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第5話

 アレックスがいるとどうしても目で追ってしまう。諦めなければならないとわかっていたが、それができない。  今日も彼は威厳ある姿で店の中を歩いている。刺されてしまいそうな短毛だが抱きしめるとビロードのように柔らかいことを知っている。冷たく見られがちだが二人の時には優しい目をすることも知っている。発情期を迎えるたび壊れ物を扱うように蓮を抱くことも。なにもかもが蓮の心を激しく揺さぶり、それは大きな想いへと繋がる。 ──アレックスが好きだ。  たとえ、魂の番がいたとしても。二人でいる時は蓮だけのアレックスだ。 「蓮くん、持ってきたよ」 「……ありがとう」  常連の美来に頼んだのはαを誘うための誘発剤だ。月に一度の逢瀬が足りないくらい、蓮はアレックスのことを愛してしまった。薬で発情期を装い誘うしかない。そんな幼稚な考えをするにまで至っていた。 「Ωの子にあげるの? なんだか妬けちゃうな」 「頼まれただけ。そんな仲じゃないよ」  美来の頬に軽く口づけるとそっと渡されたその薬をパンツのポケットに押し込んだ。  苦しい。蓮は吐きたくても吐けないつらさでベッドの中で身悶えていた。誘発剤を飲んだはいいが身体に合わなかったのかただ苦痛だけが押し寄せてくる。罰が当たったのだ、と蓮は思う。魂の番がいる獣人の男を好きになって、毎月一緒にいる時間を貰っているのにまだそれ以上を望んだ自分への罰。突然、いつも施錠していない部屋のドアが開いた。そこにはアレックスがいた。 ──都合のいい夢……? 「蓮!」  アレックスの腕に抱き込まれ、蓮は笑った。 「……アレックス……」 「どうしたんだ。仕事を無断で休むから心配で……」 「心配?」 「病院に行くぞ」 「違う……」 「どうした?」 「……誘発剤を……飲んだんだ……」 「誘発剤? バカなことを! そうでなくてもおまえは強い抑制剤を飲んでいるのに」 「……いいから……そばにいてよ……」  憎まれ口を叩く余裕もなく、蓮は両手で縋った。あやすように背を撫でられて蓮は気を失った。 「……ん」 「気がついたか」 「……アレックス」 「ほら、水だ。飲みなさい」  時計を見ると朝方の四時だった。アレックスはずっと付いていてくれたのか。嬉しさでじくじくとまだ残る痛みが吹き飛びそうだ。そうだ。アレックスは最大の優しさをいつもくれる。それだけでいいではないか。それ以上を望むのはもうやめよう。蓮は起き上がると水を口にした。 「気分はどうだ」 「もう平気。……心配かけて、ごめんなさい」 「私がどれだけ心配したと思っているんだ」 「本当に、ごめんなさい」  アレックスの雰囲気が少しだけ和らいだ。 「殊勝なおまえを見るのも悪くはないな」 「なに、それ」  蓮もつられてため息まじりに笑った。わけのわからない誘発剤を使ってまで欲しかったアレックスがそばにいる。今なら素直になれそうだった。 「どうして誘発剤など飲んだんだ」 「アンタに……会いたくて」 「店で会っているだろう」 「そうじゃなくて。好き、だから」 「蓮?」 「アンタが、好きなんだ」  重い沈黙が二人の間に流れた。言ってしまおう。この関係が終わってしまうとしても、この想いを昇華しないと、自分は気が狂ってしまう。アレックスの気持ちも考えず、今だけは許してほしい、と蓮は思った。 「ずっと、ずっと好きだった。アンタはいつも優しくて、発情期に抱いてくれることも俺は本当に嬉しかった。アンタ以外なんて考えられない」 「蓮」  蓮はシーツを握り締め、青筋の立った自分の拳を見つめた。アレックスがどんな表情をしているか、さすがに見ることができなかった。 「……もう、全部終わりにするから。でもこの気持ちだけは伝えたくて。ごめん」 「蓮」 「魂の番がいることも知ってる。だけど、……本当にごめん」 「その……話はいったいどこから?」 「店の奴らから聞いた。知ってもアンタに抱かれたかった。本当に、好きだったから……」  アレックスの鋭い爪先がゆっくりと動いて蓮の拳の上に重なった。 「おまえは、私のことを都合よく扱っているのかと……」 「え?」 「獣人なら妊娠する可能性が低い。それを知ってて利用しているのかと」 「……何の話?」  アレックスの視線がきつくなった。 「おまえこそαの男と抱き合っていた」 「は?」 「おまえに会いたいと言ったあの日、廊下で二人で抱き合っているのを見た」 「抱き合ってた……? 俺が? いつ」  意味がわからず蓮は記憶をフル回転させる。最近抱き合った相手。間違いない。セシルだ。アレックスはあれを見たのか? 「違う! 誤解だよ! あれは俺の幼馴染だ。好きとかそういうんじゃない」 「誤解……」  大きくため息をつくアレックスを見上げ、蓮は恐る恐る尋ねた。 「嫉妬……したの?」 「おまえは! なんで俺に直接聞かない!」 「アレックス」 「魂の番なんて、私にはいない!」 「えっ」  蓮はのけぞるほど驚いて、それからそっとアレックスの指に自分の指を絡めた。そうせずにはいられなかった。 「番がいたとして、おまえと寝るような、そんな不誠実な男に私が見えるのか、見ていたのか」 「アレックス」  心底怒っているアレックスに思わず抱きつく。柔らかな体毛がざわざわと蠢いていた。 「ごめんなさい!」 「私は怒っているのだぞ、蓮」 「でも……! 同情かと……」 「同情で好きでもないヤツを抱く男に見えるのか」 「それに……俺が発情してても引きずられなかったし」  アレックスは盛大に大きなため息をついた。 「番がいれば確かに他のΩの発情には引きずられない。拒絶反応が出て他のΩを抱けないことは知っているだろう?」 「……拒絶反応……?」 「蓮、まさか知らないのか……?」 「孤児院では……そんなこと教えてくれなかった……」 「誰もおまえにそのことを教えてくれなかったのか」  呆然としている蓮の柔らかな髪を撫でる手に縋りつく。 「私は……おまえの発情の誘惑に全力で耐えていたんだ」 「アレックス、ごめんなさい、どうしたら許してくれるの?」 「許さん。おまえのすべてで償ってもらう」 「……アレックス」 「本当に、いいんだな?」  うなじを鼻でちょんと突かれて、蓮は思わず赤面する。 「……俺の将来、全部かけて償う」 「蓮」 「俺を、番にしてください」

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