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第214話

「──……というのは冗談だが、時たまそんなことを考えてしまうんだ」  努めて明るく、しかし明るすぎないようにそんな言葉を吐いてみせた。  あぁくそ、言ってしまった。  知ってほしいときっと心の底で思っていたんだろう。  言えばアゼルは俺が死んだ後、ずっとじゃなくとも薄れていかない限り、心変わりしないよう努力してくれると思う。  だけどそんなことは、してはいけない。  アゼルがどのくらいの時を生きていくのかはわからないが、一分一秒でも早く忘れて他の愛する人を見つけるべきだ。  覚えている限りつきまとう喪失感を、家族のいないまま耐えさせることはできない。  温かな体に額を押し当て、ふぅ、と息を吐く。  顔を見れなくて、目を閉じる。 「ごめんな。少し大げさに言ってしまっただけで、本当はちゃんとわかってる。だから俺が死んだら、お前は早く忘れてしまえ。別の誰かを好きになり、その人と家族を作れ」 「シャル」 「あぁ、でも今は浮気はだめだぞ? 今は俺だけを愛していてほしい。そう言う覚悟はちゃんとある。大丈夫だ。大丈夫」 「シャル、俺を見ろ」 「は……」  とても優しい声で、名前を呼ばれた。  誘われるように瞼を開く。  抱き合っていた体が少し離れ、恐る恐る顔を上げると、深い黒の瞳と視線が交わる。  意志の強い双眸が、髪を上げているから今日は特別によく見えた。  それが柔らかく細められ、俺の脆く弱い部分を見透かされているようだ。 「俺の生涯で愛する人は、お前ただ一人だけだ。それは例え俺がこの先何千年と生きて、記憶が掠れて、自分が何かわからなくなったとしても、絶対に変わらない唯一無二のかけがえのない事柄。何があっても俺の求める人はお前だけだ」 「っ……」  どうして……いつも照れくさがっているのに、こういう時は躊躇しないんだ。  くっと唇を噛んで赤くなる顔をそらそうとすると、アゼルは頬に両手を添えてそれを許さない。  俺がこんなことを言わせてしまった。  情けなくて眉を垂らす。  なのにアゼルは微笑んでいる。  ……ずるいじゃないか。  俺が弱った時に限って、そんなに優しく語りかけて、そんなに優しく微笑むなんて。 「どうしたら納得しやがる? お前に俺の全てを捧げる。どうしたら受け取るんだ?」 「そん、別にいいんだ、いい……っ」 「良くねぇ。俺が良くねぇ。んん……そうだな。少し前に教会の神官の本を読んだんだけど、イイもんがある……二人きりだが、やろうぜ。結婚式」 「! ぁ、っ、魔界は、そんな習慣、ないだろう……っ? もう、離して、」 「離せねぇよ。全然だ。なぁ、俺は……いつかって思って、誓いの言葉を、覚えておいたんだぜ」  とんでもないワガママを情けなく吐露されたのになぜか機嫌よく、自分は誓いの言葉を言えるのだと誇らしげに笑うアゼル。  力の入っていない形だけの抵抗なんて効くわけもなく、そっと手を取られ指輪に口付けられた。 「俺は無宗教だ、神を信じてない。だから俺の神に……お前に誓う」  打って変わった真剣な表情。  ビクン、と体が跳ねる。目が離せない。 「俺、アゼリディアス・ナイルゴウンは、生涯シャルを、今日より良い時も悪い時も、富める時も貧しい時も、病める時も健やかなる時も、愛し慈しみ、そして、死が二人を分かっても、貞操を守ることを誓います。……あってるだろ? ほら、お前も」  誘われるがまま、紅潮して泣きそうなくらいくしゃくしゃの顔で、俺は震える唇を動かす。 「……っ、……お、れは……俺、大河 勝流……シャルは、生涯アゼルを、……今日より良い時も、悪い、時も、富める時も、貧しい時も、……病める時も、健やかなる時も、あい……愛し、慈しみ、そして、っ死が……、……死が二人を、分かっても、貞操を守ることを…………誓いま、す……、っん、う」  俺が泣きそうなのを耐えて覚束無い誓いの言葉を反芻すると、途端に視界がアゼルでいっぱいになる。  覚えたての結婚式をして彼はそれは嬉しそうに破顔し、これでもう誓いごとお前は自分のものだと言うように、俺の唇を塞いだ。  人間の結婚式なんて、お前は知らなかったじゃないか。こんな手順もなにもかもすっとばした、誓いの言葉に、キス。  覚えたのか。俺といつか、そう思ってお前は、わざわざ知らない文化を覚えたのか。  そして、死んでもその愛を守ると勝手に変えて、お前はどこまでも、俺を丸ごと愛してしまう。 「ふ、ぅ……っ」  触れ合った唇から甘い吐息が漏れる。  舌を絡め合い、夢中で口付けを交わす。  腰に腕を回し後頭部に手を添えられ、逃さないと貪られることの幸福感。  この唇は、この先俺だけのもの。この幸福は俺だけが感じられる幸せ。  ポタリ、ポタリ。  我慢できずに溢れる雫が、擦れ合う頬を伝って流れ落ちる。俺は思っていたよりずっと、失うことを怖がっていたらしい。  このままお前のキスで死んでしまいたいよ。  あんなに寂しくて怯えていた終わりが、もうちっとも怖くなくなっていた。

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