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第41話

数日後。 川崎の入院する日がやってきた。 午前フリーの山岡は、ナースステーションの隅の方の机で、書類作成をしたり、手術に備えての様々な確認をしたりしていた。 午前10時を回ろうかという頃、ナースステーションの前に、大き目のカバンを持った川崎が姿を現した。 「こんにちは~。今日からお世話になる川崎です」 ナースステーション内の受け付けに声をかけた川崎に、担当看護師がパタパタと向かった。 入院の簡単な説明をしたり、手にリストバンドを嵌めたりしているような声が響く。 ふと書類から顔を上げた山岡は、何気なくその受け付けの方を見た。 「ぁ…」 川崎がニコニコと看護師とやり取りをしているのを見つける。 川崎の方も、奥の方にいた山岡に気づいたらしく、軽く手を上げた。 「ん?あ、山岡先生」 川崎の様子に、看護師が後ろを振り返った。 山岡は、ゆっくりと椅子から立ち上がり、受け付けの方に歩いて行く。 「こんにちは。今日からでしたね」 相変わらず顔を隠す前髪に、見え辛い表情。それでも川崎は山岡がにこりと微笑んだのがわかり、微笑みを返した。 「お世話になります」 ペコッと頭を下げて、冗談っぽく言う川崎に、山岡もふわりと笑ってしまう。 「クスクス。主治医の山岡です。よろしくお願いします」 その親しげな様子を、担当看護師がジロジロと眺めている。 「えっと…」 視線を感じたか、ふと看護師に視線を向けた山岡に、看護師はハッとして川崎に向き直った。 「あ、では病室に案内しますね。ついでに病棟内の施設と使い方も案内しますので…」 言いながら、カルテとネームプレートを何枚か持ってナースステーションを出て行く看護師。 「ついてきて下さい」 「は~い。じゃぁまたね、山岡先生」 「はぃ。後で病室に伺わせてもらいますので」 ニコリと言って、山岡は看護師の後を追って行った川崎を見送った。 そうしてふと、昼休み少し前に、時間が空いてしまった山岡は、チラリと時計を見上げ、ぼんやりと周囲を見回した。たまたまナースステーションは無人だ。 「今日は外来も混んでるって言ってたしな…」 用事で下に行ってきたらしい看護師が言っていたのを思い出し、山岡は椅子から立ち上がった。 「日下部先生が来るまで…」 今日は外来担当の日下部との昼食を待つ間だけ、と思いながら、山岡は廊下に向かい、病室の方へ歩いて行った。 コンコン。 「失礼します、川崎先生?」 ドアが開けっ放しの個室の前で声をかけながら、山岡はヒョコッと病室内を覗いた。 「は~い」 カーテンをしていないベッドの上で、ニコリと笑った川崎が座っている。 「って、川崎先生…。何してるんですか…」 片手に林檎、片手に果物ナイフ。 明らかに林檎を剥こうとしている姿を見て、山岡は苦笑した。 「あ、バレちゃった」 あはは、と笑っている川崎は、まったく悪びれない。 「川崎先生…ここは基本、病院食以外は禁止なんですけど…」 説明聞いてません?と首を傾げる山岡にも、川崎はシラッと平気な顔だ。 「聞いたけど、基本、でしょ?実はみんな持ち込んでるって」 ははは、と笑う川崎に、山岡も実情はわかっていて苦笑だ。 「まぁ…」 「な?見逃してよ。最後の晩餐だし」 クスクス笑う川崎に、山岡の苦笑が深くなる。 「最後の晩餐って…」 「だってトータルでしょ…。オペしたら、当分普通の食事はできないし、その先だってもう、好きなものを好きなだけってわけには行かなくなる。だからね?」 今日は許してよ、と笑う川崎に、山岡は微笑して頷いた。 「でも、林檎、好きなんですか?」 「ん~?なんていうか、入院、っていったら林檎かな、とか」 やってみたかったんだよな、と笑う川崎に、山岡も笑ってしまった。 「わざわざ買って来たんですか?」 「まぁね。それにしても…点滴が邪魔で上手く剥けないよ…」 すでにルートをとってある点滴のチューブが、手首の外側にグルグルとまとめられ、ペタリとテープで止められている。 かさばるそれをうっとおしそうに見て、顔をしかめている。 「ねぇ山岡先生。剥いてくれない?」 ニコリと笑って林檎を差し出してくる川崎に、山岡は反射的にそれを受け取る。 「こういうのって、付き添いとか看病してくれる恋人とかの役目じゃありません?オレでいいんですか?」 クスクス笑いながら言う山岡に、川崎は大きく頷いた。 「もちろん。いやぁ、山岡先生に剥いてもらった林檎が食べられるなんて光栄なことはないね」 「あはは、何ですか、それ」 笑いながらも、山岡は今度は差し出された果物ナイフを手に取った。 だがふと、手の中のそれを見下ろして考え込む。 「あ~…これって、料理って言いませんよね?」 ポツリと呟いた山岡に、川崎が首を傾げて笑った。 「林檎を剥くのが?言わないよ、普通」 「じゃぁいっか…。包丁でもないしな」 明らかにこじつけだが、山岡は勝手に納得して、スラリとナイフの刃を出し、林檎に添えた。

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