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序章 ―― 出逢い

 一陣の風が吹き抜けたと同時に  冷たい夜風が頬を撫でてゆく ――。  その童顔の少年はフェンスを乗り越えて  ギリギリの位置に立ち、  そっと瞼を閉じると深呼吸して臆する事なく  一歩前へ……。     「―― 社長、この後は元町で宜しいですね?」 「あ、あぁ ―― イヤ、やっぱり止めとくわ。  真っ直ぐ自宅へやってくれ」 「はぁ? 宜しいんですか? 浜乃家に寄らなくても」 「おぉ、かまへんかまへん」  等と、隣に座った40絡みの男と  言葉を交わしているところへ携帯の着信。 『――おぉ、聖子ママ、今ちょうど八木と2人  ママの噂してたところや……あー? そんなんやない  ――おぉ、もちろん邪魔させてもらうで。あと、  20分もありゃ着くと思うさかい……あぁ、  ほな後で――』  渋顔でその通話を終えれば、  今の会話の内容から予定の変更の変更を  悟った隣の男は苦笑を浮かべこう言った。 「ま、これも義理ごとのひとつだと考えて、  諦めて下さい」  黒塗りの後部座席側の窓にスモークを貼った  セルシオが夜の公道を快走する。  助手席には屈強なボディーガードが、  そして後部座席にも50絡みの  これまた強面の男が乗っている。  その傍らに長い足を優雅に組んで座っているのは、  東日本一帯を統べる竜二組5代目候補・手嶌 竜二(てしま りゅうじ)  である。      竜二は、高校時代から手嶌組筆頭二次団体  ”煌竜会(こうりゅうかい)”へ行儀見習に出されていたが、  2年前2人の義兄が相次いで凶弾に倒れる  といった非常事態から、煌竜会の若頭補となった。  祠堂学院大学大学院・主席卒業  という異色の経歴の持ち主である彼は、  インテリヤクザの名に相応しい怜悧な容貌で  裏社会でも異彩を放っていた。  185センチを超える身長に、  一見細身でありながら鋼のように  鍛え抜かれた肉体はそれだけで十分目を引く。 ・     目的の横浜・元町へ近付きつつある車窓へ目をやり、  小さなため息をついた。  今日は大きな商談をひとつまとめた帰りだ。  精神的にもかなり困憊しているし、  出来ればこのまま山手の自宅へ真っ直ぐ帰りたい  というのが本音だった。  ただ、隣に座る男、組織の相談役の1人で  現会長の懐刀とも言われるキレ者・八木 由伸(やぎ よしのぶ)が  言うように、この世界に身を置く以上こういった  義理ごとは必要不可欠な営業なのだ。  古今、”武闘派”を掲げてきた極道も  新・暴力団対策法の施行に伴い、  やれ出入りだ抗争だといった即懲役送りになりそうな  荒っぽい事は滅多に起こさなくなった。  その代わり、  付き合いのある同業者や財界人の  祝い事へ顔を出したり、  新しいビジネスチャンスを開拓する事が組織の  主な財源になってきた。  フロント企業と呼ばれる多くの上場企業を展開し、  必要とあれば海外へだって傘下を増やす。    潤沢な資金源をどれだけ確保するかが、  どの組織にとっても生き残る上で最優先の重要課題  となっているのだ。 ***  ***  再びため息を吐いた時 ――、    ドスン! という衝撃と共に車が急停止した。    ぼんやり考え事をしていたせいで思わず  前のめりになったが、何とか堪えた。  いつもは慎重過ぎるくらい慎重で、  ドライビングテクニックなら右に出る者はいない  若衆・浜尾 利守(はまお としもり)にしては珍しいと思い、  竜二は端正な表情に微かなシワを寄せつつ問いただす。 「どないした? 何があった」  浜尾 ”はっ”として我に返り、     「か、確認して参ります」  と、車外に降り立ち、驚愕で目を見開いた。  「マオっ」 「……」    ある一点を凝視したまま車内からの声かけにも  応じない浜尾を不審に思って、降り立った竜二と  八木も驚きのあまり言葉を失った。    先程の ”ドスン”という強い衝撃音は  ボンネットに落ちた物体のせいらしい。    その物体は車が急停止した反動で飛ばされたような  状態になり、車から数メートル先の路上に倒れ、  ピクリとも動かない。    問題はその物体が人間であるという事だ。    車内の誰もが固唾を呑んでその物体を凝視していたが  いち早く我に返った八木が確認を急ぐ。       「……どうや?」        「息はあるようですし、ぱっと見たところ  目立った外傷も見当たりません」    竜二は沿道にあるビル群を見渡す。     「高層階か屋上から落ちたか……落とされたか……」  次に、うつ伏せ状態のその人物をそうっと  仰向けにさせる。    男と呼ぶにはまだ幼さの残る中性的な顔立ち。     「どちらにせよ、このままにゃしておけないな」  と、その少年を抱きかかえた。     「社長 ――っ」 「自宅に戻る」  少年を抱えたまま車内へ戻った。  

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