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第6話

   大きな包みを前にしたイージーは、ひどく戸惑っているように見えた。 「……これ、ぼくに?」  ブルーのノエル柄の袋には、緑と赤のリボンが巻かれている。  アニータが抱えてきたプレゼントは二つで、それは勿論家主であるヨーゼフと、そしてイージーの為のものだった。 「そうよ、あなたに、わたしとスヴェンから。だって今日はユールアフテンよ」 「ユール……えーと、クリスマス? イブ?」 「そう、メリークリスマスって笑いながら、好きな人にプレゼントを押しつける日なの」 「え、でも、そんな。ぼくは、何も用意していないのに……」 「いいのよ、だってこれはわたしの愛の押し付けなのだから。たくさん言葉を覚えたご褒美だと思って。それに、どうせあなたにあげる予定だったの。クリスマスを口実にしてちょっと素敵なプレゼントのフリをしているだけよ。開けてみて?」  見るからに上機嫌なアニータは、冬の暗さなど気にも留めないような笑顔で少々強引に、イージーに包みを押し付けた。洋服と同じワインレッドの口紅が彼女の陽気な幼さを押し込め、まるで映画の中の王女様のようだ。  彼女がクリスマスの夜に赴くのは舞踏会ではなく、しがない雑貨屋の二階の部屋であることが申し訳なくなる。  多少掃除をしてそれらしい色合いのランプを付けてみたものの、パーティー会場というには地味すぎる自宅のロビーを見渡し、アニータの一際輝く存在感にヨーゼフはため息を飲み込んだ。  アニータの美しさは素晴らしい。しかし、その隣にイージーが並ぶと非常に絵になる、という事実が少々どころかかなり気に食わない。――などと言えるわけもないので、素知らぬ顔でスヴェンのグラスにワインを注いだ。  クリスマスの事など、何年も忘れていた。せいぜいその時期が近くなると、柊のリースを店に飾り、クリスマス用のユーレブルースを仕入れ、当日は降って湧いた休暇のようにさっさと店じまいをして一人で映画を見ながら過ごした。  ノルウェーのクリスマスは家族の日だ。誰も外で騒いだりはしない。内に籠り、身近な人々とその日を祝う。  そしてそれは、家族がいないヨーゼフにとって、孤独を最も実感する日だった。  今さらそれが寂しいなどとは思わない。それでも、ただ何をするでもなく過ぎていく夜は、お世辞にも有意義とは言い難い。  ユールアフテンの夜が苦手なヨーゼフは、今年、生まれて初めて自分からスヴェンをパーティーに招いた。  パーティーと言える程大層な集いではない。しかし、料理と飲み物と贈り物があって大義名分もあるのだから、きっとこれはパーティーなのだと、ヨーゼフは自分を納得させた。  不慣れな男が主催するパーティーは、和やかに始まった。ヨーゼフ以外の三人が料理を用意し、ヨーゼフは酒と炭酸飲料と場所を提供した。クリスマスに不慣れなヨーゼフは、贈り物を出すタイミングがつかめなかった。  落ち着かない心持ちで時間を気にしているうちに、アニータが先陣を切ったというわけだ。彼女はいつも、何かを成す前に悩んだりはしない。  どうでもいい事に無駄に気を使ってしまうヨーゼフは、彼女の抱えた包みの中身を知ると、やはり真っ先に出しておけばよかったと少しばかり後悔した。  スヴェンとアニータが、イージーの為に用意したプレゼントは、真新しいセーターとジーンズだ。  爽やかで落ち着いたブルーが基調となったノルディックセーターは、普段彼が身に着けているセーターよりもかなり小さく感じる。  ヨーゼフの服を無理矢理着せているので仕方がない。イージーは決して背が低いわけではなかったが、百九十センチを超えるヨーゼフの洋服を共有すれば、大概の人間は丈が余ってしまう。  どうせ彼の体調が回復するまでだと思っていたから、特別洋服を新調しようとも思わなかった。  だが、彼がヨーゼフの家に住み始めて、一か月は経とうとしている。まだテーピングを巻いている右足ではあったが、今はもう引きずる事はなく、ヨーゼフとイージーは新たな選択を迫られつつあった。  その選択に、アニータとスヴェンは先に答えを出してしまった。  彼の背の丈に合った洋服を贈るということは、つまりは彼に、もう少しここに居てほしい、ということだ。少なくともヨーゼフはそのように解釈し、悩まないアニータと妻の選択を信じるスヴェンをうらやましく思った。  自分はいつも、悩んでばかりだ。 「いつもあなたはジョゼの赤いセーターばかりだったから、色は青にしたの。深い森のようなダークグリーンも、暖かな暖炉のようなレッドブラウンも、イージーならきっと着こなしてしまうけれど。きっとあなたは落ち着いた青色がとっても似合うに違いないわ」 「ズボンを折り返して穿かせるくらいなら、いっそ切って縫っちまえよって何度も俺は言ったんだぞ。俺より裁縫は得意なくせにジョゼは腰を上げないから、もういっそ買っちまえと思ったんだ。セーターはアニータから。そのイカしたジーンズは俺からのクリスマスプレゼントだ」 「メリークリスマス、イージー! ねぇ勿論タグなんて無粋なもの取ってあるわ。そのお洋服をわたしたちに着て見せて。新しい可愛い洋服を着たあなたの姿が、わたしたちへのクリスマスプレゼントよ」 「名案だな。足の長い美青年に合わせて股下は長めにしたんだが、すこぶる長けりゃ今度こそジョゼに縫ってもらわなきゃだしな」  陽気な夫婦はクリスマスの夜の孤独を紛らわせる天才で、そしてイージーの思考能力を見事に奪いながら彼を三階に追いやった。  さあさあ、とイージーの背中を押していったのはアニータだ。  ソファーに取り残されたのヨーゼフは、隣のスヴェンのグラスに新しくワインを注ぐ。 「……いいのか、お前。嫁は男の着替えを手伝いに行ってしまったけど」  恐らく彼女は扉を閉めて、その向こうから早く早くと急かす係だろうけれど、それにしても仲がいいと呆れてしまう。アニータの夫は声を上げて笑うと、手にしたワインを豪快に飲み干した。 「仲が良くて最高じゃないか! はしゃいでいるアニータを見るのが大好きなんだ。イージーにはわりと本気で感謝しているよ。彼がこの家に来てから、アニータは姉妹が出来たみたいに毎日生き生きしている」 「妬いたりしないのか?」 「俺が? 誰に? あの痩せた青年に? 冗談だろう相棒、あの子とアニータを並べて見てみろ、どう見たって仲の良い親戚だ。例えば俺は、キミとアニータが密室に閉じ込められても不貞なんて疑わない。二人が友人だと知っているからだ」  それと一緒だよジョゼ、とスヴェンは締めくくり、ヨーゼフのグラスにユーレブルースを注いだ。今日くらいは、と酒を勧められたヨーゼフだったが、今日だからこそと酒を断った。  酒にはいい思い出がない。一か月前、正体を無くし判断力まで無くし、結果見ず知らずの他人を買うなどという愚行にでたばかりだ。  ノルウェー政府は酒を憎んで久しいが、ヨーゼフも今後滅多にアルコールを口にすることはないだろう。 「僕は、少し、嫉妬している」  クリスマス特有の甘い炭酸水を飲みながら、ヨーゼフは久しぶりに言葉を交わす親友に対し、少々の勇気をもって本音を告白する事にした。  スヴェンとヨーゼフは親友だ。そしてスヴェンはヨーゼフに甘い。  彼が自分に甘い事を知っているヨーゼフは、それ故にあまり相談事をしない。スヴェンは親友の悩みに心を砕きすぎるし、あまりにも真摯な男だった為、俗世に塗れた恥の多いヨーゼフの人生に巻き込みたくなかったからだ。  ヨーゼフの悩みはいつだって稚拙だった。ストイックな孤高の人間を気取っている癖に、ほんの少しの欲望を制御できずに踊らされる。  イージーに対してもそうだ。  彼がアニータと仲良く並んで話す度に、微笑ましい気持ちと同時にどうにもしがたい不安のような感情が、胸の内に立ち込めた。  珍しく心の内を吐露した友人に、スヴェンは暫く眉を潜めていた。ヨーゼフの言葉の意味がわからなかったのだろう。  ようやくヨーゼフが嫉妬を向ける対象に思い当たると、思い出したようにああ、と息を吐いた。それはとても柔らかで、泣きそうな慈愛に満ちたため息だった。 「キミはそうか……すっかり忘れていたが、そうだな、ゲイだったな」 「なんでそれを毎回きれいさっぱり忘れるんだ。親友がゲイだとか、それなりにネタにもなるだろうに」 「ネタにしないから忘れるんだ。誰しも自分が関係ないことはうっかり記憶の奥に押しやるもんだろ。キミだって俺が犬嫌いな事をいつも忘れて、近所の犬をよく散歩がてら見せに来やがった」 「十年も前の僕の犬の散歩バイトの事は、今もちくちく言うくせに」 「都度思い出すからまだマシだ。忘れたままだったら毎回説明しなおす必要があって面倒だろうが、勝手に思い出すんだから俺は優秀だろう? ああ、そうだったキミは、ゲイで……えーと、話を戻すぞ。つまりヨーゼフ・ハルヴォルセンは、あの身元不明の美青年の事に興味がある、といった解釈をしても俺は殴られないってことか?」 「まぁ、殴らないな。まったくもってその通りだから」 「……驚いた。ジョゼの口から恋愛の話が出るなんて。キミが英語を話すようなことがあるならば、きっと俺は同じ反応をするだろうよ」  つまりそのくらい『ありえない話』だと言いたいらしい。  確かに英語嫌いで全くその言葉を理解しようともしないヨーゼフは、恋愛嫌いで人の機微など理解しようとしなかった。  スヴェンが目を見開くのも仕方のない事だ。 「驚くのも無理はないし、僕も全くどうにかしてると思うよ。日に五回は自分の正気を疑う。それでもあの子が傍を通るだけで、僕の身体は馬鹿正直に彼の動向を窺ってしまう。誰かに掛ける言葉に、一々こんなに悩むのは久しぶりだ」 「それは、イージーがノルウェー語に疎いから簡単な言葉を探している、と言った話ではなく?」 「違うよ。……違う。僕は、彼に嫌われるのが怖くて言葉に迷ってしまう」 「それは、イージーの事が苦手なだけじゃないのか?」 「無いね。だって僕は、イージーの唇にキスがしたいし、僕に向かって笑いかけてほしいし、できればその笑顔を独占して誰にも奪われたくないと思っているから」 「……全く、どうしてそんな開けっ広げな恋に落ちちまったんだ」 「こっちが訊きたいくらいだ。うまい料理か、誠実な性格か、繊細だけれど男性の美を詰め込んだような見た目か、珍しいしなやかな黒髪か。そのどれが僕の心に突き刺さったのかはさっぱりわらかないけれど。とにかく僕は、彼の事が愛おしい」  そりゃ確かに恋だ、とスヴェンは言う。そして親友はもう一度大袈裟に首を横に振り、今度は酷く嬉しそうな顔で笑った。 「キミが恋に落ちた報告を聞くなんざ、死ぬまであり得ないと思っていた。人生何があるかわからないな。しかも相手は本名も国籍もなんなら記憶も素性も怪しい外国人だ。これは運命か? そうだ、俺がアニータに心底やられちまってどうしようもなくなった時、キミに心の内をぶちまけたな。その時キミは何と言ったか覚えているか?」 「……国籍なんてなんとでもなる?」 「そうだ。国籍なんてなんとでもなる。本名なんか知らなくてもどうにでもなる。相手が詐欺師でも悪人でも嘘つきでも、好きになったのだからどうしようもない。もし彼女に騙されていた時だけ僕を頼れ。キミの代わりに僕が殴るから、と、キミは俺に言ったんだ。さあ今度は、俺がその言葉を返す番だな」  スヴェンはヨーゼフの背中を陽気に叩き、そしてその後に愛おしい感情を込めて摩った。暖かい手から、親友の感動が伝わり、ありがたくも申し訳ない気持ちになる。  三十も過ぎた男の恋の話に、普通はここまで感極まることもないだろう。スヴェンの感情の昂ぶりを感じたヨーゼフは、彼がいかに自分の事を思い、心を砕いているかを実感し、震える息を吸いこんだ。  やはり酒を飲んでいなくて正解だった。  もし酒を飲んでいたら、ヨーゼフはきっと涙を流し、スヴェンに精いっぱい気遣われてしまっていただろう。  甘いソーダを口に含み、ヨーゼフは静かに息を吐いた。  口に出してしまうと、感情は確定する。もう誤魔化すのは面倒で、言い訳しながら見ないふりをするのも嫌になった。  ヨーゼフは恋に落ちていた。  相手は本名も国籍も素性もわからない異国の青年で、彼と出会ったのは路上だった。  スヴェンに語った通り、全く何が自分の琴線に触れたのかわからない。タイミングが悪かっただけかもしれない。長年一緒に過ごした愛猫を亡くし、久方ぶりに本当の孤独を味わったヨーゼフは、誰かの体温が愛おしく感じただけかもしれない。  例えそうだとしても、きっかけなどはもうどうでもよかった。  まだアニータ以外にはぎこちない表情を見せるイージーだが、ヨーゼフは彼に笑顔を向けられたいと思う。彼の好意が欲しい。そう思うから、今さら出会いがどうとか分析したところで意味はない。  恋は落ちたらもう終わりなのだ。平常の自分のところまで這いあがる事は難しく、あとは努力とタイミングで成就させるか、ひっそりと欲望に耐えてそのものを殺すしかない。  ヨーゼフは昔、恋を殺した。そしてその結果自分自身を殺しそうになり、他人の命すらも軽く扱った。  過去の自分を振り返る度、もう他人に心を動かすものかと誓い、生活と感情を切り離して生きてきたのに。身軽な猫のような美しい青年は、いとも簡単にヨーゼフの隣に滑り込んだ。  勿論イージーに全く非はない。勝手に恋に落ちてしまったのはヨーゼフの都合でしかない。 「キミが何を思って世紀の大告白をしてくれたのかわからないが、俺は無責任に大いに背中を押すからな。勿論俺だってあの子の事が好きだ。いい奴だからさ。お礼は欠かさないし礼儀も正しい。間違えることもあるが文化の違いもあるだろうからな。それはこの国では失礼だし止めた方がいい、と教えるとびっくりするくらい素直に従うし、同じ過ちは二度と繰り返さない。頭のいい子だよ」  スヴェンの言う通り、イージーは頭がいい。しかしどうやら基礎的な教養はないらしく、最低限の生活の事と教えた事以外は、ほとんど子供のようだった。  頭がいいイージーは、優秀なスポンジのように知識を吸収する。最近はリスニングと発音の練習の為か、映画のDVDをよく観ている。暇な時間であれば、ヨーゼフもソファーの隣に座り、彼と共に懐かしい映画を眺めた。  ノルウェー語が読めるようになれば、ヨーゼフの書斎の本もすべて制覇してしまうことだろう。  その頃には、彼が何者か、知ることができているだろうか。  またそれも頭の痛い課題であったが、とりあえずは先送りにする。  もし彼が犯罪者であっても、ヨーゼフは構わないと思っていた。  それは当初は自分が逮捕されても別に構わない、といった意味であったが、最近は『彼が犯罪者でも、自分は倫理に反さない程度であれば彼を守る』という保護者のような意味合いに変わって来た。  アニータが無事に、スヴェンの妻としてトロムソに住むことができた様に、全てがうまくいけば言うことはない。  しかし大切な課題はまだ山ほどある。特に一番問題にしなければならないのは、彼の気持ちだ。  ヨーゼフは言わば大家だ。  もし無理に恋情を押し付けて、イージーが委縮してしまうのは可哀そうだし、何より宿の為に身体を差し出すような状態にしてしまっても困る。  ノルウェーはこれから雪の季節になる。  暖流のおかげで北極圏にしては暖かいが、それでも雪は積もるし気温はマイナスまで下がる。路上に立ってその日暮らしができるような環境ではない。  彼の怪我が治るまでという共同生活の終わりは、ちらちらと視界の端に映り始めていた。イージーはもう足を引きずることはない。時折うっかり力を入れて踏み出し、顔を顰める程度だ。ほとんど治っていると言ってもいい。 「俺はな、ヨーゼフ。ぜひ彼に、キミの家にこのまま住んでほしいと思ったよ」  新しいビールを開けながら、スヴェンは言う。  答えるように、ヨーゼフは柔らかく頷いた。 「……知っているよ。だから、服を贈ったんだろう」 「そうだ、だっていつまでも借り物の服じゃあ、生活するのも困っちまうさ。もしかしてキミは、あのダボついた服のイージーを気に入っていたのかもしれないけど」 「ああ、まあ……うん。それは、否定しない、が」 「やっぱりそうなのかこのむっつり男め。そんな古典文学の名台詞を諳んじていそうな顔で、可愛い子が自分の服を着ているのを見て喜ぶなんざおっさん趣味だな!」 「いやよく考えてみろスヴェン、僕の服だぞ? 彼にとってはとにかくデカい。襟首から色々なものが見えるし、袖も長すぎて指先がやっと見えるかどうかくらいなんだ。世の中の男が自分の服を恋人に着せたがる気持ちが初めて分かったよ。とにかくたまらないんだ。キミだって、アニータがキミの白衣を羽織っていたら……あー、それはまた、別のフェチの話になるかな?」 「別の話だが嫌いじゃないし、キミの気持ちは気持ちが悪い程分かったよ、ジョゼ。つまりキミは、あのアジアの青年にいかれている」 「――アジアの青年っていうのはカテゴリーであって個じゃないよ。僕が恋をしているのは、イージーだ」  その時、素っ頓狂な声が上がった。  高いその声は女性のもので、つまりはアニータだ。しかしなぜか三階にいるはずの彼女の声は、階段の上ではなく下の方から聞こえた。  とても嫌な予感がしたが、無視する程心臓は強くない。仕方なくゆっくりと腰を上げたヨーゼフは、階段の下段あたりで座り込み息を潜めている二人の若者を見つけることとなった。  アニータは両手を口に当て、イージーは両手で顔を覆っていた。  スヴェンとヨーゼフの会話は、全てノルウェー語だった。しかしもう、イージーにはそれが通じない、などとは言えない事を知っている。  頭の良い青年は、今や他の外国人が気後れする程正確に、この国の言葉を理解している。 「…………盗み聞きかい、アニータ」  壁にもたれ、額を押さえるヨーゼフは、怒っているわけではない。少々パニックにはなっていたし、やってしまったという後悔はある。  しかし表情は見えないが耳まで真っ赤になったイージーの様子をちらりと眺め、そこに見える希望の予感に、恥ずかしさに耐えるように真顔を作っているだけだ。 「違うの……わたしたち、びっくりさせようとして……ね、そうよねイージー? ゆっくり、見えないように、子供みたいにそっと階段をしゃがみながら降りてきただけなの……そしたら、だって、そんな、もう、やだジョゼ、あなたがそんなに情熱的だなんてわたし、全然知らなかったわ」 「普通だよ。恋なんてものは人間を馬鹿にするんだ。アルコールと一緒だ。ほら立って、スヴェンがキミの為にソファーを温めているんだから。……イージー? 足が痛い?」  きゃあきゃあと煩いアニータは無視し、スヴェンに任せることにする。あの親友は、アニータの扱いがとてもうまい。  屈みこみ手を差し出すが、イージーは一向に動こうとしない。折角の新しい服が汚れてしまうからと声をかけると、やっと両手をどけて真っ赤な顔を見せた。  視線を合わせてくれない。もしかして、思っていたより自分は嫌われていて、単に動揺し困って怒っているだけなのか、と思った。あまりこらえ性のないヨーゼフは、すぐに不安になる。  しばらく言葉を選んでいたイージーは、蚊の鳴くような声を絞り出した。 「……足に、力が入らない」 「どこか捻った?」 「違う。馬鹿」  あなたがなんだかすごく恥ずかしい事を言っていたから。  と、また顔を覆ってしまった愛しい子にどう返していいかわからず、ヨーゼフはうっかりキスをしそうになった。  今日がクリスマスの夜で良かった。アニータとスヴェンを招いていてよかった。二人きりでなくて良かった。  もしこの場にヨーゼフと、そしてイージーしかいなかったならば、今すぐに抱え上げてベッドに運びキスをしていたに違いなかった。  せっかく酒は遠慮したのに、恋に酔っぱらって理性を捨てるなど、大人としてどうかと思う。  理性的に彼を口説く未来の為に、ヨーゼフは全ての欲求を飲み込み、ただ愛おしさを吐き出すように小さく笑った。

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