えなど求められていない呼び声であっても、クロノは声を出して応えるのだ。  そうすればまだ理性を保っていられる。 「あっ、あ……あ……ッ」  主人の体に対しては、やはり少し見合っていないのであろうそれが遠慮なく内臓を抉るたび、首に回された腕に力が込められる。  そして、奥深くを押し拡げるたびたっぷりと漏れ出した声がクロノの聴覚を満たす。  愛おしくてたまらない。  美鶴を抱くたび、クロノはその想いが募ってゆくのを感じていた。  クロノもまた、いつからか美鶴から離れる事を恐れるようになっていた。  だからこそ、理性は何よりも必要なのだ。 ――理性を失った俺など、ただの役立たずだ  そうなれば美鶴の側近役からは外されてしまう。  何があろうとも、美鶴に対しての理性だけは失ってはならない。 「ん……クロ……」 「はい」 「クロ…………」 「はい」 「……もっと」 「………………はい」 ――残酷だ  このままではいつか耐え切れず、この無邪気な心をも食い荒らしてしまうかもしれない。  クロノはそんな事を思った。  クロノもまた、美鶴にとってかけがえのない存在だ。  だが、どんなに信頼し合っていても、相手が本当に何を思っているのかは、その心を持たない限りは分からない。  それゆえに、どれほど言葉で表そうとも、未来への不安は簡単には消えない。  だからこそ美鶴は、クロノの名を呼びながら、ひたすらに思い続ける。 ――どこにも行かないで  たとえこれを歪な関係だと言われようとも構わない。自分をおかしな人間だと言われても構わない。  たとえ何を言われようとも、自分の愛する人々と、これから先もずっと共に居続けれるならそれでいい。 ――ずっとそばにいて  美鶴はその晩もまた、ただひたすらにそれだけを願い、腹の奥まで熱を与えられながら、啼き続ける――。  

ともだちにシェアしよう!