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第1話

「ん……?」 「大丈夫ですか、東野(あずまの)先生」 「……ああ」 その形状とは不似合いな程透き通った声の主は、いつだって優しい。 俺と同じく教授の小坂(こさか)克也(かつや)の飼い慣らす触手。 ……奴は『しょっくん』と呼ぶ。 それはかつて人間だったらしく、意思がある。 時折『最中』に語りかけて来る事もある。 だが、一番良く会話を交わすのは、事後だ。 「一通り綺麗にはしたんですが、まだ服が……」 「そうか。それは、自分で」 そう言えば目の前に服が差し出される。 丁寧にかつ隅まで綺麗に畳まれた、埃の焼ける…太陽の香りのする服だ。 手を伸ばして受け取ろうとするもそのまま前に倒れ込んだ。 「っ……」 「お手伝いします」 「申し訳ない……」 彼に何十時間と蹂躙された身体には思うように力が入らなかった。 目覚める前には体中を這い回り弄んだ触手が、今度は私の身体を包み込むように支えた。 身体を支えたまま服を広げ、袖を通すよう促してくる。 何度も繰り返してきた事後の日常に、犯されていた事すら横に置いて。 触手とはなんと便利な物なんだろうか、と思ってしまったりもする。 一人でまともに立つ事は出来ないが、視界も思考もクリアで、身体に傷は一つもない。 元を辿れば私と同じく回復系魔術師だった彼の治癒は、目覚める度に錯覚を起こす。 行為の最中にも終盤にも腸内に直接注がれる液体の一部は栄養剤になっている。 傷つけば即座に治療を施され、快楽より痛みが勝る場合には媚薬や一部の感覚を麻痺させる薬が注がれる。 みっともなく声が出そうになれば、口の中に触手が入ってくる。 息が止まるかと思えば、便利な事に酸素も供給される。 理性を保ちたいこちら側としては不本意だが、いたれりつくせりである。 小坂が始める前に毎度「死なないように気を付ける」と脅すように言うが、嘘はない。 生命の危機を感じた事はあっても、その状況に陥った事はない。 「……苦しくないですか?」 「自分でやるよりも綺麗だ」 器用に触手でネクタイを締めると、彼は心配そうに聞いてくる。 自分で結ぶよりまっすぐで、緩すぎず苦しくも無い。 俺の返事を聞き終ると、着替えの続きが始まる。 ありとあらゆる事をされているのだ。 今さら着替えを手伝われるぐらいで恥じる事はない。 ちょっと早めに始まった介護だと思えばいい。 しかも腕の多い…じゃない、腕も良く言葉遣いも行動も丁寧な介護士だ。 ……悪くないと思う。 「……君は」 「はい?」 ふと、以前から抱えていた疑問を聞いてみようと思った。 返事と同時に器用にはてなの形に一本の触手を示す。 声も出るのに律儀な事だ。 「君は、この行為をどう思っているんだ」 どこを見て良いか分からない為、とりあえず目の前のはてなに向かって言ってみた。 他の魔術師に比べて、異常に魔力が少ない俺への魔力供給。 それは、小坂自身が行うのが一番効率が良く、短くて済む。 だが、彼ほどの逸材にもなれば「本人でなくともいい」。 眷属に与えた魔力の余剰分を俺に流し込む。 それでも、十分な量を補う事が出来る。 故にこの行為は繰り返されている。 そして、繰り返されるのに俺は全てを『忘れて』いる。 まるで初めてされるかのように、小坂を愉しませるのだ。 それは俺だけでは勿論成り立たない。 今も人だった頃の意識を持ったまま小坂に飼い慣らされ、好きに使われる彼の協力がある。 人格としては、善良その物の彼が従うのは主人だからの一言で片付く。 何を感じながらどう思ってこの行為を続けるのか。 意思疎通は出来るものの、人型を持たない彼から提示されない物を読み取るのは容易でなかったのだ。 「……不健全だなあ、とは思います」 少し間をおいてから、まるでいい天気ですね、と話す内容がない時位のノリで返される。 複数の触手を器用に動かしながら、白衣を着せて、俺の髪を整えていく。 最中に羞恥心を煽る為だけに備え付けられている鏡には、いつもの『東野教授』が写っていた。 不要になった分の触手をしゅるしゅるとまとめながら、彼からの返答が続く。 「我が主に関しては感謝していますし、同じ道を志していた身として。  東野先生の事は尊敬しています、だから出来る限りの範囲でお救いしたい」 この後集めようと思っていた薬草まで小分けされた透明なパッケージで棚から出てきた。 先日小坂に貸した結果不足した分と合致するそれを手渡される。 動作は流れるようにつづけながら、澄んだ声は話を続ける。 「それと、お相手する度に不健康な個所が見つかっています。  ので、治療させて頂いてます……医者の不養生ですよ教授」 「それは、申し訳ない……」 いっそ死ねたらいいのに、などと考える故にあえて放置してあるんだが。 それも小坂に気付かれているんじゃないかと思ってしまう。 この関係に終わりすら、選ばせてはくれないのだ。 「触手と無駄話をし始めるとは、教授もお疲れですね」 再びしゅるしゅると集まりゆく触手は、ぼんやりと人型浮かばせる。 声と違わぬ穏やかな瞳の青年は俺の手を取ると跪いた。 「この姿でお相手して良いのでしたら、そうさせて頂くんですがね」 「君は……!人型になれたのか!」 驚きを隠さずに伝えれば悪戯っぽく微笑む。 人と言うには少々異形が過ぎますが、と体の周りにあふれ出る触手を指さす。 「触手プレイをすると分かっているのに、人型になるのは興がそがれませんか」 根が善良でも彼が確かに小坂の配下である事は間違いない。 奴の研究室に来てからまだ10年ほどしか経っていない気がするが。 それでもゼミ生以外はほぼ人間の近寄らないこの研究室。 限りなく近い嗜好になって行くのは当然だともいえる。 「……そういう趣味がないので理解しかねる」 「うーん……やはり小坂教授とゼミ生へのアンケートでは不十分でしたか…」 「いや、彼らは割と性癖が偏って……忘れてくれ」 思っている事を口に出そうとしたのを抑え込む。 小坂はともかく学生たちの事まで決めつけるのは良くない。 「貴方は優しい人だ。だから遊ばれてしまうんですよ」 「っ……!」 いつも同じように、同じ動きで始まる遊戯の初手。 首の後ろからまとわりつき、喉仏を撫でられた。 穏やかに流れる今とは違う幾度となく感じてきた瞬間を思い出し、恐怖に震える。 「まだ、する気なのか……」 「しませんよ、戻って来てしまいますから」 「ん……?」 今度は同じ触手で器用に頭を撫でると、するりと離れて行った。 にこにこと笑う表情に悪意はなく、そして彼に書類の束を手渡される。 「これは?」 「我が主が溜め込んでいた提出物と、学生達の書類です」 中身をパラパラと捲り確認すれば確かに教授用の業務連絡の書類に小坂のサインが入っていた。 そして、教授が回収する学生の書類も全員分あった。 「あぁ……まだ期限があるのに珍しいな」 「先日東野先生が倒れたのを見て、学生たちが直談判に来まして」 「は……?」 耳にしていない情報に少し混乱する。 学内の問題事は基本的には俺の所に集まるはずなのだが。 時折事の発端から終息まで一切関わらずに済んでいる事がある。 ……大体小坂か、小坂研の連中が関わって片付けてしまったかの2択なのだが。 「我が主の先生との本当の関わり合いはともかくとして。  はた目から見たら真面目な東野先生に迷惑かけてるだけですからねぇ。  あ、矢野先生の所にも来たみたいですよ、『東野先生の二大心労原因』ですから」 「……慕われていると、思っておこう」 「はい、慕われてはいます」 少々含みのある言い方に引っ掛かりを覚えたが、それも気にしないことにした。 これ以上長居をすれば仕事は片付かないし、第二ラウンドなんて言われては困る。 「……では、失礼する」 「ええ、困ったことがあればいつでも歓迎です」 「出来れば遠慮願いたいんだが」 ため息交じりに応えれば、彼は柔らかく微笑んだまま扉を開ける。 この部屋にも空調はある物の、ドアから入ってくる新鮮な空気は心地の良い物だった。 部屋の外……小坂の研究室へ一歩踏み出せば、後ろから人型を崩した彼が付いてくる。 パタンと扉が閉まれば、記憶に蓋がされ始める、薄れていく。 小坂の机の上、ガラス瓶の中にある意思のある植物が、楽しげに葉を振ってくる。 そこから漂うミントに似た爽やかな香りが、何があったかを忘れさせていく。 次が来るまで、全てこの部屋に置いて行くのだ。 小坂の研究室の扉を開けて、一歩踏み出せば。 「……?」 俺はなぜ彼の研究室に居たのだろうか、と思う。 手に握られた書類を見て、これを取りに来たのか、と自分で納得する。 仕事場に戻る為、俺は廊下を歩きだした。

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