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ふんどしを締めて
店に入った瞬間、後悔した。
店内が異様に赤かったのだ。店に並ぶ商品は、見渡す限り赤、赤、赤。もう、狂気しか感じない。
確かにオレは、この近くの薬屋の店員に訊いた。「何か、めでたい感じの赤いもの売ってるお店ないですか?」って。そうしたら、目つきの悪い店員は、ぼそぼそした声でそれならここがいいと教えてくれた。
最初はその赤いものが何なのか、さっぱり分からなかった。何やら赤い布が、いたるところに並べられていて、本能的にやばいと思ったけれど、よくよく見ればそれらは全てふんどしで、もう本格的にまずいと思った。
百歩譲って、ふんどしは別にいいと思う。ふんどしの専門店だって、あるところにはあるだろうし。問題は、なんで全部赤いのかってことだ。
選択ミスだと思ったけれど、もう遅かった。引き返そうにも、オレの目の前にはすでに、これでもかと言わんばかりに、にっこにっこ笑う店員が立っていたからだ。
ばっちり目が合って、笑いかけられてしまったから、帰るに帰れなくなってしまった。
髪の毛をぴっちり七三に分けて、皺ひとつないスーツを着たその店員は、満面の笑顔で言った。
「いらっしゃいませ。お客様、何をお探しですか?」
って。そんなこと言われても。
この店にあるの、全部ふんどしじゃん。しかもみごとに赤いのばっかりで、選択肢なんてない。赤いふんどししかない。
「……えーと、じい……祖父の還暦のお祝いに……」
仕方なしに、この店に来ることになった理由を説明する。
今日は休日で、珍しく部活もなく家でゴロゴロしていたら、母さんに五千円を手渡されて、じいちゃんの還暦祝いに何か赤いものを買ってきなさい、と言われた。
おつりを好きにしていいというのは、高校でバイトを禁止されているオレとしてはかなり嬉しいことで、意気揚々と出かけてきたわけだけど。フラフラ歩いてたら、たまたま商店街っぽい通りを見つけて、ちょうどいいからこの辺で買い物して行くことに決めたんだった。
確かに赤いけど、でもふんどし買ってったら、怒られるよな。たぶん。
「それでしたら、こちらのふんどしはいかがでしょう? 絹百パーセントです。大変手触りが良く……ちなみに、こちらは木綿で……、どうぞ、触ってみてください」
「あ、ほんとだ。全然違う」
軽く驚いた声を出すと、お兄さんはまた笑った。
「店内にある商品はすべて着用し吟味した上で、販売させていただいておりますので、もちろん、こちらの木綿のふんどしもお勧めですが、還暦のお祝いでしたら、少し特別なものの方がよろしいかと……」
「え、お兄さんコレ着けたんですか?」
「ああ、どうぞご安心ください。今店内にある商品は、全て新品でございます」
「あ、ああ、そうっすよね……」
「私は普段からふんどしを着用しておりますが」
「え? 今も?」
「はい、もちろんでございます。あ、残念ながらお見せすることはできませんが……」
頬を染め、はにかみながら、本当に少し残念そうにしているのがなんだか怖い。
それにしても、こんなきっちりスーツのお兄さんが、ふんどしを着けているなんて意外だ。
でも、アパレルの店員も皆そのメーカーの服着て接客してるし、きっとそういうものなんだろうな、と感心してしまう。
「ふんどしは他の下着と違って、ゴムを使用していませんので、自分で締め付けの調整ができます。こちらの素材は吸水性、放湿性に優れておりますので、とても快適に過ごすことができますよ。おじいさまにはぴったりの商品かと」
買う気はほとんどなかったけど、お兄さんの話を聞いていたら、なんだかふんどしでもいいような気がしてきた。どうせ、オレが着けるわけじゃないし。
値段を見ると、二千円だった。パンツが一枚二千円って考えると、結構高い。ふんどしの一般価格がわからないけど、でもプレゼントだと思えば、まぁ、高くてもいい気がする。
離れて暮らすじいちゃんは、元大工の日本男児だ。もしかしたら、もしかしてだけど、案外喜んでくれるかもしれない。あ、でもじいちゃんブリーフ派じゃなかったっけ? まぁ、いいか。三千円手元に残るし。
「じゃあ、コレください」
「ありがとうございます。ではこちらへどうぞ」
お兄さんはにっこり笑ったまま、すい、と一歩後ろへ下がった。オレが一歩前に出ると、またオレの方を見たままの状態で一歩下がる。それを何度か繰り返した。
明らかに動き方がおかしい。お兄さんは、こちらに向ける顔も身体も、一切角度を変えずにムーンウォークしている。まるで、客に背中を見せてはいけないと思っているような動き方だ。
「あー、あのー。普通に動いてもらっていいんですけど……」
気になって話しかけると、お兄さんは焦ったような声を出した。
「いえそんな、とんでもございません。些末な問題ですので、どうか気になさらず……」
そんなこと言われると余計気になる。もしかしたら、後頭部だけすげえハゲてるとか? スーツのお尻の部分が破れちゃってるとか?
興味本位で大股で近寄ると、お兄さんはびくっとして後ずさり、ディスプレイされていたマネキンに躓いた挙句、「ああっ」と情けない悲鳴を上げて、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「だ、大丈夫ですか?」
笑ってはいけないと思いつつ、お兄さんを助けようと手を伸ばしたところで、ありえないものが目に飛び込んできた。
「……………………」
お兄さんの頭にはちゃんと髪があった。ハゲてなかった。お尻も破けてなかった。
でも、お兄さんには横顔がなかった。
正面から見ると、ちゃんと顔があるのに、横から見ると全然厚みがなくて、紙みたいに薄い。
目を擦ってまばたきして、すげえ凝視してみたけど、やっぱり薄い。
ペラペラだった。例えるなら映画館とかにある俳優の等身大パネルみたいな感じだけど、パネルよりもっと薄くて厚みがない。全然ない。
オレが固まってしまっている間に、お兄さんは立ち上がり、埃を掃った。正面からだと、ちゃんと人間に見えるのに。少し角度を変えるだけで、もうほんとただの紙じゃん。どうなってんの。一体なんのマジック?
「……気づかれてしまわれましたね……。申し訳ありません、実は私は、…………お客様? 聞いておいでですか?」
すげえ。紙が喋ってる。
「…………」
本当に驚いたときには、声が出なくなるって聞いたことあるけど、まさにそれで、頭の中が真っ白になって、ただただ茫然と目の前のお兄さんを見つめることしかできなかった。
お兄さんは、本当に申し訳なさそうな顔でペコペコと頭を下げている。めっちゃぺらい。すげえ弱そう。風が吹いたら飛んでっちゃいそうだ。
「私は、妖怪、一反木綿でございます」
「…………いったんもめん……?」
耳に入ってきた言葉を、繰り返すように呟く。いったんもめんってなんだっけ。
お兄さんはあくまでも優しい声で、笑顔を絶やさず、けれど淡々と説明を続ける。
「それでですね、恐れ入りますが、お客様にはこちらのふんどしを締めていただきたいのです」
「は?」
一瞬、本気で意味が解らなかった。オレの顔をじっと見つめながら、お兄さんはもう一度繰り返した。
「お客様に、こちらの、ふんどしを、締めて、いただきたいのです」
今度ははっきり聞き取れるように、言葉を区切って言われた。聞き間違いじゃなかったのかと、全然働かない頭で思った。何言ってんのまじで。
「……なんで」
「こちらのふんどしが当店の通行証でして、ただ持つだけでは駄目で、身に着けていただかないと、お客様はお帰りになれないのでございます」
「は?」
展開が速すぎて、頭が全くついていけない。今なんて言った?
「帰、れない?」
「はい、ここは妖怪の住む町でして、基本的には出入りは自由でございます。ただし、ここに住む者たちが人間ではないと気づいてしまった場合、この町からお出になることはできません。そういう決まりなのです」
「なに、それ……」
「ですので、貴方様がお帰りになるには通行証が必要です。通行証は各店に一つだけ。当店の通行証はこちらのふんどしです。初めての方でも締めやすいように、もっこタイプのものにしました。もちろん、着け心地は保証いたします。もし、締め方がわからない、というのであれば、僭越ながら私がお教えしますので――」
さぁどうぞ、とふんどしを差し出される。その真っ赤なふんどしを見ていたら、なんだか腹が立ってきた。
どうせドッキリかなんかだろう。まじで、悪趣味過ぎる。
「……帰る」
そう言ってドアに向かうと、後ろから焦ったような声が聞こえた。
「あっ、お客様、お待ちください! そのままではお帰りになれま――」
「ふざけんなよ! 意味わかんねーよ! 誰が騙されるか。そんなもん穿くわけねーだろ!」
ちらっと見たお兄さんの顔が、悲しそうに歪んだ気もするけど、そんなのもうどうでもよくて、そのまま店を飛び出してひたすら走った。
走って走って、来た道をちゃんと辿ったはずなのに、気がつくとまた同じところに戻ってきている。気のせいか、曲がる道を間違えたのかと、行ったり来たりを繰り返して、流石に三回目でやばいかもしれないと思い始めた。スマホもずっと圏外表示になっている。
ほんとに、出られない。家に帰れない。
「うそだろ……?」
辺りはだんだん暗くなってきていて、不安感が募る。シャッターを下ろして始めている店も出てきた。このままじゃ、まずい。どうしよう。帰りたい。
焦る脳内にお兄さんの言葉がよみがえる。ふんどしを着ければ、帰れるのだろうか。あのお兄さんの言ってたことは、本当なんだろうか。
でも、実際オレはさっきからずっと同じところをぐるぐるしているし、少なくともあのお兄さんはオレに危害を加えるようなことはしなかった。
ずっと優しかった。あの人を信じるしかない。
今オレが頼れるのはもう、あのすげえ弱そうな紙みたいなお兄さんしかいない。
でも、さっきオレはお兄さんにケンカ売っちゃった気がする。もしかしたら、怒ってるかもしれない。どうしよう。でも帰りたい。
うろうろしていたら、いつの間にかお店の前に戻って来ていた。さっきちゃんと見なかった看板には「ふんどしどころ」って、でかでかと書いてある。
もうとりあえず、すげえ謝るしかない。
一つ深呼吸をして、ドアを押し開く。
顔を上げると、お兄さんが立っていた。優しく微笑んでいる。相変わらず素晴らしい営業スマイルだ。
「……お客様、このような感じでいかがでしょうか?」
そう言って、お兄さんはオレに袋を差し出した。さっきじいちゃんに買おうとしたふんどしだろう。綺麗にラッピングされている。
「あ、あの、オレ……」
「はい?」
首を傾げるお兄さんの顔を見たら、すごく安心してしまって、謝るのも忘れてしまって、半分くらい涙声になってしまった。
「…………ふんどしの穿き方、教えてください……」
そう言うと、お兄さんが困ったように眉を寄せた。
「お客様、お言葉ですが……」
お兄さんはそこで一度言葉を区切った。
一瞬にして不安が増す。何を言われるのか緊張していると、お兄さんはにっこりと笑った。
「ふんどしは、締めるものです」
それが、オレと「ふんどしどころ」のお兄さん、赤ふんさんとの出会いだった。
結局、その日買って帰ったふんどしを、じいちゃんがものすごく気に入ってしまって、また赤ふんさんの笑顔を見ることになったのは、それから一週間後のことだった。
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