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第40話

「では、本日もよろしくお願いします」 「よろしくお願いします」 部長の挨拶から始まった、消化器外科カンファレンス。 今日は、内科のいない、単独カンファだ。 馴染んだスタッフだけの話し合いに、山岡も少しは気楽なのか。 手元の資料から目を上げて、きちんと前を向いて話を聞いている。 そうして順調に進むカンファレンスが、山岡の番になる。 スッと表情を引き締めた山岡が、手元の資料と前方の画面を操作して、口を開いた。 「30代男性、MKステージ3B期…」 パッと映し出されたレントゲンやCT画像に、医者たちの目が集まる。 「…で、トータル…」 滑らかに説明をする山岡の声を、みんなが黙って聞いている。 そうして一通りの説明が終わり、ふと、光村が声を上げた。 「このクランケ、山岡先生の知り合いとか」 「えぇ、はぃ…」 「執刀医、山岡先生の予定かい?」 「はぃ…」 光村の問いに、山岡は顔を下げないまでも、小声になって答えていく。 「…それは、どうなんだろう」 「え…?」 「知人の腹を開けるのは、意外と覚悟がいるものだよ。大丈夫なのかね」 私は反対だ、と発言する光村に、他の医師もうーん、と考え始めている。 日下部もまた、もしやこの流れで担当を奪ってもいいかもしれない、と思ったところに、ふと山岡の声が割って入った。 「オレは…やりたい、です…」 小声だけれど、はっきりと聞こえる山岡の声だった。 「ほぉ?」 「オレは…知人だからこそ、オレが…」 ギュッと机の下で握った山岡の拳が、隣の日下部からは見えた。 「っ…」 あぁ、そうか、と日下部は思った。 (元々は、知人を…初めて愛を教えてくれた養父を、救いたいがために目指した医者だったな…) ふと、山岡が語った過去を思い浮かべながら、日下部はふっと微笑んだ。 (山岡が医者になったルーツ。医者である意味。…知人を救えなくて、何が医者だと、山岡なら言うんだろうな。だからこそ、これはやりたいわけだ…) 本当は、日下部にだって、ここにいる他の医者にだってできるオペ。 だけどそれを何が何でもやりたいと言い張る山岡の気持ちがよくわかって、日下部は、自分の嫉妬と言う醜い感情を嘲笑った。 (俺の感情で、山岡の想いを潰したくはないな…仕方ない) 「光村先生、この患者、山岡先生をご指名でしたよ」 「え…?」 「ぜひ、山岡先生に執刀を、と言ってました。俺は、山岡先生はやれると思います」 不意に、山岡の味方をしてくれた日下部に、山岡がハッと顔を上げた。 「う~ん、日下部先生が言うならなぁ…」 「大丈夫ですよ。なにせ、腕は一番いい」 「まぁ、そこは反論ないのだが…」 知人の開腹経験が、と杞憂する光村に、日下部は、さらに駄目押しを始める。 「もしご心配なら、前立ちに俺が入ります」 「は?」 「え?日下部先生…?」 あまりにびっくり発言に、光村、山岡ならず、その場にいた誰もが日下部を呆気にとられて見つめた。 「メスを入れて、怯むようでしたら、すぐに取り上げしますし…。久々に俺も、山岡先生のオペを1番間近で見たいな、と」 駄目でしょうか?と爽やかに微笑む日下部に、光村が言葉に詰まっていた。 「いや…まぁ、悪くはないのだが…」 「え?日下部先生でいいんなら、おれは駄目ですか?おれ、前立ち入りますよ?」 ふと、日下部発言に便乗して、別の医師が口を挟んだ。 しかもそれがまた、まさかの立候補。 十分執刀医を任せられるレベルの医師が、またも前立ち希望など、どれだけ山岡人気か。 『おい、邪魔するなよ。誰が山岡とのオペ、譲るかよ…』 ギロッと圧力を醸し出す日下部に、けれど他の医師も怯まない。 「あのぉ、でしたらわたしも候補に入りたいですぅ」 随分とベテランなはずの医師まで、割り込んでくる始末。 『ちょっ…何でこんなにモテるんだよ!くそ…。さすが医者は、こいつの腕、わかってんな…』 ここの医者たちは、看護師たちのように、見た目と行動でダメ岡呼ばわりはしていなかった。 性格や見た目に問題はあるものの、その腕が超一流なことはみんなとっくに気付いていたのだ。 そしてこの思わぬチャンスにこうも群がるとは。日下部の計算違いもいいところだ。 「いやいや、ここは俺がですね…」 俺は恋人だ~!と思わず私情に突っ走りたくなるのを堪えて、なんとか山岡のオペをもぎ取ろうと口を出す日下部に、ふと、その本人の山岡が割り込んだ。 「あの…その、みなさん…ありがたいのですが…オレは、多分…やれるので…」 「山岡先生?」 「ご心配は嬉しいのですが…取り上げの機会はないと思うので…その…」 ぽつり、ぽつりと、だが言いたいことをきちんと言葉にする山岡に、ふわりと日下部が微笑んで、他の医者も、熱くなりかけていた腰を落ち着けた。 「う~ん、では…執刀医は山岡先生。そのまま担当も。前立ちは日下部先生がどうしてもやりたいようなので」 ジーッと光村にだけは最後まで圧力をかけていた日下部に、敗北宣言の部長様。 「よろしくお願いします、山岡先生」 「えっ、や、あ…こちらこそ…」 もぎ取った山岡と一緒の手術に、晴れ晴れと笑う日下部に、山岡がビクリと怯んでから、ふわりと微笑んだ。 「他にご意見は?」 「じゃぁおれ助手入れてください。それはいいですよね?」 「あの…」 「はぁ?ならわたしも…」 「そこは私ですね」 「ちょっ、光村先生まで…」 山岡のオペを間近で見る権利を日下部にかっさらわれた他の医師たちが、今度は第2助手以下の座を巡ってじゃんけんなんぞを始めている。 (おいおい…。これじゃぁ当日、他のオペ執刀する医者がいなくなるじゃないか…) ははっ、と内心で笑ってしまう日下部は、そもそも自らが第1助手を奪ったことが発端であることを棚に上げて、1人呑気に見学だ。 何故そんなにみんなで助手に入りたがるのかわからない上、恐縮している山岡が1人、オロオロとしていた。 そんなこんなで、別の意味で大荒れしたカンファは、またあれやこれやと順調に進んでいった。

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