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第2話 幼心に

     俺はこの風貌から、幼少期より気味悪がられてきた。皆とは違う白髪の頭、色素の薄い瞳、色白な肌……。理由もなく石ころで的にされるなどしょっちゅうで、自分でも気色の悪い生き物だという自覚はあった。好奇の目が何個も俺をじろじろと見たから。その度に俺は落ち込み、俯きながら生きた。でもそんな俺を、京介様はいつも綺麗だと褒めてくれた。京介様は俺の狭い世界の中で、たった一人の味方だった。   「右京っ」 「……京介様」    木枯らしが吹き荒ぶ、離れの裏門の前に立たされている俺に京介様が白い息を荒げて声をかけてくれた。京介様を視界に入れた途端嬉しさと同時に、申し訳なさが俺を襲った。   「こんなところにっ……はあっ、はあっ」 「京介様。俺に話しかけているのを見られたら京介様まで叱られます。早く……」 「見せて。……こんなに力いっぱいぶたれたのか」    宗一郎様にぶたれた左頬を、心配そうに京介様が見た。俺の白い肌がさぞかし赤くなっていることだろう。俺が視線を上げられずにいると、そっと冷えた手の平が俺の頬に触れた。   「……い、いけません、京介様」 「……ごめんな。気づいてやれなくて」 「……っ」    その気遣いに、じわ、と涙が滲んだ。こぼれ落ちる前に慌てて手の甲で拭う。落とした視線の先に、京介様の足元が映った。草履も何も履かず、俺と同じに裸足だ。   「い、いいんです。俺が、悪かったから」  なぜ。   「……ごめんな。俺、叔父上には逆らえなくて」 「あ、謝らないでください。悪かったのは俺です……」 「……」 「それより、京介様、何か履いてください」    こんな砂利の上で……。   「たった一列、廊下を拭き損じただけだと聞いた。こんなになるまでぶたなくとも……」 「京介様! いけません。屋敷に戻ってください。こんなところを見られては……」 「泣いているお前をそのままにするほど薄情者ではないぞ、俺は」 「……。京介様……」    ぎゅっ、とその腕に仕舞い込まれた。召物から、お堂のお香の香りがする。京介様の優しさにまたもや涙が溢れ、俺は声を出さずに肩を震わせた。   「っ……。ふうっ……」    野晒しで長いこと立たされていた足が急に痛みだした。現金なものだ。心配された途端にガクガクと震え出してしまうとは。   「こんなになるまで……少し休もう。疲れただろう」 「いえっ。だめです。早く戻ってください。京介様まで……」 「その時は、二人で一緒に叱られようか」    どうして……。   「……っ。ううっ……」    どうして俺にこんなに構ってくれるのか不思議だった。どうして俺に優しくしてくれるのか、俺は夜も寝ずに考えたこともあった。どうして……。   「きょ、京介様……」 「行こう。大丈夫。今まで誰も来なかっただろう。見に来やしないよ」 「……でも……」    俺は申の刻まで立っていろと言いつけられていた。確かに、その時間はとうに過ぎているだろう。   「右京は意外と胆っ玉が小さいんだな。俺が大丈夫だと言ったら大丈夫だよ」 「……」    ここから離れるのに乗り気ではない俺の手が包まれた。今日もひたすら稽古していたのだろう。ごつごつとした豆が固くなっている。   「今度は、俺が守ってやるからな」 「……はい」    ずずっと垂れてきた鼻を啜る。なんと情けない男だ、俺は。言われた家事もこなせず、あまつさえ領主の跡取りの子息様に心配されるなど……。   「あの……どこまで行くのですか」    裸足のままの京介様が気になって仕方ない。   「ああ、あまり遠くまでは行かないよ。すぐそこに洞穴があるんだ。一緒に行こう」 「はい……」    ぐいぐいと強引に俺の腕を引っ張る。俺は逃げ出せないこの屋敷から、優しくしてくれる京介様にいつもどこかで甘えていた。   「ほら。見て」 「うわ、すごい」    なんてことはない、ただの穴だ。でもそこは手付かずではなく、京介様が藁やら落ち葉やらを集め、壁もなにやら土を盛って固めている様子だった。   「すごいだろう。狭いけど」 「すごいです……」    先に京介様が穴に入る。ガサガサと端に寄って、その隣をポンポンと叩いた。   「早くお前に見せたくて。お堂を探してもいないからもしかしてと思って下人に聞いてみたんだ。皆口が固くて困るよ」 「そう、でしたか……」    俺が座るのを嬉しそうに見ている。なんだか照れくさくて、俺は膝を抱え小さくなって座った。   「……まだ痛むか?」 「……いいえ。痛く、ありません」 「嘘をつけ。もう一度、見せて」 「はい……」    身を捩り、まだヒリヒリと痛む頬を京介様に向けた。またひやりとした手の平が触れ、ジクジクと痛むようにそこが疼いた。   「……ごめんな」 「……」    フルフルと被りを振った。謝られる権利は俺にはない。どんなに宗一郎様に虐げられようが、下人どもに疎まれようが、俺にはここしか居場所はなかった。そして、京介様は俺の心の拠り所だった。京介様のことが、好きで仕方ない。俺がどんな立場でも、ここにいたかった。   「明日から、俺も雑巾掛けするよ」 「そっ、そんな」 「はは。あれをすると足腰がすごく鍛えられるらしいじゃないか。右京、お前、俺に教えなかっただろう? 稽古にも丁度いいだろうし」    それに、お前に手違いがないと俺が証明できるからな。と京介様は言った。   「京介様……」    どうして、こんな俺を庇うのだろう。どうして、こんなふうに微笑んでくれるのだろう。これでは自惚れても仕方ないじゃないか。   「お慕いしております……京介様」    ついと言葉に出てしまった。どう返されるだろうか。思わず……。   「ああ。嬉しいよ」    京介様はそう言って、埃っぽい俺の髪を手櫛でといた。女子(おなご)であればきっと心を寄せるに違いない。さりげない、その仕草。   「今日も綺麗だな、お前は」 「……手が汚れます」 「はは」    どこをどう見たらそのように見えるのか教えて欲しい。   「見ろ。陽が落ちる」 「……」    その日は、水平線に落ちる、洞穴から見える眩い程の夕日を共に見た。カッと陽が傾いてゆく。昼間と同等に眩く、直視できない。俺には眩しすぎて、そっと重ねられた手の、京介様の心遣いが沁みるように嬉しくて、まともに見れたものではなかった。とても綺麗だったのだろうと、その後の京介様の言葉から想像できた。   「綺麗だ」 「はい……」    京介様にはきっと隠しきれなかっただろう、俺が涙するのを。声さえも我慢できずに震えてしまった。  あなたの側に、ずっといられたら。俺はどんなに幸せだろうか。今のこの瞬間が、果てしなく続いてくれたら……。   「さすがに夕飯までには帰らないとな」    京介様が屈みながら穴を出る。その後に俺が続く。京介様が振り向き、手を差し延べ俺の手を取ってくれる。男らしい、俺とはまるで違う血管が浮いたその頑丈な手。   「はい」 「こっそり握りを持って行ってやるからな」 「……はい」    俺も、強くあらねば。この人の側にいたいと思うのであれば、もっと頑丈な心を持たねば。  俺はそう自分に言い聞かせて、名残惜しくも二人だけでいた洞穴から元来の場所へと身を移した。       「う、右京……まだかっ」 「ふふ。少し老いましたか? もう少しですよ」 「くっ……」    足元の悪い岩肌を兎のように跳ねる俺に、京介様は息を上げてついてきた。しんしんと冷える夜に、鼓動だけが高鳴る。   「後少しです、京介様」    険しい山道をひたすら登ったその先に、俺の案内したい場所はあった。俺の隣に京介様が汗を垂らしながら立つ。京介様の額の汗を俺が指で拭うと、ふう。と息を漏らした。   「すごい汗ですね」 「お前……随分と野生動物のようになってしまったな」 「ふふ。庭のようなものですから」 「……ここか?」 「はい。今はもう使われていません。とても古い家屋ですが近くに温泉が湧いているんですよ」 「へえ……」    明かりも何もない、簡素で小さな民家。昔は誰かが住んでいたのだろう。囲炉裏なんかもあって、俺は宿を転々としながらここで寝泊まりすることもあった。   「古いですが少し手入れをしています。今日はここで休みましょう」 「あ、ああ……。ふぅ。やっと息が落ち着いてきた。すごいな、お前は」 「……こちらに」    たし、たし、と薄く雪が積もる地を草履で歩く。俺の後についてくる京介様の顔は見れない。動いた後の心臓の音ではない、懐かしい鼓動が俺を包んだ。   「……おお、すごいな」 「でしょう。少し温めですが。一緒に入っても?」    俺はわざと腕をさすりながら京介様に聞いた。   「あ、ああ。もちろん。汗をかいたから冷えたな」 「……」    以前の家主が作ったのであろう。家屋の側に、穴を掘り岩を組み上げて作った小さな露天風呂。俺と京介様は冷え切った体をもくもくと湯気立つその湯に浸けた。   「ふぅーっ。これはなかなか……」 「……良かったです。お気に召したようで」 「ああ……」    何枚かの落ち葉をすいと掬って出し、ちゃぽ。と湯を肩までかける。男同士、なんの遠慮もいらないはずなのに京介様は俺から極端に目線を逸らし続けた。   「うーん、熱いな」 「そうですか? 少し腰掛けては」 「そうだな……」    ざば、と湯が京介様から離れ落ちた。じゃぶじゃぶと手拭いを湯に浸け、それで顔を拭いている。   「ふう……足がジンとなる」 「そうですね」 「……おっ」    ちゃぷ。水面を静かに揺らめかせ、俺は京介様の側に寄った。   「おい……」 「京介様。お慕いしております」 「……右京」    岩肌に休めている京介様の右手に、そっと自分の手を重ねた。熱いと言っていた京介様の体はなるほど、十分に温まっている。   「京介様……」    すい、と移動して閉じられる前に京介様の股へと体を差し込み、太腿に手をかけた。そんな俺に京介様はぎょっとした。   「なっ、なにをする」 「なに、とは……?」 「うっ。や、やめ……」 「……。宗一郎様が私になにをしてきたか、知らないとは言わせませんよ、京介様」 「……!」 「ただ同じことをするだけです」 「うっ、右京……」    つつつ、と指先を滑らせ、まだ萎えているそれをとろりと持つ。顔を傾け舌を出し、ぺろりと先端を舐めた。うっ、と声が聞こえて、何度か繰り返すとそれは次第にむくりと頭をもたげてきた。   「右京……っ」 「……」    俺が舌を這わせる度、京介様が、びく、びくと内腿に力を入れた。背を丸くして俺の肩を持つ。だが京介様が俺を拒むはずがない。    そう。俺は、京介様が男色家であることを屋敷にいた頃から知っていた。    それを知った時、脳天に雷が俺に向かって真っ直ぐ落ちたような衝撃を受けた。俺が言いつけを早く終わらせた夕刻、京介様に会いたくて庭からこっそりと部屋へと向かった。京介様の部屋の障子の下は嵌め硝子になっていて、声をかける前に中の様子が見えた。   「……な、なに」    京介様の引き締まった裸体が、何かを揺さぶっている。畳にひれ伏すように倒れている人間がいる。それの腰を掴み、その上でひたすらに腰を振っていた。   「……、……うっ」    急激な嘔吐感が俺を襲った。京介様の、雄の部分を初めて直接見てしまった。どのくらいその行為を見ていただろうか。なぜか目が離せなかった。ふと、組み敷かれている人間の顔が見えた。ぐいと京介様に抱えられる人間。それは恍惚とした、えも言われぬ表情だった。   「うっ。……おえっ……うっ、うう」    我慢できず、ビチャ、と庭に胃の中のものを吐いた。   「はぁっ、はぁっ……」    俺はただひたすらに走った。広い屋敷の中で、誰も来ない古い納戸の近くでぼろぼろと泣いた。訳もわからず、この感情が自分でも理解できなかった。    ——京介様。    京介様が抱いていたのは、男だった。       「……気持ち良いようで、良かったです」 「……くっ。……う……っ」    べろり、べろり。と下から上へとそそり立つものに舌を這わせた。時折自分の肺から熱い吐息が漏れ、その度に愛しさが込み上げた。先を右の三本指で支え左手で根本を押さえ、顔を傾けて舌全体でゆっくりと舐め上げると京介様の体がビクビクと震えた。   「あっ。うっ、右京……」 「……」    ヒュッ。と冷たい風が俺達に吹いた。それでも湯に浸かっていればそれなりに温かい。足しか浸かっていない京介様の体は、全然冷えてなどこなかった。   「口を……離してくれ、右京……」    ああ、もっと近くで京介様の顔を見たいなぁ……。   「……」    京介様の言うことに構わず、喉の奥まで招き入れる。   「右京……で、出そうだ。う、くっ」    じゅるる、と自分の涎と共に空気を混じらせる。耳を塞ぎたくなるような、なんとも卑猥な音だ。   「右京……! ぐっ……!」 「……っ。……、……」    びゅる、びるる、と口に吐精された。口を窄め、ちゅるっと最後まで吸ってごくりと喉を鳴らし飲み干す。   「なっ、なにを……!」    濃く粘つく精液を、口内を舐め回してもう一度飲み込んだ。   「ふふ。これをすると男は皆喜びますよ。宗一郎様もそうでした」 「なっ……」    俺を見てわなわなと口を震わせている。俺は京介様に、体が冷えますよ。と言って半身分移動した。   「……京介様?」 「右京っ」    京介様が、ざぶんとその身を湯に潜らせた。びしゃ、と温かい湯が顔にかかる。温かいと思ったのは湯のせいだけではなく、京介様が俺を抱きしめたからだった。ぽた、ぽた、と俺の髪から雫が落ちた。   「右京……すまない……。すまなかった……!」 「……京介様。お気になさらず。あの頃の俺は、とんだ無知でしたから」 「……っ」    ——ああ、心地良い。京介様の腕の中は。    ぎゅうと強く抱き締められ、返すように俺は下から京介様の体を(くる)んだ。はら、とまた落ち葉が何枚か風に乗って湯船に入ってきてしまった。それを見ながら、俺はそっと目を閉じ、悦に浸る時間に自ずと頬が緩んだ。        そういえば、俺が京介様による雷に打たれたあの日。俺はあの下役に見覚えがあった。食事の仕出しを任されている、下人のうちの一人。俺とは一切面識はなかった。  俺はそいつを、京介様の名を使って裏山に呼び出し、喉を掻っ捌いて殺した。そのままにしていればこの冬山の猪のご馳走にでもなるだろう。    俺の、最初の人を殺めた日であった。        

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