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第十四話『 瞳 』 上

      「あ~……えっと」 「う~ん……どう発展したら面白いかな、これ」 「ど、どうだろうな……」  瑞季(みずき)は、決してこのような状況になるなど思いもしなかった。  だからこそ、いつも通りに美鶴(みつる)のノリに合わせてふざけ返そうとしたつもりだった。    季節は冬――というには少し遅い。冬も佳境に近付いている二月のこと。  瑞季と美鶴はそれぞれの実家で何事もなく年を越し、高校生になってから初めての正月を迎え、初めての第三学期を迎えていた。  だがそんなとある日、彼らに突然、予期せぬ事態が起きたのであった――。     ― 虹色月見草-円環依存型ARC-ツキクサイロ篇-Ⅰ❖第十四話『瞳』 ―      二人に起こってしまったこの事態を、どう発展させれば面白いか。  そんな事を美鶴(みつる)に尋ねられた瑞季(みずき)は、なんともいい案が浮かばずにいた。  何故なら瑞季の脳内は今、まさに雪景色といった状態であった為だ。  そして、どうやら瑞季から良い案は出ないらしいという事を悟った美鶴は、小首を傾げるようにしてやや明るめに言った。 「あっ……じゃあ――ハッピーバレンタイン~――とか言ったらどう?」  語尾には音符でもついているかのような軽やかさでそう言った美鶴は、瑞季に問う。  そしてその案を受けた瑞季は、それに対し思うがままに意見した。 「あ~……どっちかっていうと、これはラッキースケベ的な方じゃねぇの?」  すると美鶴は、そんな瑞季の発言に不思議そうに小首を傾げて問い返す 「え? これってもんちゃん的にスケベな展開なの?」 「………………」  そんな美鶴の言葉を受けた瑞季は、そこで毎度恒例の心内反省会を開催する事となった。  だが、 (俺は――)  と瑞季がその反省会で第一声を発しようとした瞬間、その反省会は 「――俺はまた墓穴を……――って思ってるでしょ」  という美鶴の発言によって中断されることとなった。  そして瑞季は、己の心の中を読まれている事に打撃を受けながらも美鶴に問い返した。 「なんでわかった……」  すると美鶴は、すっかり己の前面の視界を塞いでいる瑞季の頭の斜め上に視線をやり、 「もくもくのフキダシ見えてるよ」  と言った。  恐らく美鶴が言っている“もくもくのフキダシ”というのは、漫画などでよく見られる――登場人物の“思っている事”が書かれるフキダシ――の事だろう。  瑞季はそこまで理解した後、今度は美鶴を嗜めるように言った。 「そのフキダシは、次元の向こうにいる読者にしか見えちゃいけない物なので、キミは見ないで下さい」 「ふふ、は~い」  瑞季にそう窘められた美鶴は、素直に従う意を込め、おりこうさんなおへんじをした。  そして、そのおへんじを受けるなり、瑞季はがっくりとうなだれるようにして言った。 「……俺、ほんとわかりやすいのな」 「そうだねぇ、もんちゃんはわかる人にはわかりやすいタイプだね」  また言われてしまった。  瑞季は美鶴と出会ったこの1年間で、何人かの友人たちにこのように言われている。どうやら本当に自分は“わかる人にはわかりやすいタイプ”らしい。 「でもね……」  美鶴は相変わらずうなだれている瑞季に、微笑むように言った。 「――だから、一緒にいて安心できるんだよ」  瑞季は、美鶴のその言葉を受け、すっかり美鶴の胸元あたりに落としていた視線を部屋の床へと反らし、少し考えるようにしてから呟くように言った。 「じゃあ、いっか……」 「………………」  だが瑞季は、そうは言ったもののなんとなく考えるようにしていたので、美鶴は黙して瑞季を見ていた。 「………………」  そして、瑞季も黙して考えている中、わかりやすいというのは、何事に対してもわかりやすいという事である。  つまり、以前あった美鶴への恋心の時のように、隠さなければならない事もすぐにバレてしまうという事だ。 (え……それっていいのか? なんか俺がよからぬ想像とかしてる時もわかっちゃうって事だよな……)  瑞季はそこまで考え、ついにその思案の結論を出すことにした。 (いや、それって全然よく――) 「――よくねぇ~っ!――」 「だから読むなって! カンペもフキダシも見るの禁止!」 「あははっ……ふふっ、ごめん……だって……もんちゃん表情が正直すぎるんだもん……」 「俺、顔にまで出てんのかよ……」 「う~ん……それも、わかる人には……かな」  “わかる人”恐るべし。  瑞季はどうやら、その“わかる人”とやらの存在には一生脅かされて生きなければならないらしい。  そんな瑞季が、これはもう降参するしかない、と思ったところで、美鶴が少し小さな声で言った。 「ん~……正直なのは、お子さんも、かな」 「………………すいません」  この状況なら仕方ないだろ、と叫びたい瑞季ではあったが、この状況は自らが引き起こした失態であるゆえに、その反論は呑み込む事となった。  そんな瑞季に対して美鶴は今、寮室の床で仰向けに倒れたような体勢となっており、瑞季はと言えば、そんな美鶴に覆いかぶさるように彼の顔の両脇に手を着いた体勢となっている。  それは一見して、瑞季が美鶴を押し倒したような状態であった。  だが、事実を言えば、半分正解で半分不正解と言ったところだ。  実はその日、スマートフォンを眺めていた瑞季の横っ腹を美鶴がつつくという出来事があった。  これは、美鶴が瑞季に対し、くすぐったい刺激に弱いかどうかが気になってやった事だったという。  だが、そんな事をしておきながら、 ――じゃあ、美鶴は?  と訊けば、美鶴は素知らぬ顔でその場から逃げようとした。  これはつまり、美鶴はくすぐりに弱いという事である。  それを察知した瑞季は一気に悪戯心がみなぎり、逃げようとしている美鶴の腕を掴んではその場にとどまらせた。  そこで、美鶴がやや大きな抵抗を見せるので、瑞季も少し楽しくなっていた事もあり、そんなこんなでもみ合っていた果てに、なんとも言えない体勢になったところでお互い我に返り、――どう発展したら面白いか――の問答に至る事になったというわけであった。  そして、なぜ美鶴が“ハッピーバレンタイン”などと言ったかと言えば、本日は2月14日――つまり、文字通りバレンタインデーであったからである。 「美鶴?」  そして、そんな出来事を経て今に至る中、瑞季の謝罪に対して黙ってしまった美鶴を不思議に思い、瑞季は問うように美鶴の名を呼んだ。  すると、苦笑した美鶴は遠慮がちに言った。 「えっとね……その、そろそろ危ないから……とりあえず解放してもらっていい?」 「え、……あぁっ、わ、わりぃ!」  瑞季はその美鶴の言葉で今の状況を思い出し、慌てて身を離した。  そして、気持ちが前進し、形を成し始めているそれを鎮めるようにひとつ深呼吸をした。  だが、瑞季はそこでふと思い至った事があり、美鶴に問う。 「――てか、美鶴、危ないってどういう事だ?」  もしかしなくとも、美鶴は瑞季の事を危険と言ったのだろうか。  だが、それにしては言い方がおかしい気がする。  瑞季がそんな事を思っていると、美鶴が言った。 「え? そりゃ、俺も男ですからね……そんな元気になられてると触発されちゃうし……」 「あ、あぁ、なるほど……」  どうやら美鶴の先ほどの発言は、自分の方も感化されてしまうから、という意味での事だったらしい。  確かに、これから何かするでもないのにお互い元気いっぱいになっているとなれば、随分といたたまれない雰囲気にはなるだろう。 「う~ん……」 「ん? どうした?」  瑞季がそんな事を考えている中、美鶴も何か考えていたらしく、ひとつ唸った。  それに対し瑞季が反応を示すと、美鶴はまだ考えるような様子のまま瑞季に尋ねる。 「もんちゃん、さ……その、まだ、俺の事……好き?」 「えっ……?」  瑞季はこの間、なんとか己を鎮めようとしていたのだが、唐突なその質問に、全身が痺れるような感覚を覚え、そちらの事など頭から吹き飛んでしまった。  そんな瑞季がどう答えていいか迷っていると、美鶴は更に言葉を続けた。 「俺ね、もんちゃんに“もしかしたら”っていう期待とかはさせたくないんだ……。でも、でもね、俺の事を好きだって思ってくれてるその気持ちにはお礼がしたいし、もんちゃんは大切な友達だから……俺ができる事で、もんちゃんが喜んでくれる事も、したい……と思ってる……」 「………………」  瑞季はこれに言葉が出せなかった。心臓が痛いほど激しく鼓動している。  ただそんな中、瑞季は混乱しながらもなんとか頷くことはできた。  すると、それをちらと確認した美鶴は、続ける。 「でも、そうすることで期待させて……、もしかしたらちゃんと別の人を好きになれるはずだったもんちゃんの気持ちを引きとめるような事になるなら、しない方がいいと思ってる」  美鶴はこの時、以前瑞季と、彼の親友である優希(ゆうき)が寮棟のエントランスで話していた内容を思い出していた。  そして、その話を聞いていた美鶴が思った事は、それ以降も美鶴の心にずっと残り続けていたのだった。 ――まぁな。正直そういう衝動に駆られる時はめっちゃある ――だろぉ? 気付いたら髪撫でてたなんてザラだぞ…… ――あぁ、髪撫でたくなるのも分かる。抱きしめたいし、キスもしたくなるのもすげぇ分かる  あの時、瑞季が“したい”と思っている事は全て、今の美鶴は叶えてやれる事だ。  そして、美鶴にしか叶えてやれない事でもある。  だが、それによってその先の期待が生まれれば、必ず大きな落胆をさせてしまう未来が待っている。だからこそ、美鶴は悩み続けていたのだった。  そして、そんな美鶴の正直な気持ちを聞いた瑞季は、震えそうになる声を落ち着かせて言った。 「なら……もし、美鶴は俺を引きとめたいわけでもないってちゃんと理解して……この先の事も、期待しないって言ったら……?」 「……そしたら……今、思いついた事を正直に言う……」  美鶴は酷く緊張しているような様子だった。  美鶴は瑞季に視線を合わせようとしない。  きっと、合わせれば言葉を紡げなくなってしまうからだろう。  そして瑞季もそれは同じだった。たが今は、美鶴が目を反らしている為に、瑞季は美鶴の横画ををまっすぐに見つめられている。  そして、その横顔から目が反らせなくなっている。  何かに期待しているのか、あるいは焦っているのかは分からないが、煩いほどに激しく脈打つ鼓動が、その心を急かすように瑞季の脳を激しく揺さぶる。  そして、その音に急き立てられた瑞季は言った。 「……期待しないって……約束する」 「……ほんとに?」  恐る恐るといった様子の美鶴は、そんな瑞季の言葉を受け、瑞季を見た。  そして、瑞季と美鶴の視線は完全に交わった。  瑞季はまた、脳が痺れるような感覚を覚えたが、予想とは裏腹に、返答を返せなくなるようなことはなかった。  そして瑞季は、その色違いの双眸をしっかりと見据えて言った。 「俺が嘘つけないって知ってるだろ。こういう時こそ、フキダシ読めって」 「………………」 「………………」  瑞季の言葉を受けた美鶴は、すっと瑞季の頭の上に視線をやる。  そして少しの沈黙の後、美鶴は目を反らして言った。 「――俺、読者じゃないからなぁ……」  瑞季は、そんな美鶴の言葉を受け反射的に言葉を発しようとした。 「ちょ! それズルく――」 「それ」  だが、その言葉はそんな美鶴の一言によって遮られることとなった。 「え?」  何が何だかわからない、といった様子の瑞季に、少し迷うようにしながらも美鶴は言った。 「それ……抜いたげよっか……」  そう言った美鶴の視線は、伺うようにしている為か、瑞季へは上目遣いのようなものとして映った。 「……え」 「なんか……全然治まってないっていうか……むしろ元気になってるっぽいから……そうさせちゃったお詫びとして……」  “鈍器で殴られたような衝撃”とはこのような感覚の事を言うのかもしれない。  瑞季はそんな事を思いながらも、脳内が再び雪原へと旅立ってしまい、返す言葉を見つけられずにいた。 「……あの、イヤだったらイヤって言ってほしいんだけど……」  すると、その沈黙に耐えられなくなったのか、ほんのり頬が赤らんでいるように見える美鶴が、落ち着かない様子でそう言った。  それに対し慌てた瑞季は、やっとの事で言葉を組み立てた。 「イ、イヤなわけ……ない、だろ……」  当たり前だ。  それにこれは、どちらかといえば願ってもないチャンスと言っても過言ではない。 「でも、なんか無理してない?」  ついには不安そうな表情になってしまった美鶴がそう言うので、瑞季は更に慌て、なんとか状況を説明しようと試みた。 「ちが……違うんだ、その……悪い、俺……」 「……なに?」  そう言いながら瑞季を見た美鶴は、少し目を見開くようにした。  先ほどと打って変わり、瑞季は顔を伏せるように反らしている。  そんな瑞季は、その状態のまま、必死で言葉を紡いだ。 「そういうの……経験ないからさ……返事とか……どう、言っていいのか……」 「………………」  必死でそう弁明した瑞季の耳は随分と赤い。  美鶴はそれを見るなり、言葉を失った。そして、それと同時に自身の顔が熱くなるのを感じた。  美鶴は“それくらい”の行為なら、大きな期待もさせないだろうと思い、今回の提案に乗り出したのだ。  そんな美鶴にとって、相手のモノを咥えては扱く程度の行為など“それくらい”の行為だった。  だが、瑞季にとっては違った。  瑞季は、恋愛感情を抱いている相手とすらそういった触れ合いをした事はなかった。  キスやハグは、もちろんした事はあった。だが、服に守られていない部分に触れるだけならまだしも、想い人のそうそう他人に晒すような場所ではない部分に触れるなど未知の領域なのだ。  そして、キスやハグも、した事はあるというだけで、決して慣れてなどいない。  そんな瑞季には姉と妹がいるのだが、女性どころか家族に対しても同じで、彼女らの風呂上がりなどに遭遇するたびに、“ちゃんと服を来てから出て来い”と大声を上げる事もしばしばあった。  そして、瑞季がそんな純粋過ぎるほど純粋な少年であった事をたった今痛感した美鶴は、動揺していた。  瑞季とは逆に、美鶴の回りにはそういった事に慣れている人間が多かったのだ。  そして自分もそうだった。  中学生時代に早々に童貞を捨て去り、この一年間も、相手は同じであれど一見すればかなり淫らに過ごしてきた。  そんな美鶴に“純粋”などというものは無縁だった。  それゆえに、美鶴は今、その彼の純粋過ぎるほどの純粋さに翻弄されてしまったのであった。 「もんちゃん……それ……反則……」  そして、なんとかそれだけ言う事ができた美鶴に対し、瑞季は不満げに言った。 「反則って、それはお前だろ……何言われるかって思ってたけど……そんなの全然想像してなかったっつの」  そんな瑞季の言葉に、相変わらず顔が火照りきってしまった美鶴は、自分の顔をはたはたと仰ぎながら問い返す。 「想像してなかったって……じゃあ、何想像してたの? これよりレベル下げるとしたら、触りあいとか……キスとか……ハグとか……だけど」  美鶴がそう言うが、対する瑞季はその質問には堪えず再び顔をそむけてしまった。  確かに、反応してしまった部分が部分だけに、もしかしたら本番をすることになるのだろうかとは思いはした。  思いはしたが、そんな事があるわけないと瑞季はすぐにその考えを打ち消したのだ。  そして、抜きあいというものも、知識としては知っていた。だが、今美鶴は普通の状態だ。ならばきっときっとキスか……いやハグかもしれない……などどんどんとレベルを下げていった果てに、美鶴の提案を食らったのであった。  正直なところ、瑞季にとって“抜いてもらう”という行為は、本番の行為よりもアブノーマルなものだった。――であるから“抜きあい”がせめてもの行き着くところだった。  その為、そもそも“抜いてもらう”という発想には至らなかったのだ。  ただもちろん、その行為のやり方は知っていた。それは、相手が手や口を使って自分のモノを扱くというものだ。だが、それはあくまでアダルトビデオや、そういった行為が好きな人間間でのみなされるものだろう、と瑞季は考えていた。  それに、自分の想い人が己の股座でそれを扱くなどという光景を目の前にしたら心臓がもたないし、平常心など絶対に保っていられない。  瑞季はそう思っていた。だからこそ、その行為を知った時、瑞季はそれを“これはアブノーマルなもの”という枠に入れたのだった。  だが今、そのアブノーマルな行為は自分の身になされようとしている。  だからこそ、瑞季は動揺を隠せなくなってしまったというわけであった。 「わ、わかったから……もう、そんなに照れないでって……こっちまで熱くなってきちゃうよ……」  美鶴は未だに貰い照れが消えないらしく、顔をはたはたと扇ぎ続けている。 「しょうがないだろ……不可抗力だって……」  美鶴はその瑞季の抗議を受け、今一度だけもう、と呟いて続けた。 「――でも、ヤじゃない、んだよね」 「……そら、そうだろ……ヤなわけあるか……」 「……ん、さっきの約束も、嘘じゃないんだよね」 「おう……俺は、美鶴にはそういう嘘はつかないって決めてる」 「……そっか」 「ん……」 「うん……わかった」  頬の赤みが少しだけ薄れ、ほんのりとその名残を顔に残したままの美鶴は頷き、言った。 「じゃ、さ……えっと、とりあえずベッドに座ってもっていい?」 「お、……おう……」  美鶴とは逆に、未だに赤らんだ頬や耳が落ち着きをみせない瑞季はぎこちなく返事をして、自分のベッドに腰掛けた。    

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