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第十二話『 彼が知らないコト 』 上

      「――なぁ、なんでジョンはいつもいつもマイクにペンとか消しゴム借りてんだよ。自分で持って来いよ」  まだ秋とは言えぬ暑さが残るその年の九月下旬。  学生寮のとある一室で、テーブル上で開かれた英語の教科書と睨み合いながらそんな感想を漏らしていたのは真智(まち)だ。  そして、その真智の両脇には、その寮室で暮らしている瑞季(みずき)美鶴(みつる)が座っている。 「真智、あのね――」  美鶴は、そんな真智にこう切り出した。  そして、残る瑞季はこんな事を思った。  恐らく、真智がそんな事を言い出したのは、未知の言語を勉強する事への拒否反応が出始めたからであろう。  そして更に恐らく、それを察したのであろう美鶴は今、真智を宥めるべく声をかけたのであろう。  そうに違いない。  そうしてそう静かに確信した瑞季は、大人しく美鶴の言葉を聞きながら彼の言葉の先を予測し、同意と共に頷く準備をしていた。  だが美鶴は、 「――きっとジョンはね、マイクの気を引こうとしてるんだよ。だから毎日色んなものを忘れてくるの。どうしても、マイクの事が諦めきれないんだね……」  と続けた。  すると真智はそれを受け、深刻そうな面もちで教科書を見つめて言った。 「……おい、そうだったのかよジョ――」 「いや違うだろ!!」  そして瑞季はたまらず異議を申し立てた。耐えられなかったのだ。  このまま先に進ませてはならないと瑞季の本能が言っていた。  それゆえに瑞季は、大きな大きなリアクションと共に二人の会話に割り込んでいったのであった。      ― 虹色月見草-円環依存型ARC-ツキクサイロ篇-Ⅰ❖第十二話『彼が知らないコト』 ―        夏休みという至福の期間が過ぎ、学生たちが夢の世界から再び現実へと引きずり戻され、それからひと月が経とうとしていたその日。  真智(まち)は、美鶴(みつる)瑞季(みずき)の寮室へ試験勉強をしに来ていた。――というよりは、美鶴から試験対策の慈悲を頂戴すべくやって来ていたのであった。 「違わないよ! 絶対ジョンはマイクの事が好きなんだよ!」 「まぁ待てよ美鶴。もしかしたらヨルはジョンのその事実を受け止めたくないだけ――」 「それも違う!!」 「……えっ、も、もんちゃん……もしかしてもんちゃんはジョンの事」 「いやちが……っ、も、頼むから二人とも日本に戻ってきてくれ!!」 「――……ッ」  すっかりマイクとジョンの恋路を見守る会に発展してしまったその場へ丁寧なツッコミを差し入れてゆく瑞季にとうとう耐え切れなくなったのか、美鶴はついに床に倒れ込んで笑い出した。 「ヨルって一見ただの爽やかそうなイケメンなのに、ボケに対して突っ込まずにはいられない性格なのすげぇ面白いよな」  真智は、瑞季の大ぶりなリアクションが心底気に入ってしまったのか、今回も随分と満足げにそう言った。  対する瑞季はなんとも言えない表情をしながら、 「それは褒められてるんでしょうか……」  と言った。  すると真智は酷く満足そうな笑みで言った。 「褒めてる褒めてる。超お気に入り」 「う……じゃ、じゃあありがたく受け取っておきます……」  そんな真智の笑顔にも弱いらしい瑞季は、結局そうして、その言葉をありがたく頂戴する事にしたのだった。 「おう、そうしてくれ――つか、おら美鶴! いつまで床と愛し合ってんだ。もういいからヤマ予想してくれって」 「……ッ……床が……床が全然離してくれなくて……っ」  どうやらまだツボから抜け出せないらしい美鶴は、未だ床に突っ伏したまま息も絶え絶えに体を震わせている。  そしてそれから少しして、やっと床と愛し合うのをやめた美鶴は、完全に勉強する事を放棄した真智に、試験で出るであろう“ヤマ”を伝授し始めた。  そんな中、瑞季が改めてひとつ思った事を口にした。 「なんていうか……真智さんて何でもできちゃうイメージがあったんで、勉強ダメなんて意外です」  すると真智は、そんな瑞季に首を傾げて言った。 「そうかぁ? 俺そんなにスペック高くねぇぞ」 「い、いや……十分高いと思います……」 (むしろ顔が良くて高身長で、ピアスとかおしゃれなインテリア作れて喧嘩も強くて料理もできる高校生って……スペック高すぎだと思うけど……)  だがそんな真智はといえば、相変わらずそれが腑に落ちないらしく、そうなんかな、と不思議そうな顔をしている。  そんな真智の様子を受け、そんなところも真智の良さなのかもしれないと瑞季は思った。そして、これだけの才能を与えてしまったからこそ、神様が勉学の才だけは差し引いてしまったのかもしれない、とも思った。  だが、そんな瑞季をよそに真智は言った。 「スペックの話なら洋介(ようすけ)の方が合ってるだろ」 「あぁ、洋介さんもそうっすね――てか、洋介さんはまず弱点とかなさそうですし……」  真智の言葉に瑞季がそう言うと、美鶴もまたそれらに添えるように言った。 「洋ちゃんは勉強できるっていうか、何もしなくてもできちゃうタイプだもんねぇ」 「天才肌……チートだよな……」 「ね」  そんな二人の会話を聞き、瑞季はまた洋介という人物のレベルの高さを痛感した。  以前より、瑞季が洋介に憧れを抱き始めてからというもの、洋介と何度か交流をする中で、その憧れはより強くなるばかりであった。  だがその中で、新しく洋介の事を知るたびにそのハイスペックさに唖然とする事もまた多く、彼のようになるまでの道のりは遠いな、と瑞季は思うのであった。 「……あれ? そういえば今日、洋介さんは?」  そして、そんな洋介の話が出たところで、瑞季ははたと気付いたようにそう口にした。  そういえばいつもならばこういう時、二人は洋介の家に行くのがお決まりだったはずだ。  だが今日はなぜか二人は寮室にいる。どうしたのだろうか。  今更ながら瑞季がそれを不思議に思い考えていると、真智と美鶴が順々に言った。 「あぁ、洋介?」 「洋ちゃんは今日、イヴァンさんと京都旅行に行ってるよ」 「……え? い、いばんさん……?」  ずいぶん変わった名前だな、と思いつつも、友人であろうその“いばんさん”とぽんと京都に行ってしまうあたり、洋介はやはり同じ高校生とは思えない。  瑞季はそんな事を思ったが、次に発された美鶴の言葉で、瑞季の脳内はついに混乱する事となった。 「イヴァンさんね、洋ちゃんがロシアに住んでた時からずっと京都に行ってみたいって言ってたんだって」 「………………え? ロシア?」 「そう! 俺達もまだ会ったことないんだけど、イヴァンさんはロシア人なの」  なんということか。洋介は今、変わった名前の日本人ではなく、ロシア人の友人と京都旅行に行っているらしい。  瑞季はついに、洋介という人物が天上人のように思えてきた。  やはり、とてもじゃないが同じ高校生とは思えない。 「今回丁度イイ連休があって良かったよな」 「ほんとにね」  実は、二人の言うようにその年の九月下旬にはやや長めの連休が生じていた。  その為、月曜日であったその日も、彼らにとっては休日となっていたのだ。  だがそんな事から、普段なら洋介の家に集まって行われる試験勉強も、洋介が家を空けている為に、このように美鶴と瑞季の寮室で開催されることになったというわけだったらしい。  そしてそんな事実を知り、瑞季のささやかな疑問は解消されたのだが、そこで知り得た洋介の新たな事実から、瑞季はまた少しの間夢うつつのような気分のまま時間を過ごしたのであった。 「あ~もうローマ字も日本語も見たくねぇ……」  その後、美鶴(みつる)に促された真智(まち)が少しだけ試験勉強に励んだ後、それも終幕となった。  そして、すっかりささやかな試験勉強で労力を使い果たしたらしい真智は、机に突っ伏すなりそう言った。 「ふふ、お疲れ様」  それに対し、美鶴が笑いながらそう言い、 「そろそろ夕飯にする?」  と提案した。 「そだな……何が良い? 今日の礼に今晩は俺が作るよ」  真智もまたそれに頷くと、ひとつ伸びをした後にそう尋ねた。 「う~ん、さっぱりしてるものよりお腹にたまるもの……かなぁ。なんかぱっと思いつかない」 「あぁ、同じく。――ヨルは? なんか食いたいもんある?」 「俺ですか? ん~、俺もぱっとは思いつかな……あ」 「なんか思いついたか?」 「はい、あの……」 「なになに~」  美鶴は、背後のベッドにもたれかかった真智の膝を横断するようにその身を乗せ、瑞季(みずき)に先を促した。  そして、なんとなくその先を言うか迷っていたらしい瑞季は、おずおずと要望を口にした。 「その、せっかく真智さんが来てるんで、真智さんが好きなものとか、得意なものとかって思って」 「あ、それいい~! そういえばもんちゃん、真智のご飯って俺の誕生日以来食べてないもんね」 「うん」  美鶴がそう言うと、そんな美鶴の髪を弄ぶようにしていた真智もまた少し考えるようにして言った。 「俺の好きなもんで腹にたまるもんなぁ……クリーム系のパスタとか? あれならぱっと作れるだろ」 「あ~いいかも~食べたい~」 「………………」  瑞季はなんとなく予想はしていたが、やはり真智の口から出たのは小洒落たメニューであった。  だが、もちろん不満があるわけではない。あるわけではないが、瑞季はここが女子の部屋なのではないかという錯覚を覚え始めたのであった。  そして、そんな感覚と共に、改めて痛感してしまった事がまたひとつあった。 「ヨルはそういうのどうだ?」 「はい……めっちゃ食いたいです」 「えぉ……お、おう」 「あはは、もんちゃん、変な顔してる~」 「どした……無理しなくていいんだぞ? 別に他のもんでも――」 「いえ違うんです……」  真智と美鶴は、瑞季の妙な様子を不思議に思っているらしく、言葉の先を黙って待っているようだった。  そんな様子を受け、瑞季は素直に続ける。 「二人といると、大人っぽいって言うかおしゃれな感じの会話すげぇ聞くんで、改めてそれを実感して……色んな事知ってるし、料理もできるし、すげぇなって」  どうやら心からそう思っているらしい瑞季の言葉を受け、真智はややはにかむように苦笑して言った。 「はは、なんだ、それでそんな変な顔してたのかよ。そう言って貰えるのは嬉しいけど、あんま高く見られると落ち着かねぇな」 「ふふ、ちょっと照れくさいよね」 「ん」  そしてそんな二人の様子を受け、瑞季は笑った。 「あはは、でも本当に二人とも万能ですし、常に尊敬する事ばっかですよ。無敵って感じっすね」 「はは、大袈裟だって――それに、無敵ったって、苦手なもんも結構あんだぞ?」  すると瑞季はそれに驚いたように言った。 「え、そうなんですか?」 「おう」  そして、そんな瑞季に真智は苦笑して頷いた。  すると、今度は美鶴が真智に寄り添うようにして言った。    

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