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第1話
パーカーのポケットに手を入れてぼんやりと俯いていたせいで、雨が降ってきたことにはすぐに気が付かなかった。
降り出した雨はすぐに大粒のものになり、夜のアスファルトの色を更に色濃く変化させていく。
正義は手首にある時計を見て、もう数分で出てくるだろう、と持っていた紺の傘を開いた。
朝の天気予報で、夜半は一時的に激しい雨になるだろうと告げていて、季節の変わり目に体調を崩しやすい恋人に、出勤時には傘を忘れないようにとメールをしていたが、予報通りになった。
彼の働いている店舗から漏れる明かりに反射して、雨の粒がよく見える。
正義の持つ傘に当たる雨音も激しくなってきた。
昼間は暖かい日差しが増えたと油断していても、まだ夜には上着がないと外を歩くのは寒い。加えてこの雨ですぐに空気はヒヤリと冷えてきた。
(あ、出てきた)
シャッターを下ろそうとする同僚と話している彼の手には、ビジネスバッグしかない。
朝一番にメールをした意味は全くなかったようで、彼は何故かビジネスバッグをスーツの上着で隠すように腹に押し付けて通りに飛び出した。
「聡太さん!」
少し離れた場所で立っていた正義が駆け寄り名前を呼ぶと、傘の中に走り込んできた。
「また待ってたのかよ、お前。でも助かった!ほら、ほんの数メートルなのにもう濡れたぞ」
彼の癖のある髪が雨に濡れ、少し長めの毛先から雫が落ちている。スーツの肩も生地の色で水が染みているのが見て取れた。
「傘を持っていくようにメールしましたよね、俺」
「メール見た時にはもう駅まで行ってたんだよ」
「コートもないんですか?」
「あ〜、もう。会うなりうるさいよ、お前。それよか早く行こうぜ、っくしゅ!」
夜はまだ冷えるのだから、薄手でもコートを持って行けと再三注意しても、彼は聞く耳を持たない。
正義はムカムカとし始めた腹の中を堪えようとしたが、我慢できずにもう一つ口にしてしまった。
「鞄。雨に濡れるとなにか困るんですか」
「あ〜、これ?就職祝いに貰った大切なやつだから。濡らしたくないんだよ」
その返事に、頭の中が一瞬真っ白になった。
正義が何度も注意をしていた事と同じではないだろうか。
正義にとっては、聡太は大切な恋人だ。
学生と社会人という差はあれど、恋人を想う気持ちに年齢は関係ないだろう。
どちらかと言うとあまり身体が丈夫ではない聡太を心配して、正義なりにあれこれと心を配っているのにそこは全て無視で、鞄にだけ手をかけるのか。
「駅まででいいから傘に入れてけよ、正義」
「……ダメです」
「え?ダメって、わ、おい、ちょっ、」
正義は細いスーツの腕を掴むと、自分より背の低いその華奢な身体を雨に濡らさぬようにして歩き出した。
何度か利用した事のあるホテルだが、これ程彼を怒らせた状態で訪れるのは初めてかもしれない。
薄汚れた絨毯の上に脱ぎ散らかされたスーツやシャツを拾い上げた正義は、それを丁寧にハンガーにかけた。
(……またシャツ一枚か)
何度言っても彼は素肌にシャツを着る。中にもう一枚着ることがそれ程億劫なのだろうか。
正義は室内の暖房を少し強く設定した。
この程度ならば、少し置いておけばすぐに乾くだろう。
なるべくエアコンの風が当たる場所に濡れたシャツをかけると、大きな音が狭い部屋に響いた。
「……ちゃんと温まりました?」
備え付けの淡いピンク色のバスローブは、ホテルの料金に見あった薄手のものだ。
不機嫌そうな顔をしてベッドの端に座った彼の隣に腰掛け、頭からタオルを被っていた彼の首筋に手を伸ばした。
冷えていないか確認したかったのだが、正義の手は彼に払いのけられてしまった。
「何なんだよ、お前!なんでいっつもそんな偉そうなんだ、年下のクセに」
「分かっていて聞くんですか?」
「………わかんないね。迎えに来たのかと思ったら急にキレやがるし。挙句の果てにはラブホに連れ込んで風呂に入れって?意味わかんねぇ」
「へぇ、分かりませんか」
先程まで腹の底を熱くしていた感情が、またじわりと込み上げてきた。
彼の薄い肩を掴み、力任せにベッドへと押し倒した。
抵抗される前に自分の身体で押さえつけるようにのし上がると、身長差と体格の違いで彼はもう正義から逃げ出せなくなる。
成人男性には見えない程華奢な身体は、正義ほどの体格ではなくても征服する事は可能だろう。
柔らかそうな癖毛と愛らしい笑顔は、通り過ぎる者達の目を惹き、その艶やかな唇は淫らな欲望を植え付ける。
彼は自分の魅力を理解していない。それ故に警戒心は薄く無防備だ。
「おもっ、ど、けよ!正義、」
細い腕が正義の顎を押してきたが、構わずに彼のバスローブの隙間から手を差し入れた。
「や、何す、嫌だ!放せ、バカ……っ!」
暴れ始めた彼に、近くに落ちていたタオルを手にした正義は、それで聡太の手を後ろ手に纏めて縛った。
「お前やめろっ、本気で怒るぞ!」
彼にしては珍しく凄んでいるが、それは今正義が感じていいるものに勝てるわけはない。
「本気で?……どうぞ、俺も怒ってるんで」
聡太をベッドの上に座らせ、自分は彼の背中に後ろから密着した。
「や、やだ、正義っ」
自分の足を後ろから回し、彼の足を開かせ閉じさせないように固定すると、手を伸ばして取ったローションの中身を、全て聡太の股間にぶちまけた。
「つめた、っ、お前なぁ!風呂に入れって言ったあとにそれかよ、っ!」
彼の前に回した両手で、ローションを塗り込むように彼の柔らかなペニスを揉み始めた。
冷たいローションのせいで、根元にある膨らみは縮んでしまっていたがそんな姿も愛しく思う。
「……っ、」
「俺がどうして怒ってるのか当てるまでやめませんから」
「……は、はぁ?な、あっ!」
膨らんできたペニスを揉みながら、彼の中へと指を這わした。
中の粘膜は熱く、侵入した正義の指を温めてくれる。
「あっ、や、やだ、ヤるんなら解け、よっ、」
「聡太さんってセックスしか頭にないですよね」
彼の肩越しに股間を覗いて見ると、もうペニスは固く勃起している。
彼のペニスは人並みだと思うが、正義の手に包まれているのを見ると、幼く見えてしまう。
「おま、お前に言われたくな、いっ、んっ、あっ、ん!」
「俺の指、気持ちいいですか?」
指はゆっくりと出し入れしながら、ペニスを擦る手は強めにしていると、彼の尻が落ち着かなくなってきた。
「俺のが欲しいならちゃんと謝ってください。何について謝るのかもちゃんと言ってくださいね」
「あっ、ん、何ぃ、わ、かんな、あっ、あ、」
顔の横にある彼の細い首筋が、ほんのりと色づいてる。白い肌が性欲に支配され始めると染まるその色は、なんていやらしく見えるのだろうか。
舌を伸ばしてその肌を舐めると、安っぽいボディシャンプーの香りがする。それは彼とのセックスのイメージと繋がる香りだ。その向こうには聡太自身の円やかな香りがして、あまりの甘さに肌に吸い付いた。
「バカ、あと、つけ、んな、く、ぅっ、んんッ」
「……お尻の中、凄くひくついてますね」
耳には触れないように唇を寄せて声を落とすと、細い肩に力が入り小刻みに揺れた。
「勝手にイかないで下さいね。ちゃんと何が悪かったかを言わないと射精させませんから」
ぐちゃぐちゃと響く音は卑猥で、正義の股間ももう固く張りつめている。履いているデニムが狭くて脱いでしまいたいが、まだそれは出来ない。
開かせている聡太の膝が小刻みに震えだし、正義はペニスとアナルを弄る手を止めた。
「……ぅ、正義、イきた、いっ」
「ダメです」
「…っ、な、んなんだよ、迎えに来てくれて嬉しかったのに……っ、なんで急にそんな怒ってんだよっ」
そんな些細な言葉に揺らされてどうする。と思っても、迎えに来られた事は嬉しかったのかと知ると口元が緩んでしまう。
「……いつもは迎えに来るなって言ってますよね?」
再びアナルに触れさせた指先を押し付け、ペニスから離した手で、彼のぷっくりとした乳首を優しく摘んだ。
「ぁ、んっ、」
「答えて、聡太さん」
「……ぅ、れしい、よ……、でもお前…、いっつも何かすぐに怒るだろ……」
正義を不機嫌にするのは彼なのだが。言いそうになった言葉を飲み込んで、固くなった乳首を転がすように弄ってやった。
「…もう一度言って」
「あっ、や、ちく、びやだ、ぁっ」
「聡太さん、ねぇ、言って下さい。……聡太さん」
ぎゅっと乳首を摘むと同時に、押し込める所まで指を中に押し込んだ。
「ひ、ぃっ、ん!」
「……聞いてますか?」
「あ!あっ、や、もうやだ、まさよ、しぃ、」
挿入されることに慣れた彼の身体は、それ無しでは満足しない。
それは彼の肌に刻みつけられたもので、正義では変えられない過去だ。
淫らに乱れる彼は魅力的だが、同時に消し去りたい姿でもある。
どれだけ想っても歳の差は縮まらない。どれだけ抱いてみても、彼の初めての男にはもうなれない。
「なにが嫌なんですか?」
舌先を耳の中に触れさせると、尻の中の指がきゅうと締め付けられた。
「ちんこ…、早くい、いれて、これ、」
後ろ手に固定されている彼の手が、正義のデニムの上から股間に触れてきた。
それだけで眉を寄せるほど張り詰めていて、正義は一瞬息を止めた。
「……本当に、こういう時だけ素直になりますよね」
「お、怒んなよ、なぁ、ちゃんと抱けよ……」
振り向いた彼の瞳が間近で見えた。
色素の薄い瞳には涙が滲んでいて、堪えきれなくなった正義は彼の手の拘束を解いた。
「……痛みますか?」
細い手首にキスをして問うと、癖毛を揺らして顔を横に振った。
どれだけ怒りを感じていても、真っ直ぐに求められてしまうと自分の感情すらどうでも良くなってしまう。
正義は彼の足を大きく開かせ、彼の上に乗りあがった。
今から堪能出来る特別な快感に期待して、挿入直前にもう達してしまいそうだ。
「……聡太さん…、目を開けて、俺を見て」
鼻先を触れ合わせ、見つめあったまま彼の中にペニスを沈めていくと、挿入仕切る前に彼の身体が大きく揺れた。
「……ふ!あ、あぁっ、ん!」
強く目を閉じて震える様子と、ペニスから伝わる粘膜の動きで彼がもう達してしまったことを知った。
「……もう?」
意地悪く笑ってやると、力の入っていない拳が正義の肩に何度か当てられた。
「お前が焦らすから……ッ、ば、バカ……ぁ、」
「聡太さんが謝らないからでしょう。……ごめんなさいって言ってください。それで許してあげます」
「ぅ、や、やだ、なんで俺が……っ、」
この期に及んで強がる彼に、正義は容赦なく腰を使いだした。
「ひ!あ!や、まだやだ、まっ、や、」
「イったところだから辛いですか?……じゃあ早く、ごめんなさいって言ってください」
彼の指が正義の身体を止めようと、無駄に抵抗している。だが全く力の入っていないそれは、正義の動きを止めることは出来ない。
指で弄っていたお陰で、正義のペニスは滑らかに彼の中を刺激していく。
抜け落ちるぎりぎりまで腰を引き、勢いをつけて押し込むと彼の身体が跳ね上がるように反応した。
「や、とめ、止めて、まさよ、し、ぃっ!」
「ダメ、まだイけるでしょ……、っ、凄いな……」
うねる粘膜は正義のペニスを悦んで受け入れている。
「あぁっ、ま、たい、イっ、く、ふ、ぁぁっ、」
「……ッ、」
下から伸ばされた細い腕が正義の首に回された。快感に涙を滲ませる聡太に噛み付くようにキスをした瞬間、堪えきれずに達してしまったが、聡太も二度目の絶頂を迎えていた。
「……聡太さん、」
息を切らしながら名前を呼ぶと、彼は長い睫毛を涙に濡らしたままぐったりとしている。
「…大丈夫ですか?」
また飛ばしてしまったかと頬を撫でると、震えた睫毛がゆっくりと上げられた。
「……触るな、バカ……」
敏感な彼は、達した後なかなか元に戻れない時がある。それは頬に触れるだけで反応してしまうレベルのもので、正義が気に入っている彼の姿だ。だがそれも、嫉妬の要因となり得るのだが。
密着する彼の肌がまだ小刻みに震えていて、その愛しい姿に胸が苦しくなった。
「…聡太さん、シャツの中にはもう一枚何か着てください」
「………?、なんで今…?…」
「今日みたいに雨に濡れると、乳首が透けて見えます。季節の変わり目は体調も崩しやすいんだから、コートはちゃんと持ち歩いて。俺がメールをした日は傘も持ってください」
少し落ち着いてきたのか、正義の話を聞く彼の瞳の色がしっかりとしてきた。
「……それで怒ってたのか?」
「大切な事です。俺の大事な聡太さんが風邪を引いたりしないようにするための事なんで」
キョトンとする彼に向かって真剣に告げた後、触れるだけのキスすると腕を回されて抱きつかれた。
「……ちゃんと聞いてますか?」
「うん、分かった。……ごめん、正義」
素直な言葉に、正義も彼の身体に腕を回して抱き締めた。
「わかってもらえたなら……あ、そう言えば、聡太さんのあの鞄、内側に名前まで入ってますよね、刺繍で」
以前見た事をふと思い出して話しながら、ティッシュを引き抜いて彼の汚れを取り始めた。
「いいだろ、あれ。圭介さんが就職祝いにくれたんだよ。オーダー品だぜ」
正義の手が動きを止めたことで、出してはいけない名前を口にしたと聡太も気づいたようだ。
「…………圭介って、あの伊谷圭介ですか?」
歓楽街の帝王と呼ばれた事のある男の姿を思い出した正義は、手にしていたティッシュを力任せに握り締めた。
「……あの人とは一度しか寝てないって言いましたよね?」
「そ、うだけど、過去だぞ?昔の話だし、ヤったのは本当に一回だけだ!」
一度だけ、のその意味が酷く重いことをどうしても思い出してしまうと不快になるのは仕方ないだろう。
伊谷圭介という夜の歓楽街のネオンが似合う男は、聡太の初めての男だという過去を持っている。
「鞄だって俺が就職したことを祝ってくれて……、だから大切にしてるだけだし。別に深い意味はないからな」
聡太にとって初めての就職と初めての就職祝い。深い意味はなくとも、それだけでもう許せないことには違いないが、たった今仲直りが出来たところだ。
「……わかりました。じゃあ、代わりに俺にも約束をください」
「は?代わりってなんの、」
「過去は変えられないので。その代わり、俺が高校卒業したら一緒に住む約束をしてくれますよね」
「……それは無理だって何回も言ってるだろ」
「納得できません」
「納得とかじゃないだろ、あ〜、もううるさい!」
彼は誤魔化すようにそう言うと、正義の腕の中から抜け出そうとしたが、逃がさないように強く抱き締めた。
「正義、離せよ!」
「聡太さん、愛してます」
彼の額に唇を寄せて囁くと、抵抗が緩んだ。
「……聡太さんは?」
どけだけ想っても縮まない歳の差。その不安を和らげるのは貴方のその言葉だけ。
正義が小さな声で問いかけると、彼の手に頬を挟まれた。
「………歳下とは付き合わない主義の俺が付き合ってるんだぞ。…好きに決まってるだろ」
めったに聞かせて貰えないその言葉を胸の中で反芻し、細い身体を抱きしめ直した。
「じゃあ、同棲して下さい」
「しつこい」
もう何度も繰り返されているやりとりだが、必ず成就させるつもりだ。
正義は聡太を抱き上げると浴室に向かい、温かいシャワーの中でもう一度口説こうと気合を入れた。
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