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俺たちのホワイトデー
3月14日は、ホワイトデー。
そして、理人さんの誕生日。
「神崎くん、おはよう」
「おはようございます」
「おいース」
カウンターの向こう側に並んでモーニングコーヒーが出来上がるのを待っていた理人さんと木瀬さんが、そろって会釈する。
颯爽と歩いてきた藤野さんはふたりに笑顔で応えて、小さな紙袋を差し出した。
「神崎くん、はい」
「えっ」
「誕生日おめでと」
「あー……ありがとうございます」
はにかんだように笑って、理人さんがそれを受け取る。
そのまま藤野さんに促され袋から取り出したのは、濃いモスグリーンのネクタイだった。
「あ、いい色ですね」
思わず口を挟むと、藤野さんの笑みが深まった。
「でしょう?神崎くん普段こういう色着けないからいいんじゃないかと思って」
「ありがとう、藤野先輩」
「どういたしまして」
藤野さんがホッとしたように表情を和らげる。
そして、俺に向き直った。
「佐藤くん、カフェラテのMお願い」
「かしこまりました」
マシンにカップをセットするために背を向けると、途端に背後が騒がしくなった。
「藤野先輩、ひでえ!俺の誕生日はスルーだったのに!」
「木瀬くんは私からもらわなくたって毎年プレゼントの山でしょう」
「そんなのこいつもじゃん」
「しょうがないわね。じゃあ来年は木瀬くんにも誕生日プレゼントあげる」
「ほんとかよ……」
まるで、姉ひとりに弟がふたりいるみたいだ。
俺は零れそうになる笑いを堪えつつ、カウンターにカップを3つ置いた。
「コーヒーのLをおふたつと、カフェラテのMをおひとつ。お待たせいたしました」
「ありがとう」
藤野さんがひとつだけ小さめのカップを持ち上げ、さっさと踵を返す……と、首だけで振り返った。
「あ、木瀬くんって誕生日いつだっけ?」
「……もういいよ」
途端に憮然となった木瀬さんがシッシッと手を振ると、藤野さんは満足そうに微笑んでから去っていった。
その背中を見送り、木瀬さんがフンと鼻を鳴らす。
そして、待ちきれずにコーヒーをチビチビ啜っていた理人さんに、茶色い袋を差し出した。
「理人」
「ん?」
「はぴば」
思わず顔をしかめた俺を見て、木瀬さんがにやりと笑う。
「妬くなよ?佐藤くんも一緒に楽しめるもんだからさ」
「佐藤くんも?」
理人さんが、不思議そうに首をかしげる。
そして、袋をガサガサ開け始めた。
なんだ?
俺も楽しめるもの?
理人さんと一緒に?
……って、まさか!
「ま、理人さん!ここで開けない方がっ……あ」
お、遅かった!
理人さんの手は、もうそれをしっかりと握っていた。
こんな朝っぱらから、こんな公共の場では決して手にしてはいけない〝それ〟を。
理人さんの手の中で、ぐにょん、としなった薄紅色のそれは、グラデーションのようにだんだんと大きくなっていくたくさんのボールが連なってできている。
知らない人には何なのかわからないだろう。
でも知る人が見れば、すぐに「それだ」とわかるやつだ。
当然のように『それを知らない人』に分類される理人さんは、無邪気な瞳で不思議そうにしながら、それをビヨンビヨンと揺らしてみている。
そのすぐ横で、木瀬さんが肩を震わせて笑いをこらえていた。
俺は心から思った。
ほかにお客さんがいなくて本当によかった!
「なにこれ?」
「ケツに突っ込むやつ」
「は……?」
「お・と・な・の・オ・モ・チャ」
ポカン、と口を開けたまま、理人さんは顔を真っ赤に染めた。
慌ててそれを袋に投げ入れ、全身を震わせる。
「こ、航生!お前、よくも会社でこんなもの……っ」
「はいはい。あとで感想聞かせろよー」
理人さんの全力の抗議が届く前に、木瀬さんはコーヒーを手にあっさりと背を向けてしまった。
怒りを解放するチャンスを奪われた理人さんが、長く深い溜息を吐く。
その憮然とした表情を隠さないまま、俺を見上げた。
「……これ」
「え」
「佐藤くん、持ってて」
「えぇっ!?い、嫌ですよ!」
「鞄にこれが入ってると思いながら仕事するのやだ……」
「そんなの俺だって嫌です!」
きっぱりと言い切ると、理人さんの唇がへの字を描いた。
しぶしぶとその如何わしい袋を自分の鞄にしまう。
「じゃ、仕事行ってくる……」
「あ、理人さん!」
「……ん?」
「今日なんですけど、仕事終わってからグリーンガーデンカフェに行きませんか?」
「グリーンガーデンカフェ?」
「はい」
「って、あの……」
「俺たちが出会ったカフェです」
理人さんの耳が、ほんのり赤くなった。
「別にいいけど……なんで?」
「なんででも」
「……ふぅん?」
*****
だんだん日が長くなってきたからか、この時間でもまだうっすらと明るい。
平日の夜ということもあって、カフェの店内には空席が目立っていた。
入り口を潜ってすぐ、黒いカフェエプロンをつけたウェイターが駆け寄ってくる。
「いらっしゃいませ」
「予約した佐藤です」
「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
案内されたのは、店の一番奥のテーブル席だった。
椅子がそれぞれ一人がけのソファになっていて、見るからに座り心地が良さそうだ。
ウェイターはテーブルの上に乗っていた『予約席』と書かれたプレートを取り、一礼して戻っていった。
「注文しなくていいのか?」
理人さんが、メニューを探してキョロキョロする。
俺は少し笑ってから、ゆっくりと上着を脱いだ。
「予約した時にもう伝えてあるので、すぐ持ってきてもらえると思います」
「ふぅん?」
理人さんがソファにゆったりと背を預けた……と同時に、すぐに人の気配が近づいてくる。
「クリームソーダおふたつ、お持ちいたしました」
コトリ、と上品な音を立てて、それが木のテーブルに置かれた。
続いて同じものが俺の目の前にも置かれる。
いや、厳密に言うと俺のは少しだけ、違うんだけれど。
「ごゆっくりどうぞ」
ウェイターが浅いお辞儀をして去っていっても、理人さんはジッとグラスを睨んだまま動かない。
「理人さん?」
理人さんの長い指がゆっくりと動き、ドーム型のバニラアイスにちょこんと乗ったさくらんぼを指差した。
「これ……俺のだけ、双子のさくらんぼ」
まるで、幽霊でも見てしまったかように声がかすれている。
「佐藤くんが、頼んでくれたの……?」
「はい」
俺が頷くと、理人さんの唇がふるりと震えた。
正確には席を予約した時に、もしもあったら取っておいてほしい、と頼んだだけだけれど。
「大事な理人さんの誕生日だから、今夜は理人さんが好きなものを一緒に食べたいと思ったんです」
「……」
「でもさすがに夕飯これだけじゃアレですから、ほかになにか頼みますか?」
「……」
「理人さん?」
「……い」
「え?」
「キスしたい」
「いいですよ」
「……」
「プッ、冗談です」
俺は理人さんの左手に、自分の右手をそっと重ねた。
ピクリと強張った理人さんの指が、俺の手に絡みついてくる。
ぎゅっと握り合った手を見下ろしていた理人さんが、ふと微笑 った。
「なんだか、不思議だな」
「え?」
「初めてここで佐藤くんに会った時は、まさかこんなことになるなんて思わなかった」
「……」
「でもなんか今は、こうしているのが当たり前のような気がする」
「……はい、俺もです」
「あの時、佐藤くんが俺を引き止めてくれてよかった」
理人さんは照れくさそうにそう言って、ゆっくりと指を解いた。
白い山の上に佇んでいた赤い双子を親指と人差し指で摘まみ、ゆらゆらと揺らす。
しばらく愛おしそうに見つめていたかと思うと、ひょいっと食べた。
もごもご動く唇が綺麗な弧を描いていて、俺もなんとなく幸せな気分になる。
長いスプーンにバニラアイスを盛り口に含むと、舌の上ですぐに溶けた。
「あ、そうだ」
「ん?」
「帰ったら、試してみましょうか」
「なにを?」
「木瀬さんにもらった、お・と・な・の・オ・モ・チャ」
「なっ!?た、試すわけないだろ!」
とかなんとか言いながら、俺が〝お願い〟したらきっとまた理人さんは頷いてくれちゃうんだろうなあ。
それでもって、たぶんトロットロのベッタベタのドッロドロになるまで喘いじゃうんだろうなあ。
そんな自惚れたことを考えながら、アーモンド・アイをキラキラさせながらアイスを削る理人さんを見やる。
「理人さん」
「ん?」
「お誕生日おめでとうございます」
「……ありがとう」
「31歳の理人さんも、どうか俺を好きでいてください」
「ブッ、なんだそれ?」
理人さんは、ケラケラと声を上げて笑った。
今日からの一年が、理人さんにとって幸せなものとなりますように。
そしてどうか、その幸せな理人さんの隣にいるのが、俺でありますように。
Fin
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