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15 高井のマンションへ

 ジャグジーでは気付かなかったが、散々突かれて限界を迎えていたらしい俺の腰は、やっぱり役に立たなかった。  おい高井、いくらなんでもやっぱりヤり過ぎだと思うぞ。  だが、俺にだってプライドというものはちょぴっとはある。 「お姫様抱っこだけは勘弁してくれ!」  という俺の主張を、高井は実に残念そうな表情でだけど受け入れた。え、なんでそんな顔をする? まさか高井は、本当は俺をお姫様抱っこしたかったのか? いやいやまさか、だってオメガでもない平凡なベータの男を横抱きして街を闊歩してるアルファなんて、どう考えたって頭がおかしいと思われるやつだぞ。  これはあれだ、俺の腰と酷使されたケツの穴を保護する為に――と一瞬考えて、生々しかったまぐわいが脳裏を過ぎり、急いで首を振ってピンク色の思い出を振り払った。  ということで、高井が渋々俺をおんぶしてラブホから出ると――外はもう真っ暗になっていた。 「は? え? 今いつの何時?」  ネオンサインがいかがわしく光る中、唖然としつつ尋ねると、高井がバツが悪そうに答える。 「……丁度入った時から丸一日くらい、かと」 「は?」  道理で俺の腹がもうずっとギュルギュル鳴きまくってる訳だ。  振り向いた高井が、眉毛を垂らしながらのたまった。 「すみません……僕のラットのせいです。誉さんを沢山無理させちゃったから……!」 「ぶはっ」  お前はさ、どうしてそんな恥ずかしいことをちょっぴり嬉しそうな顔をして言うんだよ!  肩から顔を乗り出して真横の高井をジト目で見ると、高井が「許して?」と愛嬌を振りまくわんこさながらな純粋そうな笑顔を繰り出してくる。  そして、とんでもない提案をのたまった。 「ではこうしましょう誉さん! お詫びに、この年末年始は僕が誉さんの生活全般の面倒を見させていただきますから! それに首の手当てもちゃんとしないとですよ!」 「は?」  まるでとてもいいアイデアだと言わんばかりの勢いに、俺は大いに戸惑った。昨日から、俺の後輩の様子がずっとオカシイ。  高井が喜々として演説を続ける。 「誉さんを限界まで抱いてしまったのはこの僕です! つまり誉さんが年明けに元気に出社できるようにするには、僕がこの手で最大限まで癒やすしかないと思います!」  この手とか言うな。妙にいやらしく感じるだろ。分かってんのか? お前のマッサージをしてやるという言葉を信じて身を委ねた結果がこれだからな?  それにしても。 「おい待て高井、往来で限界まで抱いたとかほざくな、勘弁してくれよ」  慌てて周囲を見渡したけど、幸い高井のアルファにしては随分とアホな言動は誰も聞いていなかったようだ。誰もこちらを見ていなかった。ほっ。  にっこにこの笑顔で、高井が高らかに宣言する。 「さあ、それでは我が家へ向かいましょうか! 残りの年末年始休暇は、誉さんが快適に過ごせるよう心を込めて尽くしていきますね! あ、初詣も行きましょうね! うわあ、楽しみです!」 「お、おい高井、ちょ――」  俺はひと言もいいも悪いも言っていない。なのに決定しているこの強引さ。やっぱり昨日から高井がおかしいのは確かだ! ここは先輩として俺がひと言――。 「では誉さん! ちょっと走りますよ! 危ないから口を閉じていて下さい!」 「ま、」  高井は俺に口を挟もうとさせず、スキップでもしそうな軽やかな足取りで、タクシー乗り場へと駆けていく。前に自分と俺のビジネスリュックを背負い、背中に俺をおぶさりながら。恐るべしアルファの体力。  ――え、俺、マジでまだ家に帰してもらえないの?  ……自分で移動できないので仕方ないと自分に言い聞かせつつ、高井の背中で溜息を吐いた俺だった。 ◇  そんな訳で。  タクシーで十五分ほどかかって連れて行かれた先は、高井が住む高層マンションだった。滅茶苦茶近い。お前、いい所に住んでるな。  コンシェルジュがいるエントランスホールは、俺の住むボロアパート何棟分になるだろうか。無駄に広くて土地の有効活用ができていないと思うのは、俺が貧乏性だからかもしれない。 「凄い所に住んでるんだな……」  呆れつつ思わず呟くと、高井がえへへ、とはにかんだ。 「あ、ここは親戚の所有で空いていた物件を間借りしてるだけなんですよ。なのでお恥ずかしながら借り物です」 「へ、へえー……」  ぽんとこんな所を貸し出せるなんて一体どんな親戚なんだ、とは、さすがに不躾過ぎて聞けなかった。  コンシェルジュのお姉さんが、高井の顔を見た瞬間に頬をほんのり赤らめ会釈する。 「高井様、おかえりなさいませ」  高井は律儀に小さくぺこりと会釈を返した。高井の偉いところは、アルファだからとふんぞり返らずこうしてきちんと対応するところだと思う。 「こんばんは。あの、すみません。今日から僕の背中にいる彼がここを出入りすると思いますので、何卒よろしくお願いします」 「え、背中の――? ……あっ」  お姉さんが、初めて俺の存在に気付いたように口に手を当てて小さく驚いた。俺もぺこりと会釈をする。  なんかごめんなさい。高井の前では俺の存在感は紙切れ程度しかないから、間近に来るまで気付かなかったんだろう。  だが、そこはコンシェルジュ。お姉さんは一瞬で驚きの表情を隠すと、作り切った笑顔で「いらっしゃいませ」と俺に向かっても会釈をしてくれた。コンシェルジュのプロ根性を見た気がする。  高井はくるりとお姉さんに背中を向けると、足早に最奥にあるエレベーターホールへと向かった。矢印のボタンがある場所の前で立ち止まる。 「誉さん、上を押してくれます?」 「あ、はい」  つい素直に行動してしまう自分になんだかなあと思いつつも、ボタンを押して待機。するとすぐにエレベーターが一基やってきて、おぶわれたまま乗り込んだ。行き先は、最上階に近いフロアだ。耳が詰まるほどの高さを、エレベーターが静かに上っていく。  マンションは低層階、中層階、そして高層階で乗るエレベーターが違うらしい。そして、驚くことに顔認証でロックを解除しないとエレベーターは動かなかった。あとはカードキーを差し込んでも動くらしい。  驚きの仕様にぽかんと口を開けていると、高井が照れくさそうに教えてくれた。 「このマンション、セキュリティの高さが売りらしいんですよ。僕、こう見えてもアルファじゃないですか」  こう見えてもなにも、どう見てもアルファ以外の何者でもない。 「その……過去にちょっと、身に危険が及びそうになったことがあるのを知っている親戚が、『ここなら大丈夫だから』って貸してくれて」 「へえ……」  高井が、ちらりと俺を振り返る。 「誉さん、それが何か気になりません?」 「そりゃあ気になりはするけど、お前が言いたくないなら聞かないよ」  俺は基本、相手にグイグイいけない。これは多分、俺が極端に人との軋轢を生むことに苦手意識があるからだと思う。母親と二人、親父の顔色を窺いながら過ごしてきた日常は、俺に必要以上に顔色を読むことを覚えさせた。だから俺は誰ともそつなく付き合える代わりに、特定の仲のいい友人というものがいなかった。  安西は例外だ。アイツは最初からグイグイ来たし顔色を読む必要もないくらい感情があけすけだったから、一緒にいて気楽だ。まさか俺の貞操を狙ってくるとは思わなかったけど。  それともうひとり、例外がここにいる。――高井だ。 「……僕、誉さんのそういうところ、本当に尊敬してますよ。ちょっと淋しいけど」 「高井……」  高井は、純粋に俺を慕ってくれている。それが分かったから、こいつと過ごした九ヶ月は気持ちが凄く楽だった。心から懐かれるのが心地よくて、余計な気遣いをしなくてよくて、だから俺はいつまで経っても高井を離せないでいた。  俺にとって、高井は特別な存在だった。だから、グイグイいって嫌われたくない、そんな予防線を張っている自覚は正直ある。だけどそれが逆に、高井に淋しい思いをさせているのか? 俺はそれでいいのか――?  高井が、どこか苦しそうに微笑む。 「その……、僕の勇気が出たら、僕の話を聞いてもらえますか……?」  意外なほどに弱々しい高井の声に。 「……当たり前だろ」  答えながら、俺は高井の首に回していた腕に力を込めた。

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