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第16話 -9

 少しでも市倉が近付こうとするだけで、悟志は拒絶し取り乱す。そんな姿を見るのは悟志が初めてあの男に抱かれた日以来。  市倉が近付くこともできず、何とか誤解を解きたいと一定の距離を保ったままでいると澤谷がレジ袋片手に戻ってきた。2人の様子を視界に捉えた澤谷は、驚いた様子でまずは悟志に駆け寄る。 「悟志さん、どうしたんですか?」 「もう嫌だ、もうこいつのことなんて信じられない」 「……何があったんです?」  澤谷の咎めるような声色に、市倉はお前に話すことはないと首を振る。落ち着いてから改めて話せばきっとわかってくれる、だから今は刺激しないように自分は離れていよう。  悟志とはあまり関わりがなく、錯乱しているところも初めて見た。澤谷は部屋の隅で市倉から決して目を離そうとしない悟志に刺激を与えないよう触れないようにしつつ布団を掛けてやった。  こんな筈じゃなかった。明音のことを教えて、彼の忘れ形見だからこそ大切にしたいのだと言いたかった。身代わりなんて思ったことは一度もない。自分だけを見るようになんて、考えたことすらない。それでも今の悟志に何を言ってもきっと通じない。澤谷が必死に宥めるそれから距離をとり、姿が見えないように障子を閉めた。  触れていたのは、悟志が他の男に抱かれ続けて色狂いにでもなってしまうのを避けたかったから。確かに息子に対してすることじゃない。それでも悟志が少しでも『普通』に近付けるならと思って続けていた。それも、全て利用していたからだと思われても仕方ない状況。  この状態では自分の運転する車にも乗りたがらないだろう。かと言って澤谷のバイクに乗せるわけにもいかない。  本当は、悟志が佐月派につくと内々に保守派の人間達に接触を図る予定だった。あれではそれさえも不可能だ。今日チェックアウトする予定だったが、もう1日だけ延ばそう。市倉はフロントに向かうため何も声を掛けずに外へ出た。  悟志に平手打ちをされたのもこれが初めてだ。他の何でもない時なら暴力は駄目だと叱りつけていたけれど、この状況ではそれも自分を好きにしたいからだろうなんて思われかねない。  それに、叩かれるようなことを思わせてしまった自分に全ての責任がある。  ついでに、別の部屋も抑えられないか聞いてみよう。信用できない相手に寝ている間も一緒にいられたくなんてないだろうから。

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