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1章 第21話

「こんにちはー!!」  ガラリとドアを開け頼人が明るい声で言うと部室内からはまばらに声が返ってくる。  本来テスト週間の間は文化部運動部に限らず休みで、生徒は真っ直ぐ寮に帰るのだが、うちの文芸部だけは部長である志波が顧問の世良を説得し、三日だけ部内で勉強会を開くことになった。実は三日間の勉強会が開かれるようになったのは志波と川谷が入部して二度目のテストの後かららしい。  なんでも、二年前に川谷がとある部員のテスト勉強を見たのだが、苦手な問題は分かりやすく解説してくれる上に、テストの山は当たる、間違いやすいポイントは丁寧に教えてくれると大変絶賛されたようで、それが部員内に広まり試験的に勉強会をしたら、部員たちのテストの点数がかなり上がったのでそれがなんだかんだ続いている。世良も、前任の顧問教師からその話を聞いていたようで、部員が勉強に集中するならと二つ返事で申請書に判を押したらしい。 「ぶちょー、かわたん先輩、ここいいですか?」 「ん、いいよ」  志波と川谷が並んで広い長机の真ん中に座っているその少し離れた席で、他の四、五人の部員は参考書を広げている。俺と頼人は志波と川谷のちょうど目の前の席に腰を下ろして鞄を広げた。  志波はともかくとして川谷は、世良や頼人に言わせると三年の中で一番頭がいいという。  彼はB組で中位くらいの成績をキープしているのだが、三年間、それも狙ったように平凡なその順位を変えたことはない。他人の勉強を見られるくせに不自然に平凡なその成績は彼が緻密な計算で維持しているのではないかと二人は睨んでいる。  川谷本人に聞けばはぐらかすだろうが、自習の際滲み出る頭の良さや、彼の書く表現力豊かな文章からは隠しきれない。  ちなみに、どうでもいいことだが世良曰く三年生の中で二番目に頭がいいのは恐らく花見だそうだ。授業サボっている癖にテストは毎回トップクラスらしい。一番を取ると会長がライバル視しそうだからアレもサボってんだろうなというのが世良の見解だ。世良、お前はもう少し生徒のやる気を出させなきゃダメだろ。こと、この学園においては。なんて、俺が言えたことでもないか。  ちらりと川谷の手元を見る。と、明らかに今回のテストでは使用しないであろう言語の本が開かれていて目を見開く。と同時に隣の頼人が身を乗り出して彼に疑問を投げた。 「あれ? かわたん先輩テスト勉強しないんですか?」 「ん? ああ、もう平気だからね。他の子が分からないとこが出るまでドイツ語勉強してようかって。大学の勉強も飽きたし」 「かわたん先輩大学まで進んでんの? やばー」 「普通だよ。ね、勇矢」 「この学校は勉強範囲が広い。八尋みたくわかってて間違えたりしてなければ大学の勉強にまで手が回らないよ。普通はね」 「そう? あはは、そうか」  けらけらと笑いながらそのドイツ語の本をぺらぺらと捲っていく。内容を読めているのか気になって俺はつい聞かなくてもいいのに口を開いてしまった。 「その本、頭で訳しながら読めるんですか?」 「? もちろんだよ。そうじゃなければ購入したりしないだろう?」  ぱちくりと目を不思議そうに瞬かせて川谷は言う。さも当然のことのように言ってのけられたことに俺は世良と頼人の言っていた言葉が嘘ではなかったと理解して、軽い頭痛に眉間を抑える。  分厚い小説本はもう既に半分読み終えていて、今度はそれをいつから読み始めたのかが気になってしまった。でもきっと川谷のことだから、昨日だとか一昨日だとかそのくらいなんだろう。  なんてことを考えていたら隣の頼人が楽しそうな声で川谷に問う。 「へー! どんなストーリーなんですか?」 「んー? それは読んでみてのお楽しみ……、今度和訳されたものを探して貸してあげるよ」 「わーい、いいんですか? 楽しみにしてますね」  脳天気な頼人といつも通りの川谷の楽しそうな二人の会話に軽かった頭痛が眩暈を伴い始めたので俺は自分のことに集中することにした。問題を解いているうちにきりの良い所が出来たので今日はこのくらいでいいかと頭を上げる。  頼人もいつの間にか志波によってテスト勉強に向き合わされ、川谷も知らぬ間に他の部員に囲まれていた。  夕暮れに染まる部室の長机の隅に視線をやる。特に何かを考えるわけでもなくぼーっとしていると志波から声がかかった。 「そこそこ勉強も進んだし、今日は帰ろうか。皆、キリがいいみたいだし」  ね、と微笑む優し気な彼の表情に俺はこくりと頷く。志波は川谷を引っ張って歩けるくらい強かだ。部長としてもしっかりしていて、温厚そうな顔と口調のわりにちゃっかりしているので、そのギャップに最初はかなり驚いたが慣れてしまえばどうってことはない、普通に気のいい先輩だ。 「明日も自由参加だから、好きな時間にね。じゃあ、鍵返して書類出してくるから皆は先に帰ってて。八尋はついてくること、いいね?」 「わかったよぉ」  ずるずると引き摺られていく川谷を背後に俺と頼人は少し遠回りだが中庭に向かって歩く。買い物帰りの我妻と田島にラインを入れたら中庭で合流できそうだったので二人と合流して食堂でご飯を一緒に食べようという話になった。 「そういえばさ、ますみん。ますみんって特待生枠で入学したんだよね?なのにテスト手を抜いちゃってもいいの?」  ふと、頼人がそんなことを言い出した。純粋な疑問だったんだろう。まあ俺も、自分が頼人の立場なら同じこと思うな。 「あのな、特待生とはいえ簡単には解消されねーよ。この学園の特待生枠、一度治まったら成績や順位が一定値より下がらない限りは大丈夫。授業態度も普通だと思うし、だからある程度テストで手を抜いてても平気。下手に目立ちたくないだろ?」  にっと笑うと頼人がなるほどねと悪戯っ子のような笑みを浮かべる。こんなところが気が合うというか、居て楽だと思える所だろう。  鞄を手に持ってぐるぐると回る頼人を少し離れた位置で見ながら待ち合わせの場所に着くと、ちょうど我妻と田島が反対方面から歩いて来た。 「やっほー! 二人とも! デートはいかがだった?」 「バッ……デートとか、そんなんじゃ……なあ?」 「うん? 参考書と漫画と服を買ったよ」  頼人が言うと赤面して狼狽える田島と、特に理解してないのか、はたまた聞き流しているのか、にこやかな我妻が正反対の反応を見せる。  耳まで赤い田島の顏が面白くてつい凝視していると、俺の視線に気が付いた田島が何とも言えない顔で俯く。珍しい反応に楽しくなってじろじろと見ていると間に割り込むように頼人が止めに入って来た。 「それくらいにしてあげなよ、ますみん」 「なんだよそれくらいって」 「まあまあいいからいいから。それより頼んでたアレ買ってきてくれた?」  くるりと振り返って我妻に問いつつ、頼人自身もチラッとさりげなく田島に視線をやる。お前も楽しんでるじゃねえか。と言いたい。  聞かれた我妻は手に持っていた袋を差し出してにっこりと悪意なく微笑む。 「はい、頼まれていた小説。これであってる?」 「あってるあってる! ありがとう! この前ますみんといった時買い忘れてさー!!助かる! やっぱこの作家さん最高なんだよねー!」  がさがさと中身を確認して首を縦に振る頼人によかったと微笑む我妻の頭をなんとなく撫でる。と、顔を真っ赤に染めてカチコチに固まるので俺はちょっとおかしくなって噴き出しそうになるのを堪えた。  我妻は俺に弱いらしく撫でたり見つめたりすると真っ赤になって固まる習性があって、それがとても……、男に言う言葉ではないと思うが、可愛くてつい癒しを求めてやってしまう。よく本人から心臓が止まるのでやめてほしいと苦情を受けるがこればかりはやめられない。  興奮した様子の頼人と笑いを堪えている俺と赤面して固まる我妻を見て冷静になったのか、田島が早急な場所の移動を提案してくる。時刻はもうそろそろ六時を半分回った頃。夕食にはちょうどいいタイミングだ。  俺はそれに頷いて興奮で話を聞いていない頼人を無理矢理引き摺って食堂へと向かった。 *** 「っくしゅ」 「? ますみん風邪? だいじょぶ?」  パネルを操作して注文が完了したと同時にくしゃみが一つ飛び出す。と同時に寒気がしてばっと後ろを振り返るがただ可愛い顏や綺麗な顔の生徒がグループを作って座っているだけで特に何もない。  自分の体を抱き込んで肩を擦りながら首を傾げると、不思議そうな顔で希代が問う。  大丈夫だと笑って見せると希代は納得した様子でパネルに視線を戻した。 「須賀、これ、サンキューな」  全員が注文を終えると田島が鞄から貸していた本を取り出した。数週間前に田島が買うか悩んでいると言っていた本をちょうど俺が持っていたので、貸したのだがもう読み終えたらしい。受け取って自分の鞄にしまおうとしていると、我妻がこっちを見ていることに気が付く。視線が合うと俯いて顔を真っ赤に染められた。 「我妻も読むか? 面白いけど」 「……!! 読む!」  反射で顔を上げた我妻にニコッと笑って本を差し出す。ボンッと爆発したように顔をさらに赤く染め上げて、しぼむように俯きながら受けとる彼にほわほわと心が癒される。 「我妻は本当に可愛いな」  にっこりと微笑んで言えば我妻は益々赤くなってしぼんでしまう。小さな声でそれ以上は勘弁してと言う彼に俺はくすくすと笑う。田島も頼人も笑顔を浮かべていて場の空気が和やかになる。  そうこうしているうちにウエイターが食事を運んできた。今日の夕飯は大根おろしと紫蘇の乗ったハンバーグだ。溢れ出る肉汁がジュウジュウとプレートの上で音を立てている。  肉厚で美味しそうなそれを一口大に切って口の中に運ぼうとして、手が止まった。制服のポケットに突っ込んだスマホが震える。なんとなく見ないといけない気がしてハンバーグを皿の上に戻してスマホを出した。  画面を確認してうげっと声が出る。百合から着信とメッセージが来ていて、「今どこ?ご飯一緒に食べよ」と送られてきていた。  食堂に来て夕飯を食べ始めていることを教えたくない。教えたら絶対に今からここに来る。面倒なことになる気がする。そう考えて俺は断ろうと手を動かすが、下手に嘘をついて鉢合わせたりした時のことを考えるとそれは良案とは思えず、結局無視することにした。 「ハア……」  ため息を吐いてハンバーグを口に運ぶ。柔らかな肉の旨みと口に広がる肉汁に思わず笑みが零れる。百合のことが吹き飛びそうなくらいに美味いそれに俺が感動していると、背後から聞いたことのある声で名前を呼ばれた。 「須賀」 「はい?」  どちら様と後ろを振り返ると見覚えのある黒髪が目に映る。  座っていることも重なって身長の高い黒髪の男、槙を見上げるような感じになるがこれは致し方ない。  なんの用だと問うと槙はたまたま後ろ姿を見つけて声を掛けたと答える。自分もこれから食事なのだというので一緒に食べますかと聞いてやると槙は嬉しそうに笑顔で頷いた。 「待って、ますみん。風紀委員長と仲いいの?」 「あ? ああ、ちょっとな。こないだ話したら割と趣味があってさ」  頼人がパスタを食べていた手を止めて驚きに目を見開く。本当のことを言うには人の目がありすぎるので適当に理由を作って話す。槙も察してそうそうと頷いて見せた。 とはいえ風紀委員長とどんな趣味が合ったのか気になるようで、周囲の視線は釘付けだ。 「はあ~ますみんったらまた人を魅了してしまったのね」  頼人が琥珀色のキラキラした瞳で俺を見る。その輝きに俺はげんなりしつつもそういうのじゃないと手を振った。  頼人とは逆の、左隣に腰を下ろした槙はパネルを操作してメニューを見ている。ちょっとした悪戯心が湧いて俺はそれを横から覗き込んでタッチパネルの主導権を奪い、自分が食べたかったもう一つのメニューを指さす。  無言で漬けマグロ丼を指差された槙は俺と画面を交互に見て、少し悩んで自分のカードキーを使って漬けマグロ丼を注文した。やったぜ、一口貰おう。 「一口」 「ああ、そういうことだと思った」 「ーーーッ!!!」  隣で机をバンバンと叩いて身悶える頼人は視界に入れたくない。小声で「またそうやって僕を喜ばせる!」と叫んでいるが聞こえないふりをした。別にお前を喜ばせようという趣旨ではないからな。食べたかったんだ、漬けマグロ丼。仕方ないだろ。  槙も困惑した顔で頼人を見つめるもんだから俺はいつも起こる発作なんだと言ってハンバーグを一口食べる。我妻も田島もはじめこそ風紀委員長との夕飯に戸惑っていたが、いつも通りの頼人に飽きれた様子で自分たちのご飯に手を付け始めている。  それはそうと、自分は漬けマグロ丼一口貰うのにこっちは何もあげないのも悪いよな、と考えて俺は持っていたフォークを槙に渡す。 「一口いります?」  あーんは流石に子供じゃないし、人の目もあるからな。なんて思っている俺の手を凝視して槙は硬直している。何かを感じ取った田島が槙を憐れんだような目で見ていて、俺は首を傾げた。友人間ではご飯のやり取りは普通だろう。  首を傾げた俺にハッと意識が戻った槙がフォークを受け取りハンバーグを一口食べる。口の中で何度か味を確かめて飲み込んだ後、美味いと笑う槙に俺はへらっと笑って同意した。 「三人は、名前はなんて言うんだ?」  槙がそう聞くと田島が箸を動かすのを止めて茶碗を持つ左手をゆっくりとした動作で下ろした。我妻もラーメンを食べる手を止める。頼人はそもそもパスタを食べるどころの騒ぎではない一人お祭り騒ぎだ。 「あ、えと、我妻といいます。はじめまして」 「田島っす。そっちが希代頼人」 「よろしく。あ、田島はスポーツ推薦だろう?バスケ部には友人がいるからな、良く知っているぞ」 「そうなんすか」 「お待たせしました」  笑みを浮かべる槙の元にウエイターが漬けマグロ丼を運んでくる。タイミングがいいなと思いながら俺は水を飲む。  槙が割と大きめの一口を取ってこちらに向けて来たので俺はコップを机に置いて口を開ける。友人間で男同士あーんなんて普通はしないんだろうけどまあいいだろう。こっちの世界の常識は分からないし、俺は頼人とたまにやっているからなんとも思わない。  風紀のファンクラブは良識ある奴が多いし、問題を起こせば処分を受けるってわかっている連中ばかりだからこんなことしててもなにも問題ないだろうなんて軽い気持ちで槙の差し出した一口をぱくりと食べた。 「ねぇ~なにしてんのぉ?」  そして俺は思い出した。既読スルーしていたことを。

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