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隣の芝生を青く見える

 別荘で過ごす最後の夜。  先生と久賀は、あの話題を出すことはなかった。それに、安心するような、がっかりするような自分がいる。  先輩がこの別荘にまで押しかけて来たのは驚いたけれど、結果的には良かった気がする。俺自身、自分がどうしたいのかハッキリわかった。  答えは『帰りたい』だった。  入れ替わりをしてからというもの、この世界は俺にとって幸せだった。  金をないけど、普通の家。大学に行ける環境も恵まれていた。片思いだって楽しいモンだし、久賀だって良いヤツだ。  きっと、俺がシビュラが存在する世界にトリップすることなかったとしても、『東雲子規』と似たような状況で生活していただろう。この世界は俺の本来あるべき未来だった。それでも、俺にはどうしてもこの世界の自分に嫉妬してしまう。  結局は、隣の家の芝生は青いのだろう。馬鹿みたいだ。    でも、思い出せよ。  あの世界での生活も悪くなかっただろう?悪くなかったどころじゃない、楽しかったよ。    やり残したことがあるだろう?たくさん、あるよ。    会いたいヤツがいるだろう?たくさん、いるよ。  生きる意味があっただろう?…  部屋に差す月光が青く青く輝いている。ゆっくりと、光に導かれた視線は窓の外を向いた。そこには夜の海が広がっていて、静かに喜んでいる。    砂浜がキラキラと輝いている。スポットが当たっている場所には、扉。  まるで、青い狸が出してくれるひみつ道具のようだった。俺の願いが具現化されると、こんなにも子供らしいものなのか、と少し笑ってしまった。  眠っているであろう二人を起こさないように、玄関から抜け出して、海へと向かう。潮風は強く、夜の空を見上げると雲が速く移動している。月が雲に隠れたり、顔を出したりしているというのに、扉を照らす青い光が消えることはない。  向かい風だというのに、風が行く先を邪魔することはない。  扉まであと5メートル程。よく見ると、トーカの執務室の扉に似ている。 「こんな時までトーカかよ」 俺も大概、アホかもしれない。きっとこの扉をノックしたら偉そうな声が聞こえてくる。俺は嫌々扉を開けると、きっと俺様団長がこちらを見て「仕事だ」と書類を掲げていることだろう。  それが俺の日常だ。  あの時感じた未練はもうない。今ならば、自分の人生を楽しめる気がするし、ジャンプの今週号は買ったばかりだし、携帯の閲覧履歴だって全部消したし、母さんが作ったハンバーグも食べることができた。  きっと弟は志望校に合格するだろうし、妹は彼氏ができたらしい。  この世界に俺はいなくても、大丈夫。  でもきっと、トーカは俺がいないと、機嫌が悪くなっちまうんだろうな。  ドアノブに手を掛けた瞬間、月が顔を出して海が青く、青く光り出す。気が付けば、20歳の俺の姿は15歳の姿に戻っていて、視線は低い。  大丈夫、俺だって成長期なんだから身長は伸びる、はず。この世界の俺だけ、178センチなんてずるいからな!?  身長が伸びますように、それだけ願って扉をくぐった。 第六章・終

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