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第3話 京という名

     ぱちっ、ぱちぱち……。    囲炉裏の炭が小さな花火のように弾ける。京介様はあれから落ち込んだように何も喋らず、俺はどうしたものかと思考を巡らせた。   「右京」 「はい」    ふいに名を呼ばれ、斜め前に座る京介様の顔を見た。真面目なその瞳に、俺は続く言葉を待った。   「お前に……罪滅ぼしをしたい」 「罪滅ぼし? 何のです?」 「宗一郎様がしてきたことの……」 「……ああ。それの。結構ですよ。もう過ぎたことです」 「……右京。俺は」 「京介様。罪滅ぼしをしたいというのであれば、私をお側に……これが私の願いです」 「……わかった」 「嬉しいです、京介様」 「……」    今更罪滅ぼしをされようが、それには何の意味もない。だが京介様にとっては不運だったろう。人の上に立つ器でない者が自分の君主とは。能無しが上の位だと割を食うのはそれに仕える者達なのだ。いつの時代も。            俺の右京と言う名。京介様の名。偶然にも同じ京が付くそれに、俺は幼い頃から運命めいたものを感じていた。会うべくして、巡り合ったのだと。  俺には双子の兄がいた。名は、左近。俺達は赤ん坊の頃寺に捨てられた。どうしても育てられないから、と。俺の兄は流行病でその後すぐに亡くなったそうだ。それから俺は寺の坊に世話になりつつ、寺の手伝いなどしながら質素な暮らしをしていた。  ある日、俺は里子に出されることになった。坊が高齢となり、寺を仕舞うことになったのだ。今度は近くの少し栄えた屋敷で過ごすことになった。そこでの暮らしは俺の想像を遥かに超えていた。無論悪い意味でだ。寺にはそれほど人がいなかったから、大勢がいる屋敷での俺の容姿は目立った。成長するにつれ、俺は自分が普通ではないのだと自覚した。ただ、京介様がいたからどんなに辛くとも耐えることができた。いつも俺に構ってくれる京介様は、俺にとって太陽のような人だった。           「京介様。冷えませんか」 「……大丈夫だ。ありがとう」    大丈夫だと言う割にはその顔に雲がかかっている。きっと先程の事をあれやこれやと考えているのだろう。   「そろそろ横になりませんか」 「あ、ああ……そうだな」    京介様が蓑を床に敷き、その上にごろんと横になった。俺は棒で炭を散らばせ、その小さな明かり達が囲炉裏の中でぼんわりと光った。   「……隣で寝ても?」 「ん……いいぞ。今日は冷えるからな」 「はい」    その背中にそっと近付いて同じように横になった。大きなそれに、右の手の平を合わせてみる。   「ん……なんだ」 「ふふ。子どもの頃を思い出しました」 「ああ……お前は探すのが得意だったな」 「はい……」    隠れている京介様を見つけてその体に触れる。無邪気な子どもの遊びだ。   「京介様……」 「う、右京?」    すすす、と背骨をなぞり、脇腹をなぞり、太腿をなぞった。寒いですね。と言いつつ京介様の大きな体に自分をぴたりと合わせる。俺は、また京介様の中心をくにくにと触った。   「右京」 「京介様。先程の……溜まっていたのでは?」 「な、なにを……」 「私で良ければ、お相手になりますよ」 「なっ、ならん」 「……。こんなになってるじゃありませんか」    布の上からこすこすと擦ると、面白いほどそれが反応した。   「……っ。右京。手を……」 「京介様。実は私も寂しいのです。帰る家もなく、身を寄せる相手もいません」 「うっ……」  身を起こして、無駄な力を入れる京介様をじっと見下ろした。俺がこうなってしまったのはあなたのせいでもある。そう言わんばかりに。   「気が乗らないなら、目を瞑っていればいいだけですよ」 「あ……」    身を屈め、京介様の帯を解いた。それと同時に緩くしていた自分の帯も解く。京介様の着物をはらりとはだけさせると、あの頃よく嗅いでいたお堂のお香の匂いが微かに鼻に触れた。   「右京。こんな……」 「ふふ。何をそんなに固くお考えで?」 「なにをだと……」 「ただ、まぐわうだけですよ」 「……っ」    ぐい、と京介様の腕を引き体を起こして、座った京介様の上に膝立ちして乗った。腰をゆっくり下ろし、ひやりとする頬と頬を重ねる。体を丸くして首元までを顔で撫でると、京介様は俺に触れようか触れまいか迷っているようだった。   「目を……閉じて……」    左手の小指を使い、京介様の瞼をそっと下ろした。ごくり、と喉を鳴らした京介様。俺は後ろ手に、猛った京介様を自分に招いた。ぱち、ぱち、と鳴る囲炉裏からの音と、くち、とそこが合わさる音。それと、京介様の荒くなる呼吸の音……。自分が主導権を握っている感覚に、俺は酔いしれた。ついに京介様と繋がれる。京介様と一つになれる。得体の知れない期待が、俺の中をぐわりと駆け巡った。   「うっ」 「ンン……すごい……大き……っ、ああっ……」    想像していたより遥かに大きなそれに、息が長く吐き出される。俺は埋められる幸福感と、これからどれほどの快楽が待っているのだろうという期待で、つい頬が緩んだ。   「う、っ、……くっ」 「ああ……すごい……京介様……く、ぅっ」    仕込んでいた葛が、中でぐちゅりと泡立った。窮屈だったのか京介様が足を投げ出す。俺は京介様の肩に手を置き、徐々に腰を落とした。俺の中に深く入るほどに京介様の腹に力が入る。鍛えられた美しい躰。俺がどれほど稽古の真似をしようが体の大きさは変えられず、ずっと羨ましく、憧れだったこの躰。   「うっ。右京。ぐっ……」 「……京介様……具合は、いかがですか。お気に召すと、いいのですけれど」 「はぁ、はあっ。うう……っ」    ぎゅっ、ぎゅ。と瞼を固く閉ざし、頑なに開けようとしない。そんな京介様がおかしくて、俺はもっと腰を下ろした。想像より浅い所までしか入らない。が、それもこれから慣らしていけばいい。膝に力を入れて腰をはしたなく揺らめかす。京介様が、ああっ、と声を上げる。    ああ、なんていい気分だ。    これではどちらが犯されているのか分かったものではないな。俺はそう思いながら、念願だった京介様との二人だけの時間を堪能した。           「はぁ、はぁ……」 「少しは発散できましたか」    またもや俯く京介様に、俺は着物を羽織りながら聞いた。   「右京……その、一緒にいたいと言ってくれるのは……嬉しいが……」    語尾が力を無くしている。   「……嬉しいが、なんでしょう?」 「む、無理をしていないか。俺が……男しか抱けない、から……」 「私が無理を? ……ふふっ」    あははっ、と笑って一蹴する。   「私は望んでこうしているのですよ、京介様。今はとても素晴らしい気分です」 「……」 「あなたが望めば、私は、いつでも」    そんな心配そうな瞳で俺を見ないでくれ。あなたが思っているより、俺はずっとずっと卑しい人間だ。あなたが城を追われた事で京介様自身に自由が生まれ、それを共に過ごせている事に満足さえしている自分がいるのだ。   「……右京」 「……ふふ」    京介様の髭のある顎を指の背で撫でる。こんな事は経験がないのか、京介様は俺を見て顔を強張らせた。まるで初心な兄者の相手をしているようだ。綺麗だと言ってくれた俺の瞳を、その向こうまで見透かすようにじっと見た。ふと唇を合わせたくなって、薄目をして背筋を伸ばし顔を近付けた。   「……っ」    ぱ、と顔を逸らされる。その顔は困惑の色を映している。まだ腹が括れていないということだろう。俺が望んでいるのだから、まぐわう事など気にする必要もないのに。   「あ、……わ、悪い」 「いえ」    その代わりに、そっと頬同士を触れさせた。京介様が、白くて綺麗だと言ってくれた俺の肌。華奢な俺の指で京介様の温かな手の甲に重ねる。もう、何もかもをあなたに捧げてしまいたい。今までも、ずっとそんな気分だったのだから。   「……お慕いしております。京介様」    京介様を頭からそっと抱くと、おずおずと遠慮しながら俺の背中に腕を回してくれた。心の底がぷくぷくと沸き立つように感じられて、生涯忘れられぬ日になるだろうと、そう感じた。  向かい合って夜を共にする。京介様はすっかり寝入ってしまって、俺はその寝顔にしばらく見惚れていた。やがて瞼が重くなる。もう少しだけ見たいと思いながら、ひとつ、ふたつと瞬きをする度に夢の中へ誘われた。           「……」    ざぁざぁと竹が強風に晒される音がする。俺は、その中に確かに異変を感じて耳をすませた。   「京介様」 「……」 「京介様。起きてください」 「……ん……っ。うきょ、う……」 「京介様。何者かに囲まれているようです。起きてください」 「な、なにっ」    まだ寝ぼけ眼の京介様を置いて、静かに屋根裏への階段を登る。壁の隙間から辺りの様子を伺い、俺は着物の帯を締める京介様の元へ急いだ。   「……いるか」 「はい。風呂の方に三人、竹藪の方に二人……少なくとも」 「……そんなにか」 「恐らく。二手に別れましょう」 「な、なに。右京……」 「私も少しはできると言ったでしょう。では」 「あ、おいっ」    簡単に帯を締め、腰刀を差し表に出る。今日は風が強い。そのせいで見誤ったのか、四人と三人に増えていた。   「京介様はあちらを」 「……右京っ」    遅れて出てきた京介様に別れを告げ、俺は竹藪の方へ歩を進めた。   「おぉ、本当にいるじゃねえか。……ん? 女だっ! 楽しんだ夜に申し訳ねぇなぁ」 「雪女みたいだ……捕らえて皆で犯そう」 「いいなぁ、それ。捕まえた奴が一番先だ」 「おう」    どき、どき……と興奮が鼓動に反映される。血が滾るようだ。脇差を抜き、ぎう、と握る手に力が入った。   「来い」 「……ん?」    びゅおおっ、と夜風が吹き荒ぶ。俺の髪もバサバサと空に舞った。緩くしていた帯が風に負けて解け、がば、と着物が着崩れた。   「おい、男だぞ。こいつ」 「ふん。関係ねぇ。こんな男は滅多にいねぇよ。捕らえて犯すぞ」 「俺男は初めてだぜ」    よく喋る猿だ……。   「悪いなぁ。兄ちゃん。抵抗しねぇでくれると嬉しいんだがなぁ」    チキ、と刀を俺に向けて構えた。   「まとめて来い。全て血祭りにして見せよう」 「……ぶははっ! 囲まれてるのがわかんねぇのか? やれっ!」 「おうっ!」 「……ふふ」    俺より大きな塊達が止まって見える。すう、と身を低くし、ある者は切腹するように真横に。ある者はその喉に一太刀を。そして、最後の一人はその心臓に切先を突き立てた。   「……が、あっ」    びしゃ、と赤黒い血液が飛び散る。猿たちは舞も覚える事なく、目を見開いてどさどさと地面に倒れた。   「……ふん」    じん……と握りしめていた手が痛んだ。肉を断ち切るのには腕力がいる。やはり俺の筋力ではこの辺が限界というところか。刃先をピッと振って血振いし、ふう、と白い息を逃した。   「右京っ、無事かっ!」 「……京介様」 「はあっ、はあっ、はあっ……う、右京……」    帯をまた軽く締める。上手く重ねられなかった着物が、着崩したように下手になってしまった。振り返って京介様を見る。血まみれの俺と、地面にへばり付く男共を見て絶句していた。   「お前……」 「お怪我、ありませんか」    どうやら返り血を浴びたようだ。自分の顔が生臭い。ぽた、と俺のものではない液が頬から落ちた。   「右京……白銀の鬼とは、やはりお前の事だったのだな……」 「……確かに、そのように呼ばれているようで」    京介様は俺を責めるような瞳をして眉を顰めた。   「お見事ですね、京介様は。こんなに返り血を浴びない術を教えて欲しいものです。また風呂に入らないと」    ごし、と手の甲で頬を擦ると、他人の血液がざらりと伸びた。ごろ、と転がっている男を転がし天へ向け、俺は膝を折った。   「……ならんっ!」 「……どうしてです? もうここはしばらく使えません。俺は金を持っていませんよ」 「やめろ……右京」 「……。……ふぅ」    ごそりと探っていた手を止める。勿体無い。ここにしばらくは金に困らない銭入れが無言で転がっていると言うのに。   「風呂に入ります。一緒に?」 「いや……一人で入れ」 「……わかりました」    湯に体を浸けると、俺に付いていたものでたちまち水面が濁った。月明かりに照らされながらゆらりとそれが薄くなる。顔についているであろうそれもぱしゃぱしゃと湯をかけるとたちまちさっぱりとした。   「……ふふ」    露天の近くに転がっている四人の山を見て、笑みが溢れてしまった。    俺とあなたと、一体何が違うと言うのでしょうか。どちらもなんの躊躇もなくこうして屍の山を築くことができる。ああ、俺が盗人のような事をしたからあんなに怒ってしまったのか。   「ふふふ。あはははっ」    そういえば、城にいた頃俺は京介様の稽古をよく見ていた。観察していた。その太刀筋があまりにも美しくて。そのようにして斬られる者は本望ですね、と言った事があった。その時も激しく叱責された。この剣は、人を殺めるためにあるものではない! と。その後も俺が稽古を見る度、そのような事がないように、と幾度も口煩く俺を諭した。   「くくっ。……ふぅーっ」    京介様。あなたに教えてもらったこの腕で、私はあなたに会えたのですよ。死にゆく者に金は必要ありません。今まで斬ってきた連中も、もれなく私が有効に使ってきました。だから、そんなに怒る事はなにもないはずです。    久しぶりのあの感触に、今宵の月夜の美しさに、俺は京介様と再び会えた事に、頬が緩むのをしばらく抑える事ができなかった。          

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