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第十三話『 絆 』 下
「美鶴の事、好きになっただけじゃなくて、美鶴の気持ちも知らないで告白したり、その後もまた傷つけるようなことしたりして……反省はしてるんですけど、そうしてしまった事実は変わらないなと思って」
洋介は瑞季のその言葉を聞き、少し考えるようにしてから言葉を紡いだ。
「そうだね……美鶴からヨルの話を聞くたびに、最初は心配というか、俺は美鶴にどうしていってやればいいか、っていうのは考えたよ」
瑞季は歩きながら、そんな洋介の言葉を黙って聞く。
「でも、人間って不思議なもので、身内としてる人間から聞いた話は、その身内を大事に思うあまり、聞いた話を更に美化誇張して受け取ってしまう。そのせいで話に出てくるその相手を更に悪く見てしまいがちなんだよね。ただ、そうなると正しい判断はできなくなるから、俺の場合、美鶴の話を聞いてるだけの時は、ヨルについては何も考えてなかった――っていうのが事実かな」
「何も……?」
「そう。――美鶴は確かに戸惑ってた。ヨルから好きだって言われて、怖がってもいた。でもね、それでも美鶴はヨルの事を悪く言わなかったし、嫌だとも言わなかった。――って事はつまり、美鶴としてはヨルと縁を切りたいと思っているわけじゃないって、俺はそう思ったんだ」
「………………」
「それに、美鶴はヨルからの恋愛感情を受けて、怖いって思ってた。それは、この先ヨルに嫌われる可能性を見てしまったから。――この話は、ヨルも美鶴から聞いてるんだよね」
「はい……」
洋介の言っている事に間違いはない。確かに、美鶴はそう言っていた。
恋愛感情を持たれた相手との未来には、その人に嫌われてしまう終わりが待っている。
美鶴はその事を恐れ、恋愛感情そのものがトラウマになっているのだ。
「でもね。美鶴は、もしその相手に嫌われてもいい、むしろ近付かないでほしいと思ってるなら、“怖い”とは思わないんだよ」
「……確かに、そう、ですね」
美鶴の気持ちを知った今、それは瑞季にも分かる。
近付いてほしくない相手であれば、この先々に嫌われる未来があっても構わないだろう。嫌えばその人間は勝手に離れてゆく。だから、怖いなどと思う必要ない。
また、美鶴は思わないだろうが、喜ばしい事態と言っても良いような事だ。
「そう。だから、美鶴が“怖い”って思ったって事はつまり、美鶴はヨルとずっと友達でいたいって思ったって事。――だから、気がかりではあったけど、すぐに俺が手を出すような必要もないと思ってた」
手を出す、という言葉に、瑞季は少し背筋が寒くなるのを感じたが、それを察したのか洋介はおかしそうに小さく笑って言った。
「大丈夫だよ、食い殺したりしないから」
「うっ……よ、洋介さん、羊の心を読むのやめてください」
「はは」
瑞季の反応に満足したのか、洋介はひと呼吸おいてから言葉を続ける。
「まぁ、だからね、俺はヨルに会って話すまでは、どんな印象も持たないようにしようと思ってたんだよ」
瑞季は、そう判断する事ができる洋介に、やはり大人だなと思う。
同級生らを見ていても、やはりそこまで客観的かつ冷静に判断する事が出来る面々は多くはない。できている人間、という言葉はこういう時に使うのだろう。
これまでどのような環境で生きてきたのかは分からないが、洋介は恐らく、同じ年代以外の人々とも多くの関わりを持って生きた来たのだろう。そうでなければここまで大人びた成長はできないはずだ。
瑞季はまたひとつ、洋介への憧れを募らせた。
「でもね、今はもう何一つ気がかりはないよ」
「え?」
瑞季は不意にそう言われ、思わず洋介を見上げた。
すると洋介は穏やかに笑みをたたえ言った。
「今もこうして楽しくしていられるし、これまで会った中で、それと、今こうして話してる中でも、ヨルの人間性についても不安に感じる事もまったくないしね。だから、そういう心配も一切ないよ」
「ありがとうございます……それを聞けて、結構ほっとしました」
「はは、ずっと緊張してたもんね」
「え、俺、なんかそんな素振り出しちゃってました?」
「ううん。上手く隠してるなと思ってたよ」
それはつまり、上手く隠せていたのに、隠している事すら洋介にはバレていたという事だ。
やはり侮れぬ人物である。
「ま、めちゃくちゃ遠慮してるのは如実に出てるけどね」
「うっ、そ、それは……」
「本能?」
「――に、近いです……。はぁ、洋介さんは本当に凄いですよね、洞察力というか、察知能力というか……」
「はは、ヨルは嘘つけないタイプだからね」
瑞季はその事を一度も洋介に言っていなかったのだが、どうやら既にそこまで悟られてしまったらしい。
「……俺、やっぱりそういうの、わかりやすいですか?」
「うん、そうだね。わかっちゃう人間からしたらわかりやすいかな」
「やっぱりそうなんですね……」
これは、以前先輩である晃紀 にも言われたことだ。やはり自分は、観察眼のある人間からするとずいぶんわかりやすい人間なのだな、と少しだけ落ち込む。
そんな瑞季にまた少し笑い、洋介は言った。
「でもね、だからこそ俺はヨルを信頼できるんだよ」
「?」
「俺は、嘘をつくのが上手い人間ほど美鶴のそばに置きたくない。美鶴は、嘘を見抜く力はちゃんと持ってる。でも、それでも全てを受け取って、大切にするんだ。たとえ、嘘だとわかっててもね」
「………………」
「だから俺は、ヨルが嘘をつけない人間だった事にも、人を傷つける為の嘘をつかない人間だった事にも安心してる」
瑞季は黙したまま、洋介のその真摯な言葉を心に深く受け止めた。
美鶴の事を深く愛し見守る人々。その中で、瑞季が知っているこの洋介が、どうしてここまでも美鶴や真智から頼られ支えにされているのか、瑞季は今この瞬間にはっきりとわかった気がした。
「ヨル」
「はい」
瑞季は、そんな洋介に名を呼ばれ、再び彼の横顔を見る。
そんな洋介は、どこか遠くを見据える表情をしていた。
それは初めて見る表情だった。だが瑞季はそれを、洋介の美鶴への想いを示したような表情のように感じた。
恋人でもなく、家族でもない。だが、友人ともただの幼馴染とも言いきれないような、とてつもない深い愛情を抱き合う彼らは、きっと何者も断ち切ることがでないような絆で結ばれているのだろう。
「俺と真智は、精神的な意味では確かに美鶴の一番近く、あるいは心の一番深いところにいるんだと思う。でも今は、物理的には遠い……。学校も違うし、何よりも美鶴は実家じゃなくて寮にいる。だから、今まで美鶴の一番深いところを支えてきた人間が、今は皆遠いところにいるんだよね」
「………………」
「だから今、美鶴が安心して信頼できる人たちの中で、俺たちより近くにいるのはチカさんや弓さん、晃紀さん、そしてヨルなんだ」
“弓さん”というのは、晃紀や実和と同学年の先輩の事だ。
瑞季はまだ会ったことはないが、彼もまた、中学時代から晃紀と共に美鶴のそばにいた人間の一人であるらしい。
「――もちろん、これを重荷に感じる必要はないけど、ただひとつだけ……できればこれからも美鶴の事、大切にしてやってほしい」
瑞季はそんな洋介の言葉を受け、一瞬、胸が詰まるような気持ちになった。
何故だかは分からない。
だが、これは真智と話した時にも感じたものだ。
彼らのその計り知れない愛情を、間接的に感じたような、深く胸に沁みるような感覚。
瑞季はまたそれを感じた。そしてそれは、瑞季を新たな気付きへと導いた。
「……はい、もちろんです。これからもずっと、美鶴の事、大切にします」
「うん、ありがとう」
「あの、それと……洋介さん、俺、今わかった事があるんです」
「ん?」
先ほどの表情から、また穏やかな表情になった洋介はふと瑞季を見て微かに笑んで問うた。
瑞季は、そんな洋介に笑みを返しながら言った。
「俺、洋介さんや真智さんと絶対離れないって、そう言ってる美鶴が好きみたいです」
すると、洋介はほんの少しだけ驚いた様にしてから言った。
「……離れない、ね」
「はい。二人といる時に最高に幸せそうにして笑ってる、そんな美鶴をずっと見てたいって思うんですよね」
そんな瑞季の言葉を受け、洋介は興味深げに首を傾げて言った。
「へぇ……やっぱ、なかなか変わってるね。ヨルは。――個人的にはそういうトコもいいなって思うけど」
「あはは、ありがとうございます」
苦笑するようにして笑った瑞季は、次いで目を伏せるようにして微笑み、言った。
「多分……美鶴が幸せそうにしてるのが、一番嬉しいんですよ」
洋介は、そう言った瑞季に、ふと静かに笑んだ。
「俺が言うのも変だけど、そう思ってくれてありがとう。じゃ、その調子で俺らとの距離も縮めてってくれたら嬉しいな。一歩引いたところじゃなくて、もっと近くでその美鶴を見ていられるようにね」
洋介にそう言われ、瑞季はじんと心に沁みわたるものを感じ、洋介を見上げた。
「……よ、洋介さん」
そして、そんな洋介の言葉を聞いた瑞季が何やら感動した面持ちで見上げてくるので、洋介は不思議に思い問い返す。
「ん?」
「マジで……どこまででかい男なんですか……」
そこで、洋介の予想になかったらしい反応を示した瑞季に対し、洋介は楽しそうに笑った。
「ははは、うん、ヨルのそういうところも良いと思うよ。飽きないね」
「え?」
「ふふ、褒めただけ」
「えっ、あ、ありがとう……ございます?」
「はい、どういたしまして」
それから、相変らず不思議そうにしている瑞季に返礼した洋介は、満足げに瑞季と共に残りの帰路を辿った。
「あ、二人ともおかえり~」
「おう」
「ただいま」
買い出しから戻ってきた二人を真っ先に出迎えた美鶴 は、どうやら紅茶のお代わりを淹れていたらしい。
キッチンでカップを並べ、楽しそうにしている。
そんな美鶴の横で軽く手を洗っていると、順番を待っていた洋介 がふと気付いたかのように瑞季 にさりげなく耳打ちした。
「ヨル、持ってってみな」
「え? あぁ! は、はい……」
そんな二人の様子を見かけ、美鶴が不思議そうにしていると、瑞季がとあるものを手に持った。
そしてそれにより、美鶴もまた瑞季が何を促されたのかを察したらしく、ややわくわくしたような面もちで洋介を見た。
洋介はそれを受け、満足げにさっと手を洗った後、コンロ上の換気扇をつけては煙草に火を灯した。
「あ、あの、真智 さん」
「おう、おかえり――ん、なんだ?」
「えっと、その、ど、どれか食べますか?」
「え、どれかって………………」
「なになに甘いの~?」
瑞季がカサリと音を立てて手に持っていたビニール袋を広げ真智に見せると、中身を確認したらしい真智が片眉を吊り上げるようにして黙った。
その間、ベッドの上を這いずるようにして実和 も二人の元に寄ってきた。
そして、実和が袋の中を覗き込もうとした瞬間――
「お前、バッカじゃねぇーの!?」
という嫌悪感をむき出したような大声が、室内に響き渡った。
そして、その次の瞬間には美鶴の心底楽しそうな笑い声が響いた。
瑞季においてはあまりにもツボだったのか、袋を広げたままの体勢で顔を背け、肩を震わせている。
「真智うるせぇ~」
そして、袋の中を覗き込もうとしていた実和は、その大声を耳元で食らってしまったらしく、気だるげな口調で不満の声を漏らした。
「………………おい」
そして、完全に“このリアクション”を狙われていたのだと悟った真智は、次いでキッチン奥のコンロ前で顔を背けている洋介を目ざとく見つけて再び大声を出した。
「洋介ェ!! ヨルに仕込んだのてめぇだろ!!」
「……さぁね」
「声震えてんじゃねぇか!!」
そして真智はひとしきり声を張り上げた後で、若干掠れ気味になった声を低くして、眼前の瑞季に向き直る。
「おい……ヨル……まァたひとつ喧嘩売るのがウマくなったな……俺は冬場に更に冷えるようなもん持ってくる奴は敵と見なすって決めてんだよ……」
「はは、は………………えっ」
「丁度ケーキに使ったレモンがよォ……余ってるらしいんだよ、なァ!? 美鶴よォ!?」
瑞季の胸倉を掴みながら、真智は遠投するようにキッチンにいる美鶴に声をかけた。
すると、少しだけ間をおいた後、
「うん」
という美鶴の無慈悲で素直な返事が返ってきた。
「み、美鶴さん!? ない! そこはないって答えて!!」
「ある」
「美鶴さぁんッ!!」
今度は瑞季と真智のやり取りを楽しみたくなったらしい美鶴は、あまりにも無慈悲に返事をする。
「へぇ~、ヨルってレモン嫌いなんだぁ~すっぱいもんね~」
「せ、先輩!! そんな感想はおいといて助けてください!」
「レモンケーキとかレモンクリームとか結構美味しいんだよ?」
「先輩それ的当てです!! 俺とキャッチボールしてください!!」
「よォし、レモン先生のお出ましだぞヨルゥ~……今からコイツでたっぷり可愛がってやるからこっち向けや……」
「おいウソだろ……」
また一段と声が低くした真智であったが、先ほどから一歩も動いていないというのに、なぜか丁寧にラップに包まれた半個のレモンをその手に持っていた。どうやら今しがた、美鶴によって届けられたようだ。
そしてその後、瑞季がどうなってしまったのかは知る由もないが、外見が好みの友人でもある真智に、ありがたくも胸倉を掴まれるという経験までした瑞季にとって、その日もまた忘れられない日になったのかもしれない。
そんなそんな彼のその後の運命は、
「おら夜桜 ァ、上向いて口開けろや……その名前に見合うようにコイツを散らせてやるよ」
「いや、マジで無理っ……そんな事されたら俺の命が散っ……つか真智さん地味に力強っ――マジで! ――マジで!!」
知る由もないのである。
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