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桜の香りのする紅茶

理事長室に入るのはこれで二回目だ。 入学する時に、一度。その時は気付かなかったがこの部屋からは、中庭が見える。 自分が中庭にいる時にも、気付くことができなかったのだ。 「良い眺めだろう」 理事長自ら用意したのだろう、トレイの上にティーポットとカップをのせて少し低い机に置いた。 「さ、どうぞソファに座って。今日はゆっくりしていくだろう?」 「理事長先生が授業のサボタージュを勧めるのはいかがなものでしょうか」 「こりゃ手厳しい」 そう言って、肩を竦めて笑って見せる理事長は相変わらずダンディーで、魅力的な男性だ。言われるがまま、理事長と向かい合う形でソファに座る。明らかに高そうなソファに遠慮なく軽く腰掛け、背筋を伸ばした。 「それで?私に聞きたいことがあったのだろう?」 無駄な所作なく洗練された動きで、紅茶を淹れている。こちらには目もくれず、これから飲む紅茶を楽しむようにカップに注がれていく紅茶を眺める理事長。 「単刀直入にお聞きしますが、」 理事長の優しい眼差しがこちらに向く。 「一体この学園で何を隠してらっしゃるんですか?」 理事長は綺麗に整えられた髭を左手で数回撫で、二つあるカップのうち一つを俺の目の前に差し出した。 いただきます、と軽く会釈をして紅茶に口を付ける。この世界にはない、春に咲くあの花の香りがした。何も言わない理事長に、しびれを切らしてこちらからまた発言をする。 「隠してる…とは、また違いますね。監視している、に近しい。」 「あたらずといえども遠からずってところかな」 「それで、どこに隠しているのですか」 理事長のぶれることのない瞳を、まっすぐに見つめる。 10秒は見つめ合っていただろうか。 途中でなにが面白かったのか、ケラケラと笑い始めた理事長に目がテンになる。 「え、えっと…」 「突然ごめんね?君があまりに似ているから、面白くって」 「似ている…?」 誰に似ているというのか。なんとなく、嫌な予感がしたがそれでも聞かずにはいられなかった。 「その…まさかとは思いますが、誰に…」 「そりゃあ勿論…」 「……」 全く聞きたくない名前が出てきた。あの傍若無人で俺様でゴリラなアイツに、どこが似ているっっていうんだ。俺は、謙虚でプリチーな平凡だ。自分の言葉に傷つけられるが、あの男に似ていると言われた方が大ダメージなのだ。 機嫌が一気に下がったのが顔に出ていたのだろう、俺の様子を見てまたクスクスと笑い始める理事長をジトリと睨む。 「いやあ、君の様子が面白いからつい、ね。美味しいクッキーもあるから許してほしいな。」 「…いただきます」 クッキーに罪はない。綺麗に焼けて美味しそうなクッキーに手を伸ばす。 「トーカ君にも、まったく同じことを聞かれたよ」 その一言に、甘いクッキーを咀嚼していた口の動きが止まる。 「…」 「だが、悪いが教えられないんだ。それが約束であり、ルールだから」 「……約束」 「でも君ならきっと、”それ”を見つけられる。私はそう思っているよ」 ”それ”が一体なにを指しているのかはわからないが、それでもこの理事長の優し気な眼差しを見てこの人が敵ではないということだけ、俺にはわかった。 きっとトーカがこの人に俺と同じ質問をして、それでもなおトーカが動かないということはきっと俺と同じ考えなのだ。 「そうか、君たちは僕が敵かどうか確認しにきたんだね」 「い、いえ、そういうわけでは」 思わずどもってしまう。…この人、エスパーかよ。 「ふふ、いいんだよ。きっと君達の立場なら私を疑うと思うから」 「すみません…」 クソ、顔に熱が集中するのがわかる。なんでも見透かされているような気分になって、落ち着かない。目の前にあるクッキーをひとつ口に放り込んだ。 「この国には、神がいる」 それはこの国の人間誰しもが常識として、それを知っていてそれが当たり前だと思っている。日本人の俺からして見れば、そんなの迷信だと思うけど、異世界にこうしているのだから多少信じてもいいのかもしれない、最近はそんな風に考えを改めた。『夢の中』でしか合えない神なんて信じていいのか、本当にわからないけれど。 ただ、一つ確かなことは俺の背中の痕は、広がるばかり、ということだ。 「それは宗教として盲目的に崇拝しているわけじゃない。”いる”のだよ」 「私たちは、忘れがちだがそれを決して忘れてはならない。何故なら、それこそがこの国がある証明なのだからね」 「…この国の存在証明…」 理事長が一体何を言いたいのか、さっぱりわからない。だが、一言一句聞き洩らしてはならないような気がした。第一、この人が無駄なことを言うとは思えない。 「トーカにはそれを言ったんですか」 そう聞くと、理事長は目元の皺をくしゃと寄せて、微笑んだ。 「うるせえ、クソジジイだって」 …トーカらしいな、と思った。

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