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宋山の花児 3

「……覚悟は分かった」 その言葉に翠の目がぱっと煌めく。その煌めきが眦から頬を伝うのを見てようやく、それが炎を映した涙だと気付いた。 「すみません。お見苦しいものを」 「構わない。ーーあちらの部屋で待っていろ」 俺が指し示したのは小屋の玄関から入って右手にある小部屋である。通常は食料等を貯蔵する(むろ)として使われる場所だが、俺は寝室として利用していた。 室は半地下になっており、出入口は壁をくり抜いただけで扉がない。寝るためだけの部屋なので普段は灯りの類は置いておらず、暖炉の脇に置いたままにしている手提げの小さな燈籠に油を足して翠へ差し出す。 「入ってすぐに階段がある。灯りを持って行け」 こくりと小さく頷く。細い二本の指で燈籠を受け取ると、こちらの言に従い大人しく室への穴を潜って行った。室の中から燈籠が置かれたカツンと言う音が聞こえてから、戸棚をそっと開いた。 「…………」 中から陶製の杯と水差しを出し、中身を注いで一息に飲み干す。途端、かっと喉が焼ける。普段はあまり口にしない強い酒だった。喉の熱を唾液で飲み下しながら、これから俺は自らの信条を曲げて男を抱くのだ、と心中で唱える。 鍛冶の仕事に色事を持ち込む訳では無い、というのが自分の守る炉に対する言い訳だった。人との交わりを嫌う分、炉に対しては真摯であると言う自負がある。成人したての若者の初夜と引き換えに弟子入りを許すのとは違い、自分と翠との間に取引は何一つ存在しない。ただ今宵、あの柳の様な体を抱く。それだけだ。これは褥如ではない。 ーーではこれは何なのだ? 自問するが答えは出ない。酒を飲んだのは、頭に靄をかけてしまいたかったからだ。翠の申し出を受けたのは決して欲に煽られたからではないが、炉への忠義を忘れた訳でも無い。では何が自分を突き動かしたのか、それを考えたくなかったのだ。二杯、三杯と杯を空にするうちに酒が回り、酩酊した脳が巡る思考を有耶無耶にする。空の杯と水差しをそのままに、寝室へと降りた。 寝室は寝台を置くのがやっとという広さで、元が貯蔵庫である為窓も無く天井もやや低い。灯りは枕元の小さな台の上に置かれていた。翠は寝台の中程に腰掛け底冷えを防ぐために敷かれた厚い敷物に足を置いており、暗所に居ると黒い衣のせいで顔と手足だけが浮き立って見えた。何か物思いに耽っているようで、こちらが部屋に入っても気付く素振りは無い。 「……待たせた」 「!……いえ、そんな事は」 声を掛けると弾かれた様に起立し、背筋を伸ばしてこちらに向き直る。翠の右手が立ったままそろそろと首元へ伸びた。衣を脱ぐ為、留め具を外そうとしたのだろう。翠が襟元を見た隙に音を立てぬよう近寄り、手首を鷲掴んで留め具に触れる手を阻む。 「あっ」 驚いて小さく声を上げるのも構わず、そのまま寝台の上へと押し倒した。布団に押し付けた手首の細さを感じながら翠と視線を合わせるが、その顔は随分と落ち着き払って見えた。酒に頼った俺はつい先程までしおらしく縋って来たと言うのにと腹立たしく思え、手首を掴んでいる手に思わず力が籠る。 「お前はこれから一晩、このような扱いを受けるのだ。自分より大きな男に組み敷かれ、力尽くで服従させられる。手も足も押さえ付けられ、自らの体を他人に好き勝手に暴かれるんだ」 これで少しは怯えるだろうと思ったが、ただこちらを窺う様に見詰めるだけである。しかし数瞬の沈黙の後、翠が僅かに表情を歪めた。 「……俺を抱くのは、やはりお嫌でしょうか」 「何故そう思う」 「少し……怒っていらっしゃるような気がして。それに、息に酒の匂いがします。お酒を飲まずには居られない程お嫌なのかと、そう思ったのです」 先程まであんなに素面だった癖に今は声が揺れて睫毛が震えている。俺に無体を働かれる事は恐れないが、拒まれるのは怖いと言うのだろうか。 「お前、俺に拒まれるのがそんなに嫌か」 訊ねると、目を伏せたまま頷く。 「今、こんな事をしなければ良かったと後悔していた所でした。拒まれるくらいなら何もしなければ良かったと。可笑しいですね。つい先程まで、再びあなた様と直に言葉を交わせた喜びに浸っていたと言うのに」 俺は掴んでいた手を離し、空いた手で刈り上げた後頭部を掻いた。酒のせいで血の巡りが良いのか肌が熱い気がする。 「……別に、お前に何か非があったという訳では無い。俺が煮え切らなかっただけだ」 言葉にしながら、ああ、これだと思う自分がどこかにいた。自らの信条を曲げて翠の言葉を呑んだ理由は、このひたむきな想いに応えてやらねばと思わされたからなのだ。そうはっきりと自覚すると、先程の脅しめいた言葉が全て葛藤から来る八つ当たりだったのだと思い至る。翠の伏せられた眦に涙が浮かんでいる様な気がして親指を添えると、指の腹は湿り気を覚える事無くするりと乾いた肌の上を滑り、短く切った爪の先が睫毛に触れた。
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