12 / 101

泉の扉③

小屋の中は薄暗かったが、ディオンが消し忘れたのか、傍にある小さな机の上でランプが火を灯していた。それを頼りに、リュカは中を確認していく。  壁には先ほどまでディオンが羽織っていた黒いローブがかけられている。その傍には彼のブーツと、さらにその脇の棚の上に衣服が畳んで置かれていた。ディオンはここで先ほどの服に着替えたのだろう。  リュカはさらに室内を見渡す。服が置いてある隣の棚にはいくつかの本が平積みにされていた。鮮やかな色味の表紙が目に入り、小さめの画集かなにかのようだった。あまり目にしたことのない画風だ。どこか、異文化圏の画家のものだろうか。  リュカは机の上のランプを手に取り、その画集にかざした。表紙には派手な衣服を身に纏った二人の人物が絡み合った姿が描かれているが、リュカにはその性別や国籍までは判別できない。  ランプを棚に置き、ツルツルとした手触りの本を手に取ると、リュカは両手でそのページを開き、ランプの炎で照らした。 「ん、なんだ……どこの国の文字だ?」  近隣諸国の言葉や文字は学院である程度目にしたことがあるリュカだったが、その本に書かれている文字の造形はみたことがない。  しかし不思議なことに、何故かその文字が表す言葉の意味が理解できた。  そこには人間の体の一部を図示するような記述があり、それについて何かの説明が書かれている。文章内に、「α(アルファ)」「Ω(オメガ)」という文字が散見された。 「これは……医学書?!」  リュカは本に齧り付くかのように、その翡翠の瞳を文字に近づけた。 「オメガ、アルファ……ベータ? は初めて聞いたな……ふむふむ……」  そこには、オメガやアルファの生態についての記述がある。  運命の番についても記されていて、その内容のほとんどはリュカがディオンに聞かされていたものだった。ただ、ベータという性の存在と、オメガが男性であっても妊娠することができるというのは、初めて知った事実だ。 「なるほど、ディオンはこの医学書から得た知識を、僕に教えてくれてたのか……」  呟きながら、リュカは一度本を閉じて、ローブの内ポケットに仕舞い込んだ。後で部屋に戻ってゆっくりと読むつもりだ。  また物置の中を見渡すが、ここにはこれ以上目新しいものは無いようだった。  リュカは物置から外に出る。ふたたび、ディオンが消えた滝の方へと目をやった。 「もしかして、あの奥は秘密のコレクションルームにでもなってるのか?」  異国の文字で書かれた珍しい医学書に、手に持っていた光る板。それは間違いなく異国の珍しい品々だろう。  きっとディオンはそれらを密かに集めているのではないだろうか。  リュカはローブの上から胸元にしまった医学書に触れた。  ディオンのコレクションに俄然興味が湧いてくる。  リュカは衣服が濡れることへの覚悟を決めて、泉の中へと足を踏み入れた。  冷たいかと思われた水は、外気とほとんど変わらず、まるで水があることなど錯覚であるかのように、進める足取りも軽かった。  サブサブと音を鳴らして、リュカは滝の目前までたどり着くと顔を寄せて覗き込んだ。この奥にディオンの秘密の場所があるはずだ。  人の秘密に踏み込むことは、何とも言えずリュカの胸を昂らせる。誰にでもなくリュカは頷き唾を飲んで、一歩足を踏み出した。 「あっ……?」  そのままゆっくりと、滝の奥に進む……はずだった。  しかしリュカの足元は、足場の悪い泉の中で歪な形の小石を踏んだ。それがリュカの足裏で転がり、体がバランスを崩していく。  残念ながら咄嗟に踏み出したもう一方の足は、泉の深みに落ちたようだ。リュカは前にツンのめる形で倒れ込んだ。手を前に出す。しかし、それは何故か水底を捉えることができなかった。滝壺は思いの外深かったようだ。  リュカの顔面は水面に沈み、やがて体の全てが落ちていった。  月明かりに照らされているはずなのに、そこは暗くて何も見えない。息苦しさで手足をばたつかせるが、どんなに動いてもそれは何にも当たらず、水を掻く音すらしない。ただ深く落ちていく。  やがてリュカの意識は遠のき、その瞼は暗い水の底でゆっくりと閉じられた。    

ともだちにシェアしよう!