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てんじょうにうつる 01

 おれが部屋に招き入れちゃった何かは、結局何だったのかもわからないままうやむやに消えた。  心霊現象なんて案外そんなもんだ。  恨み辛みがあって、ソレを解決したら成仏、っていうものもいるのかもしれないけれど、生憎とおれの周りに集まってくるのはそういう類のものじゃない。  なんだかわからないけれど勝手に手を掴んで全力で引っ張ってくるような、災害のようなものばかり。意識とか思考とかはたぶん、無い。生きている人間とは全くの別のものだ。  毎日塩と酒は取り替えてもらってるし、お守りのピアスも肌身離さずつけている。  確かに二○二号室からの怪奇音は少なくなった、かもしれない。最近は壁を叩く音も聞こえない。時々何かを引きずっているような音がしてくるかな、という感じだけど、その頻度も非常に低い。  その割におれの周りに起こる怪奇現象は収まる気配がなかった。  飯を作れば人体の一部が混入しているし、水道の蛇口をひねれば髪の毛が流れてくる。食い物飲み物に関しては、もうそろそろ手をつけるのが怖いレベルになってきた。  もう最悪の場合は桑名さんに食べさせてもらうしかないんじゃないの、という極論に至り、ちょっと一回ホットドックを食べさせてもらったことがあるんだけど、なんか途中でスイッチ入っちゃった桑名さんにちゅーされまくって結局あんま食えなかった。  ……まあ、あれは確かにおれもちょっと興奮というか、なにこれエロいって気分になっちゃったので桑名さんが悪いわけじゃない、と、思うけど。  とにかくメシが食えないのはまずい、ということで一回みんなでお祓いに行ったけどあんまり効果無かった。世の中の霊能者はすべからく有能であるわけではないらしい。  なんかこう、蝋燭がいっぱい灯っている部屋で三人くらいに囲まれてお教攻撃をうけて、神主さんが持ってるみたいな榊でべしべし叩かれながら『名を名乗れ! 名を名乗れ!』とか怒鳴られたけれど。  おれはもう向かいに控える巻さんがいつ大爆笑かましてしまうのか、それだけが気がかりで全然こう、トランス状態とかにも入らずに『ああ、桑名さんの肩まで震えている……』とか考えているうちに霊能者いわくおれについていたカナコという先祖霊は成仏したらしい。  誰だカナコ。いや本当に居たのかもしれないけれどカナコ。  霊がいなくなった実感もなく帰路についたところで、車のガラスにまんべんなくついた指の長い手形を全員で目撃し、だめだこれ全く改善してない、とため息をついた。  しかしメシが食えないのはあんまりだっていうんで、巻さんが最初の霊能者さんにどうにか連絡つけて頼み込んでくれて、除霊グッズをもう一つもらった。今度はシルバーリングだった。どうも、最近の除霊グッズとやらはお洒落だ。  これをつけていると、まあ、比較的髪の毛が混じる可能性は低い……気がする。  気がするだけかもしれない。でもないよりはましだ。絶対に。  そんなわけでじりじりと生命の危機を感じつつ、結構本気で霊能者さんを探し始めたりしつつ、今日もおれは桑名さんの部屋のベッドの上で膝を抱えて溜息をついた。  巻さんとみんなで夕飯を食べに行って、ファミレスで四つのグラスを出されて一回泣きそうになったけど。特に怖いこともなく料理に何かが混じることもなく平和に食事を終えた。  途中家から呼び出しがかかった巻さんは、散々愚痴をこぼしながら帰って行った。  おれと桑名さんは恐る恐る、二○一号室に帰って来たけれど、やっぱり何の異変もなかった。冷蔵庫の後ろのお札が焦げているとかそういうこともないし、変な匂いもしないし、クローゼットの中に男が詰まっているとかいうこともなかった。  そんなわけでひとまず安心して、日常生活を再開したんだけど。 「……おれ、役立たずすぎないかな……」  料理も作れない。蛇口すら捻れない。最近はついにご飯を食べさせてもらうという病人のような扱いだ。その上ベッドの下の隙間が怖くて、床に降りられない。もっぱらおれの定位置はベッドの上だ。  夕方の恐怖体験が尾を引いていて、ちょっとネガティブになっているのかもしれない。  幽霊騒ぎなんておれの所為じゃないし、災害みたいなもんだ。それはわかっているし、桑名さんも怒ったりイライラしたりなんかしてないのに、ひとりで勝手に落ち込んでしまう。  膝を抱えたまま溜息を吐いていると、頭にタオルを乗せたままの桑名さんが浴室から出てきた。  ……なんでこの人、こんなださい寝まきの白ティーシャツが妙に似あうんだろう。  現実逃避のようにそんなことを考えながら眺めていると、机の上の桑名さんの携帯が鳴った。  思わず二人でびくっとしてしまう。  怖いものが得意なわけじゃない、と公言している通り、桑名さんも案外びびるときはびびる。特に電話はおれたち共通のトラウマで、いつでもビビってしまう。  こんな時間に誰だとか文句を言いつつ、画面を確認した桑名さんは怪訝そうに眉を寄せる。どうやら、巻さんではないらしい。巻さんはよく非常識な時間にいきなり電話をかけてくるから、一々不審に思ったりはしないようだ。 「ちょっとごめん」 「あ、いえどうぞ」  桑名さんは一回おれに断ってから電話に出る。キッチンの方に行くのかなと思ったけど、そのままおれの隣に腰かけた。 「――……はい、どうも、桑名ですが。…………はい、うん、そうです。え、あ? あ、まじですか」  若干硬い声で電話に出たものの、きちんと電話が繋がっていたからか、それとも大した用件ではなかったのか、声の調子が軽くなる。  漏れ聞こえてきたのは女性の声だ。きっちりと抑揚をつけて話す声ははきはきとしていて、早すぎず遅すぎない。 「はい、はい。あー、わっかりました。いや俺、この時間に東雲さんから電話とか、なんだ進行に穴でもあいたのかってちょうビビりましたわ。ていうか番号どっから、……あー、了解ですいや謝らないでいいですよ後で個人的に巻しめときます」  じゃあ明日やっときます、と爽やかに言って桑名さんはおやすみなさいと電話を切った。  どうやら、仕事の電話ではなかったらしい。週末とか何時からとか聞こえた気がする。車どうしますとか。うん。  ――……もしかしてデートのお誘いとか計画とかだろうか。会社内ではアイドルだ、とよく巻さんが言っていたのを思い出す。おれにはおれの生活があるし、桑名さんにも桑名さんの人間関係がある。それは分かっているし理解してるんだけど。  どうにも、もやもやする。  もやもやというか、あー……くそ、みたいな。なんかこう、ダメだ、ネガティブ思考が相まって非常によろしくない感情が浮き上がってくる。  膝を抱えたままのおれがじっと電話を睨んでいることに気が付いたらしく、桑名さんはじっとこちらを見た後に目をぱちくりとして、ふわりと苦笑した。 「……今のはね、別チームの同僚で、そういえば来週末チーム合同でファミリーパーティしませんかーっていうお誘いを代表で受けていたんだよ。そのご連絡。流れで幹事のはしくれみたいになっちゃっててさ。別にいいんだけど……あと東雲さんは新婚さんで旦那さんとらぶらぶなので、木ノ下くんはそういうかわいい顔をするのやめたほうがいいよ俺が嬉しくなるだけだから」 「…………かわいくないでしょう。子供っぽい嫉妬だし」 「それがかわいいのに。あのね、俺案外モテないからね? モテたところで、今口説いてるのは二十四歳院生男子だからね。あーほら、そのかわいい顔だめだから、狡猾なサラリーマンは調子にのってキスしちゃ――……ん、……ぅ?」  おれに甘い言葉ばかり言う口を、全部聞かないうちに塞いだ。  なんだかんだキスされることが増えたけど、自分からするのは初めてかもしれない。ほんとは唇合わせるだけにしようと思ったのに、柔らかい感触に一気にのぼせ上ってしまって、桑名さんの首に手を回して舌を絡めた。  びっくり、みたいに目を見開いたのは一瞬で、すぐにおれの腰を支えてエロいキスで応戦してくれる桑名さんはやっぱりむっつりだと思う。きもちいい。 「……ん、ふ……、っ……………キスのほかに、したいこと、あります?」 「…………え、どうしたの木ノ下くん、俺いまびっくりしすぎて夢か何かかなって思うレベルなんだけど、なんか変なもんでも食っ……さっきの生姜焼きに媚薬でも入ってた?」 「ファミレスのメシにそんな物騒なもん入って無いですよ……なんか、その、あー……ほら、おれ、飯も作れないし大して役にもたってないのに守られてばっかりだし。なんかこう、返せるものがあるなら返しとこうと思ったって言うとなんか身体さし出すみたいでやだな、ええと違う、違くて――……、ああだめだこれただのしっとだ……」 「……………やばい死ぬほどかわいい」 「おれは死ぬほど恥ずかしいです。ちょっと今のちゅーの前あたりから無かったことにしたい……」 「え、いやだよ。俺今ね、感動で押し倒しそうなのを必死に我慢して、」 「おしたおしてもいい、です、けど」  さすがに顔は見れなくて、首筋に額つけて俯いたままぼそぼそと喋った。熱い。暑い。なんだこれ、どうしてこうなったって思うけど、桑名さんがどきどきしてくれているのがわかって、嫉妬力って怖いと実感した。  なんかこれじゃ誘ってるみたいというか、いや実際誘ってるどうしよう。今までもちょっとえろいスキンシップとか何度かされたけど、いつも桑名さんが流れで持っていくって感じで、こんな風に言葉で確認することはなかった。  言葉にするってとんでもなく恥ずかしい。恥ずかしいし、熱い。  桑名さんの手が顎にかかって、顔を上げさせられる。距離が近すぎて顔はわからない。でも、多分熱いのはおれだけじゃない筈だ。  そのままキスされて、ぬるりとエロい舌を本能的に追いかけていたら、腰を支えられてベッドに押し倒された。  うわー……いまの、スマートすぎてちょっとどうかと思う。手慣れてて嫌だ。他に何人の女が桑名さんに押し倒されたんだろうって思うと嫉妬がぶり返してきて、くっそと思って睨みつけてしまって――……。  桑名さんの後ろの天井に、にたにたと笑う人間の顔が映っていて興奮も嫉妬も何もかもぶっ飛んだ。 「――……ッ、く、くわな、さ……、う、しろ、て、んじょう、に、……ッ」 「……このくそイイトコロで邪魔が入るとかちょっとどうかと思うね。天井に何?」 「か、かお……笑って、……でっかい、かおが、……っあ、……んぁ、ちょ、待っ!」 「実体無いなら無視してたら平気じゃないかな。というわけで再開いたしましょう」 「くわなさんつよすぎ、る、……っ、」 「天井見えるのが嫌なら場所交代してもいいけど、この見下ろす体勢中々拝めるもんじゃないし、俺はできれば譲りたくないなぁ……あ、目隠しする?」 「何のプレイっすか……目隠ししてるうちにガチ心霊現象に襲われたら嫌だから絶対しない」 「おっしゃる通りだね。……本当に怖くて無理なら、一回この部屋出るとか、抱きしめて寝ちゃうっていう選択肢もあるけど。流石に無理やり襲うのも、良心の呵責というものがあるし」  どうする? と首を傾げられて言葉に詰まる。  怖い。怖いけど、確かに実体がないならまだ平気かもしれない。ここのところ、本当に心霊現象に慣れてしまったような気がする。怖いけど、なんていうかヤバいやつと怖いだけのやつの区別がなんとなくつくような気がしてきた。  あともうなんか桑名さんと一緒に居るだけで本当に恐怖が半減する。  これは確実だ。桑名さんが幽霊退治してくれるわけでもないし、万能じゃないってのはわかってるつもりなんだけど、でもやっぱり大丈夫って抱きしめてくれるとアホみたいに安心する。  怖い時はぎゅっと抱きしめられて寝るのが一番良い。  でも、さっきの電話口の女の人の声を思い出しちゃって、心の中だけで悪態をついた。くそ。幽霊相手なら、抱きしめられて寝るだけで安心できるのに、生身の他人相手だと、それじゃ安心できない、のが面倒で自分が嫌だ。  桑名さんのシャツを掴む。最初は無意識だったけど、おれがシャツを掴む動作にどうやらときめいているらしいと気が付いてからは、時々意識的にやってしまう。 「…………このまま、で、いいです。ええと、だから……」 「うん?」 「桑名さんに、えっちなことされたい……」  言ってしまってから、やってしまった感に襲われた。  何だ今の。この前巻さんが無理やり貸してくれた美少女モノAVにこんなセリフ無かったか? とんでもない。とんでもない事を言ってしまった。  やばい桑名さん引いてないかな。  あまりにもあんまりすぎたんじゃないかな。  そう思って恐る恐る顔を見上げると、真っ赤になってる桑名さんと目があった。  ……うわぁ。なにそれ、ちょうかわいいです。  もう本当に、天井の顔とか一気にどうでもよくなった。 「桑名さん、あの、……すいません、でした、今のちょっと流石に自分でもどうかと、思、……あの、かわいいんでちょっと落ち着いてください」 「……落ち着いていられるかって話だよ、もー……今のもう一回言って? って言ったら言ってくれるやつじゃないでしょう。あー……ボイスレコーダーっていくらくらいなのかな」 「何怖いこと言ってるんですか。つかおれ相手にボイレコとか使ったら確実に人間じゃない声も入りますよ。断言できる」 「そうなんだよねーくっそ、それがおっかなくて動画もなかなか残せないし」 「……何撮る気なの怖い……桑名さん本当にむっつりだから怖い……」 「何度も言うけどムッツリじゃなくて普通にスケベだって。ねぇ木ノ下くん、さっきのもう一回言ってほしいな」 「いやです。桑名さんって思ってたよりエロ親父属性――……っ、ん、ぁ……っ」 「えろおやじだよ。……『かわいいおねだりが聞きたいな』とか、言っていいなら言いたいよ。引かれるかなって思って随分と自重してるんだから」 「おねだりって、ぁ、AVかよってはなし……っ、ん、ぁ……ヤダ、触る、ならちゃんと脱がし……」  耳に痒い言葉を吹きこまれながら、桑名さんの手がおれのソレをぐりぐりと刺激する。寝まきがわりのハーフパンツの上からぎゅっと揉まれて、むずむずとしたどうしようもない感覚に身体が動いてしまう。

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