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第十二話 『 彼が知らないコト 』 下
「ふふ、真智はまずホラーが大っ嫌いだもんね」
「あ、コラ、別に言わなくていいだろ。勝手にヒトの弱点晒すな」
「ホラー? ホラーって、幽霊とか怖いのがダメって事ですか?」
「あ? あぁ、まぁな……そういうホラーも無理だな……」
「小さい頃からお化けとか嫌いだったもんね」
美鶴が楽しげにそう言うと、真智は心底うんざりした顔で言った。
「いや、だって幽霊とかめちゃくちゃ怖ぇだろ……人の背後にいきなりいたり、何もしてねぇのに呪い殺して来たりよ……」
瑞季はそこで、そうしてバツが悪そうに答える真智に対し微笑ましい気持ちになった。そして、そんな可愛らしい一面もあるのだな、という感想を、瑞季は戸惑う事なく口にした。それはもはや条件反射のようなものだった。
「そうなんですね……なんかそれもすげぇ意外です。でも前から思ってたんですけど、真智さん、意外とそういう可愛い所が多いですよね。――ホラーで怖がってる真智さんとか、どんな感じなのかちょっと見てみたい気がします」
そして瑞季は“また”やってしまったのである。
「………………」
瑞季は、そういうところは学ばない男なのであった。
「……え?」
突然黙りこくり半目になったままパスタの束を握っている真智と、その後ろでこの様子を楽しむように傍観している美鶴に、瑞季は疑問の声をあげた。
そして、静かに悪寒を感じ始めていた。
「お前……イイ感じに喧嘩売るのウマくなってきたな……」
パスタの束を握っている真智は、鍋でぐつぐつと沸騰し出した湯を見つめたまま静かにそう言った。
「え……えっ!?」
その様子にただならぬ恐怖を感じ、瑞季は動揺し始める。
だが真智はそんな瑞季などお構いなしに、さらさらと円を描くように鍋にパスタ麺を捧げながら続ける。
「いいぜ。その喧嘩買ってやる。――あぁそうだ。確かヨル、酸っぱいもん苦手だって言ってたよな……後でお前の飯にだけレモン汁かけまくってやるからちゃんと全部食えよ。俺が作ったもん食えねぇわけねぇもんな」
「ちょ!! あの! あれ!? もしかして俺、またまずい事言っ――」
「よし、愛情で殺せるくらいに気合い入れて作ってやるから待っとけ。涙溢れるくらいに美味いの作ってやるからな」
「す、すいませんでした!! もう言わないんでどうか! どうかレモン汁だけは!!」
瑞季はそれからそうしてひたすらに減刑を懇願したが、当の真智はその願いを一切聞き入れる様子を見せなかった。
そして、そんな二人のやりとりに耐え切れなくなったらしい美鶴は、パスタ麺の袋を抱え込みながら今度はキッチンスペースの壁と愛し合い始めてしまった。
それにより、瑞季は完全に助けを求める相手を失った為、ひたすら真智に許しを乞いながらその後の調理時間を過ごす事となったのであった。
「――ごちそうさまでした」
「ん、お粗末サン」
その晩、無事にレモン汁の刑を回避できた瑞季は、真智 と美鶴 と共に食事を終えた。
そんな瑞季 が丁寧に食後の挨拶を述べると、真智もそれに返事を返した。
その後はそれぞれが順々に風呂に入り、夜のゆったりとした時間を過ごした。
そして夜も更け始めた頃に真智と美鶴は同じベッドに、瑞季は自らのベッドに入り、眠りに着くまでのひと時を過ごしていた。
学生寮側に既に申請を済ませていたのだが、真智はその日、この寮室に泊まる予定となっていたのだった。
「あぁそうだ。あの、真智さんの誕生日っていつですか?」
「え? 俺の?」
そんな中、瑞季がそう尋ねると、真智は不思議そうにしながらも素直に答えた。
「11月20日だけど?」
「あ、再来月ですね」
「おう……つか、なんでまた突然?」
「いえ、せっかく今年プレゼントもらっちゃったし、美味い飯も食わせてもらったんで、お礼したくて……」
「あ~、気持ちは嬉しいけど、あんま気にしなくていいって」
真智が遠慮がちに苦笑しながらそう言うと、美鶴が楽しそうに笑って言った。
「真智、もんちゃんは思い立ったら曲げないから」
「え」
「はは、そういう事なんで。貰って下さいね」
「お前……こういう時は強気な……」
真智がそう言うなり、三人はそこで少し笑い合った。
そして今度は美鶴が瑞季に言った。
「――そうだ、真智の誕生日も洋ちゃん家でするんだけど、せっかくだし、もんちゃんも予定が合ったら一緒にどう?」
すると、瑞季は頷くようにして言った。
「あぁ、行っていいならそうしたいな。じゃあ真智さん、なんか欲しい物できたら教えてくださいね」
真智は、そんな瑞季の言葉にまたひとつ苦笑して言葉を返した。
「はぁ、分かったって……でも俺、なんか頼むのとか得意じゃねぇから、期待はすんなよ」
「はは、はい」
どうやら真智はそういったところも苦手らしい。
(謙虚なところも魅力のひとつだな)
瑞季はそう思ったが、下手な発言をするとまたレモン汁の刑に処されるかもしれないと思い、そんな感想は心の中で温めておくことにした。
そうして、三人で過ごす夜を穏やかに経た次の日。
瑞季は朝方、ふと目を覚ました。眠気眼のままスマートフォンを見てみれば、時刻は朝の六時頃だった。
そしてスマートフォン越しに見えた室内の一画に、見慣れぬカバンを見た。
(あぁそうだ……真智さんが来てるんだった……)
美鶴のデスクのすぐ近くに置かれたそのカバンは、真智の私物だ。
それにより真智が泊まりに来ていた事を思い出し、瑞季は物音をたてないようそっと縦に並んだ隣のベッドを見てみると、そこには心地よさそうに眠っている美鶴がいた。
(あれ……?)
だが、昨晩美鶴を抱え込むようにして眠っていたはずの真智は、美鶴のベッドにはいなかった。
そして、そんな美鶴のベッドもまた誰かが抜け出したような跡はなく、最初から美鶴しか眠っていなかったかのように、薄手の掛布団が美鶴をしっかりと覆っていた。
(あ……)
その様子を不思議に思いながら瑞季がふとベランダの方を見ると、朝日のかかった厚手のカーテンに作り出された陰影が、一人分の人影を描いていた。
どうやら真智はベランダにいるらしい。
(煙草かな……)
真智は喫煙者だが、昨日は全く吸っていなかった。流石に耐えられなかったのだろうか。――とはいえ、学生寮もまた敷地内は教員や事務員のみが使える一画以外は全面禁煙だ。もし誰かに見られでもしたら真智が処罰を食らう事になる。
それはまずいと思い、瑞季はそこまで考えたところで、真智の元へと向かった。
そして二重にひいてあるカーテンをそっと開けると、確かに真智はベランダにいた。
するとそこで背後の気配に気付いたのか、真智はふと瑞季の方を振り返った。
その真智を見て、瑞季は少し目を見開くようにしてからほっとした。
「おはよ」
「おはようございます」
瑞季がそのままカラカラとベランダを開くと、真智が柔らかく微笑み、静かな声色で挨拶をしてきた。真智は元よりハスキーな声質をしている。ただ朝方ゆえか、今はその声が昨晩より少し掠れ気味に聞こえた。だが、彼の挨拶はむしろその音が心地よく感じるような、酷くやわらかな声でなされた。
瑞季はそれに新鮮さを感じながら、笑顔で挨拶を返した。
「起こしたか?」
「いえ、大体この時間にはいつも起きてるんで」
「そっか、朝練とかあるんだもんな」
「はい」
真智の隣に並び、鳥たちの声が心地よく馴染む朝の空気を吸いながら、瑞季は言葉を返す。
そんな中、煙草を咥えているわけではなかった真智だったがその代わり、彼は小さなプラスチック棒のようなものを咥えていた。
瑞季は最初、それをスティックキャンディーか変わった菓子か何かだろうかと思ったのだが、違うようだったので真智に訊いてみる事にした。
「あの、それって何ですか?」
「ん? あぁこれか。――パイポ」
「パイポ?」
「そ、禁煙グッズ的な。さすがにここで煙草は吸えねぇからさ。来る前に買ってきたんだ」
どうやらそれは、煙草ではないらしいのだが、口に咥えて吸うとフレーバーの香りやメンソールのような爽快感を感じられるらしく、禁煙する為に喫煙者が使ったりするという代物らしい。
そんなものがあるのか、と瑞季はまた新しい発見を得る事となった。
そしてそんな瑞季は、またひとつ気になっていた事を尋ねた。
「あの、真智さんて朝の美鶴がどんな感じかって知ってるんですよね」
「ん? あぁ、見飽きるほど」
「じゃあ、いつもって、無理やり起こしたりしないでそのままにしてる感じですか?」
「あぁ、そうだな。俺らが朝一緒の日は、たいてい休みだしな」
「あぁ、そういえばそうですよね――じゃあ小中とかは?」
「ん? あぁそうか、あいつが朝方あんな風になっちまったのがいつからかってのは聞いてないんだっけ」
「え? ……最初からじゃなかったんですか?」
「うん……」
ベランダの手すりに両腕を乗せるようにした真智は、そのまま体を折るような体勢になり言葉を続けた。
「中三の終わりくらいからかな。――ヨルはあいつの中学時代の話は色々聞いたんだろ?」
「はい……」
瑞季が頷くと、真智はゆっくりと瞬きをした後、話を続けた。
「あいつ、クラスの女子からの争奪戦みたいなのから抜け出せた後も、別の事で色々あってな。それが落ち着いた後から、朝と夜、あんな感じになったんだ」
瑞季は真智の言葉に少し驚き、次いで不安な心持ちで問い返す。
「それって、心の傷とかが原因なんですか」
「いや、逆かな」
「逆?」
真智はそこでひとつ、短く息を吐いて言った。
「あいつは心の支えを得て、ああなった。――これ以上は俺からは言えねぇけど……悪い事があってああなったんじゃないんだ。だから、まぁ全然起きなかったり、突然スイッチ切れたりすっけど、あんまそこは心配しなくて大丈夫だから」
――どうかその支えを悪いものだと思わないでやってくれ
瑞季は、真智が切った言葉のその先で、そんな事を言いたかったのではないかと思った。
「わかりました」
そしてそう察した瑞季は、素直に頷く事にした。
すると、真智はふ、と息を吐くように静かに笑い、身を起こして瑞季に笑んだ。
「そういうトコ、ヨルのいいトコだな」
「え? どういうところですか?」
「さぁな。こっから先は自分で考えたまえ勇者よ」
「えぇ、そんな。教えてください賢者様」
「身体を鍛えるのも良いが、頭も使わなくてはな。とくと考えたまえ」
瑞季が降参旗を振るも、真智は楽しげにそう言ってすっとベランダから部屋へと戻っていった。
これは教えてくれないやつだな、と苦笑した瑞季は、真智の後に続いて部屋に戻った。
そんな中、美鶴はまだぐっすりと眠っているようだった。
瑞季が部屋に入ると、真智はベッドのそばで座り込み、そんな美鶴の頬をつついたり髪を弄んだりして楽しんでいた。そんな真智の表情は酷く穏やかだ。
その様子を微笑ましく思った瑞季は、その横にそっと腰をおろした。
そして瑞季と真智はまたそれからまた少しだけ、お互いが愛おしく想う彼の寝顔を堪能しながら、彼の耳には届く事のない朝の会話を楽しんだのであった。
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