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太陽に誓う
朝を告げる、爽やかな鳥のさえずりが聞こえる。随分と賑やかな……おかしいな、うち港区だから、こんなに鳥の声が聞こえた事ってない。
う……ん。何か、暖ったかいなあ。小さな頃、ポチのお腹を枕にして眠った時みたいだ。
柔らかくて、呼吸に合わせて微かに上下する何かが、俺の頭の下にあった。
「おい、そろそろ起きろ」
「ん……?」
「起きないと、キスするぞ」
「んっ……むむ」
唇に、木綿豆腐みたいな感触が当たる。
あは……夢か。ファーストキスもまだなのに、こんな、リアルに……キスって、レモンの味じゃなくて、木綿豆腐の感触なんだな。ぷぷぷ。
「何を笑っている。これ以上起きないなら、悪戯するぞ」
あっ。ちょ……待って、ファーストキスから、いきなりそんなシモの方に……。
やけにリアルな感触に、薄らと瞳を開ける。と、上から覗き込む新緑色の目と目が合った。
「わ~、綺麗な色の目……」
「誉めて貰ったのには礼を言うが、いい加減起きろ。じゃないと、本当に悪戯するぞ」
「だって、まだ眠い……」
「寝ていないのか?」
「うん……もうすぐセンター試験だから、徹夜だった」
「センターシケンというのは、何だ?」
「え? テストだよ。受験生の敵」
「そうか。敵と戦う為に、徹夜で鍛錬していたとは、感心だな。だがお前が私の運命の番いである以上、これからは私が全力でお前を守る。心配するな」
「ん? 駄目だよ、テストは自分で受けなきゃ……」
無意識に、手触りのいい枕をさわさわと撫でると、切れ長な目元が優しく笑った。
「ふふ、よせ。くすぐったい」
「え?」
なかなか開かない目を擦って見て、枕が短い黒毛に覆われた暖ったかい動物のお腹だと認識する。だんだんと視線で上に辿っていって……ビー玉みたいに綺麗な瞳とバチッと目が合った。
「え……えっ!?」
俺は一気に目が覚めて、思わず後ろに跳びすさった。Gを見付けた時の脊髄反射に似てる。
「なっ……な……」
「どうした?」
「あ! ゆ、夢だよな! 覚めろ! えい!」
「夢ではない。私も、もう運命の番いに逢えぬままかと思っていたから、夢のようだがな」
その深いバリトンの声音に恐る恐るまつ毛を上げると、やっぱり目の前には、Gを見付けた時みたいに、信じられない光景が広がってた。
巨大な木の陰に、そいつは横たわってた。横たわって? 上半身は起きてるから、座ってるって言うのかもしれない。
「う……馬?」
思わず呟くと、ちょっとそいつは気を悪くしたように腕を組んだ。
「馬ではない。私は、森の賢者の族長だ」
「い……いや、そういう事じゃなく……何て言うんだっけ。上半身は人間で……」
「ああ。私か? ケンタウロスだ。お前は、何処にも獣相がないな。空から降ってきたし、異界の者だとみえる。リュカだ。お前の名は? 運命の番いよ」
何か……何か、突っ込み所があり過ぎて、何処から手をつけたらいいか分からない!
確かにそいつは、思い出せなかった『ケンタウロス』の形をしてた。しなやかな筋肉を露わにした人間の上半身の下に、四つ足の馬が繋がってる。毛並みは黒だったけど、緩やかにウェーブした長い髪と尻尾は、輝く白金だった。
「どうした? 名を聞かせてくれないか」
「いっ……井ノ又碧馬(いのまたあおば)……」
頭が麻痺したまま、機械的に答える。
「イノマタアオバか。イノマタアオバはひどく驚いているようだが、ケンタウロスを知っていたな。それなのに、何故そんなに怯える? 私が恐いか? これでも傷付くぞ」
あっ……Gと同じ反応をされたんじゃ、確かに傷付くよな。
「あっ、ご、ごめん……なさい」
反射的に謝って、止まっていた思考が回り出す。
「あの……俺の事は、碧馬って呼んでください」
改めて全身を眺めて、威厳あるその姿に、無意識で敬語になってしまう。
「アオバか。分かった。番いなのだから、敬語は不要だ」
「あ、その……これって夢じゃないんです……夢じゃないのか?」
夢の中の人物かもしれない相手に訊くのは不毛だと思いつつ、訊いてしまう。
「夢ではない」
「えーっと……俺の居る世界では、ケンタウロスって、伝説の生き物なんだ。だから、ビックリしたって言うか……リュカ? 自体は、恐くないよ」
「ああ、リュカだ。そうか。良かった。驚かせてしまって、悪かったな」
一見冷たくも見える涼しげな目元が、優しく笑う。本能的に、この人(?)は悪い人じゃないって分かる。
だから、ちょっとだけ身を乗り出して、そうっと訊いてみた。
「でも……運命の相手って、何? 俺、これでも男なんだけど」
確かにオーバーサイズのセーターとか着たら、女と間違えられてナンパされた事が、二回ばかりあるけれど。
「アオバの居た世界では、そんなに性別にこだわるのか?」
逆に、不思議そうに訊かれてしまって、困る。首を傾げた時、さらりと白金の長い髪が彫刻のように引き締まった肩から零れ落ちて、綺麗だなんて思ってしまう。
ケンタウロスだという異形を除けば、新緑の目も、白金の髪も、浅黒い頬も、美しいと思える造形だった。
「えっと……俺の世界では、男は女と付き合うのが、普通なんだけど」
「では、男はみんなαか?」
「え? αって? 数学の?」
リュカと話してると、クエスチョンマークがどんどん増える。
「そうか。αを知らないのか。この世界では、オスメスに関係なく、αとΩが番う事になっている。世界は広いから、運命の相手に逢えずじまいの場合もあるが、αには必ず、運命のΩが一人居ると言われている。その運命の相手がお前だったのだ、アオバ。私の子を産んでくれ」
「えっ? 産む? だから俺、男だってば!」
「Ωは、オスメスに関わらず、身体の内に子宮を持っている。子供を産める身体なのだ」
何なに? 子供を産むって事は、つまり……。童貞の俺は、思わず火照ってしまう頬を手の甲で隠して、まくし立てた。
「ち、違うよ。俺、普通の男だよ! 大体、何で運命の相手って……」
「これだ」
だけどその疑問には、明確な答えが返ってきた。
褐色の右肩を左の人差し指が差し示す。そこには、馬の形のトライバルタトゥーが浮かび上がっていた。仄かに光って明滅し、やがて消える。
「お前は何処に現れるのか分からなかったが、ここだった」
左の人差し指がそのまま放物線を描いて、俺の左胸を差す。
「わっ」
暖かいから、気付かなかった。学生服の前が、はだけられている事に。
左胸の上には、リュカと同じデザインのトライバルタトゥーが、微かに光ってやっぱり消えた。慌ててシャツの前をかき合わせる。
「照れる事はない。いずれ番う、運命なのだから」
何と言ったら良いか分からず、酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせていたら、二メートルはある太い木の幹の陰から、にゅっと『それ』が現れた。
「ちょっと、リュカ! こんなトコに居たの!? 婚礼の最中に相手に逃げられたって、ボク陰口叩かれてんだけど!!」
「シュバウルか。大きな声を出すな。アオバが驚いている。お前との結婚は、百歳の誕生日までに運命のΩが現れなかったら、という条件付きだった」
「婚礼の血判を交わしたんだから、もうボクら夫婦だよ!!」
「だが、昨日まだ私は九十九歳だった。アオバを見付けたのだ」
二人のやり取りに目が点になってた俺は、『それ』がこちらを向いて、心臓をわし掴まれたような気分になってすくみ上がった。
「アンタが、婚礼の時に降ってきた、お邪魔虫!? アンタなんかに、負けないんだから!!」
ズシンズシンと地響きを立てて、黄金の羽毛に覆われた顔に繋がって、長い長い首と大きな……巨大な胴体が現れた。
想像した通りだった! ドラゴン!!
「……あ」
「アオバ!」
俺は生まれて初めて、気絶した。
* * *
顔中に柔らかく触れられる感触で、目が覚めた。
薄暗く、すぐには景色が分からない。見上げてみて、東京では見た事もないほどのまばゆい星明かりと二つ並んだ碧い月に、今度は逆に目が眩んだ。
「ん……?」
「気が付いたか。アオバ」
「リュカ?」
「ああ。お前、シュバウルを見て気絶したんだ。やはりお前の世界には、ドラゴンは居ないのか?」
「うん。ドラゴンも、伝説上の生き物……んっ」
唇にも、柔らかくタッチされる。目が慣れてきて、それがリュカの唇なのだと知って、熱を上げた。
「ちょ、リュカ!?」
「どうした?」
「キス、した!?」
「ああ。朝もした」
あっけらかんとリュカが答えて、俺は返す言葉をなくしてしまう。
「うっ……男、と……」
泣きそうに顔を歪ませると、ようやくリュカは思い当たったようだった。
「アオバ。ひょっとして、初めてか?」
「う」
「ああ、泣くなアオバ……おかしいな。確かに印は符合しているのに、発情しないとは」
「はっ、発情!?」
「アオバは、何歳だ?」
「じゅ、十七歳」
「そうか。では、まだ幼体なのかもしれないな。安心しろ。ちゃんと発情期がくるまで待つ」
待つって何を? そう問いかけて、愚問なのに気付いて黙り込む。急に黙ってしまった俺のくせっ毛の短髪を、リュカはただ優しく、撫でてくれた。
わけもなく、涙が零れる。その涙を、リュカの熱い舌が舐め取ってくれる。何だか、そうされると余計に涙が止まらなくなった。
「うっ……ひっく……」
「ああ……そんなに泣いては、瞼が腫れてしまう。待っていろ。ククの葉を取ってきてやる」
ククの葉が何なのかは分からなかったけど、俺の腫れた瞼につけるんだろうなっていうのは分かった。やっぱ、リュカって優しくて良い奴だ。
そう思うと不思議と、男だとか女だとか、人間だとかケンタウロスだとかいう線引きは、何だか馬鹿らしくなってくる。
産めるもんなら、産んでやりたい。リュカの子を。不意にそんな気持ちが、ふつふつとわき起こった。
「アオバ」
「リュカ?」
戻ってくるにはあまりにも速い気がして、言葉尻を上げる。
リュカは、逞しい蹄で駆け寄ってきて、前脚を跪かせた。と思ったら、逞しい二本の腕で、押し倒される。
「えっ!?」
「愛してる、アオバ。お前が欲しい」
そう耳元で囁くと、縦一文字に尖った爪が下ろされる。丈夫な筈の学生服は容易く裂けて、急に分身が夜気に晒される感覚に、ぞくりと背筋に電流が走った。
おかしい……こんなに急なの、嫌な筈なのに……息が上がる。身体の芯が痺れるような熱に支配される。苦しくて、切なくて、はくはくと吐息を零した。
「リュカ……こわ、い」
「恐がる事はない。愛してる。……ボクのアオバ」
「あ、あッ」
M字開脚させられて、恥ずかしい孔に指が一本、挿入(はい)ってくる。
理性の飛びかけた、快感に鈍る頭で、それでも何かおかしいと気が付いた。
……ん? 『ボク』?
「アオバ!!」
リュカの声がする。だだっ広い草原の向こうから。
俺を組み敷いている方のリュカが、チッと下品に舌打ちした。
「シュバウル! アオバから離れろ!!」
「やだね。リュカが、ボクとの婚姻を正式に認めるなら、やめてやってもいいよ」
「貴様……!!」
内部の指が、グリグリと回転した。
「アッ・ゃんっあ!」
「見なよ。リュカの運命のΩは、誰にでも脚を開く、淫乱なんだよ。汚れてる。こんな奴、リュカに相応しくないよ」
「あっ・ア・駄目・はぁぁああああんっ!!」
頭上のリュカが、歪に唇を歪めて仰け反った。
「あははははっ! おっかしいや。もうイっちゃったの? ねえリュカ、こいつホントに淫乱な女狐だよ。ボクに決めなよ……?」
硬く瞑っていた瞼を開くと、リュカの顔をした何かが、舌舐めずりをしてる。悪夢みたいな光景だった。
「……分かった」
「ふぇっ」
リュカ、リュカ……! 違うんだ、何だか身体が言う事をきかなくて……俺を捨てないで、リュカっ!
胸の内に言葉が渦巻くけれど、指を引き抜かれる喪失感に、変な声が出るだけだった。
俺から身を起こしたリュカが、あし毛のケンタウロスに変化(へんげ)する。いや、ユニコーン? 蹄の先から角の先まで真っ白な、夜闇の中にも輝く、一本角を持ったケンタウロスだった。
「リュカ、好きっ」
「ああ、シュバウル……お前は、美しいな」
間近で、リュカの手がそっとシュバウルの首筋に添えられ、唇が近付く。
そんな、嫌だ、リュカっ……!
俺は心が壊れてしまいそうな心臓の激痛に、自己防衛で瞼を瞑ってしまう。
「ぐが……ッ!」
だけど夜のしじまを震わせたのは、官能の吐息じゃなく、潰れたヒキガエルみたいな苦鳴だった。
目を開けて、驚く。リュカの身体からは、怒りのオーラが碧い光となって立ち上ってた。大きな両掌が、ぎりりとシュバウルの細い首を絞める。
「二度と、私とアオバに近付くな……女狐はお前だ、シュバウル。二度と姿を現さないと誓えば、命だけは助けてやる」
ヒューヒューと、締め上がった喉から空気の漏れる音がする。シュバウルは、必死にガクガクと首を縦に振った。
「ぐ……ガハッ」
リュカが手を離すと、見る見る内にシュバウルは膨れ上がって竜身に戻った。巨大な翼を羽ばたかせて、ほうほうのていで飛び去っていった。
「アオバ! 大丈夫か。すまなかった、そばを離れたりして」
「ううん。俺こそ……ごめ、ん」
「お前が謝る事は、何もない。お前は綺麗だ」
綺麗、と言われた時、下腹が熱を持った。
「っ……」
「アオバ。ひょっとして、発情期がきたか?」
「はつ、じょう?」
隠しようもなく勃ち上がっている俺の分身を、リュカが壊れものに触るように、そっと握った。
「ッア・駄目、それ……っ」
また、正体不明の涙が溢れ出す。そしてまた、リュカの熱い舌が舐め取ってくれた。
「アオバ。一目見た瞬間から、お前に心奪われていた。運命の番いなど、単に発情期が被っただけの欲望の対象だと思っていた。だが……お前が空から降ってきて、何の為に生まれてきたかが分かった。お前を、守る為だ。お前と、お前の産む子を、幸せにする為だ。愛している、アオバ。心から。欠ける事のない、太陽に誓う」
「ひゃ・あぁぁあああんっ!!」
扱かれてもいないのに、言葉だけで勝手に追い上げられて、俺はまたイった。奥の方が、物足りないと収縮する。
「あ・ヤ……変に、なるっ」
「なってもいいぞ。それが、発情期だ……っ」
リュカも、息が荒い。膝裏を抱え上げられ、ふとリュカの分身が目に入って、仰天する。
「えっ! そんなの、挿入らないっ」
馬並み、って言うけど、リュカのは賞味の『馬並み』だった。太く長く隆起して、俺の孔に宛がわれる。
「アッ・あ・やぁぁんっ」
「すまない、アオバ……我慢出来ない」
本当は俺も望んでるんだけど、口から出るのは、嫌だとか駄目だとか壊れちゃうとかで。リュカは、本当に辛抱強く、俺が許可するまで待ってくれたと思う。
「リュカ……もっ……イキ・たいっ」
「動いても、いいか?」
「ん、滅茶苦茶に、してッ」
途端、リュカは望みを叶えてくれた。抜かずに何度も、揺さぶられる。
「あっ・はん・イイっ、リュ・カっ!」
「アオバ……っ」
リュカが取ってきてくれたククの葉は、ちゃんと翌日、俺の瞼に貼られる事になるんだった。
* * *
一年後。俺は、すっかり覚えたククの葉を取っていた。木漏れ日の差す森の中で、屈んで緑の葉を摘み取る。
その時、ガサガサと下草を揺らして、何かが一目散に俺に向かって駆けてきた。いつもの事だったから、俺は笑って腕を広げる。
「まま、まーまっ」
「マッティア。棘の葉っぱで、切るなよ」
俺たちの欠片は、小さなケンタウロスの形をしていた。αの方が遺伝子的に優性だから、そうなるらしい。
俺は、嬉しそうに腕の中に飛び込んでくるマッティアを、きゅっと抱きとめた。
「アオバ。何をしている?」
でも今日は、白金の髪をなびかせたリュカもやってきて。そんな似た者親子な所に、ふふと笑む。
「ククの葉を取ってたんだ」
「何? という事は、今夜いいと言う事か?」
「ばっ……子供の前で、ナニ言ってんだよ、リュカ!」
真っ赤になって逆毛を立てる俺を見下ろして、リュカは笑う。
「あっ! リュカ、わざとだろ!」
「怒ったアオバも、可愛いからな」
上から逞しい腕が差し出されて、抱き締めようとする。だけど、腕の中のマッティアが身動いだ。
「まま、いじめたー! ぱぱ、だーめっ」
最近マッティアは俺にべったりで、リュカにヤキモチを妬いてる節がある。何処まで会話を理解してるんだろう、と改めて頬を淡く染めた。
「ああ、マッティア……悪かった。アオバを苛めた訳ではない。お前たちを、愛している。抱き締めて、いいか?」
腕の中のマッティアは、ちょっと難しい顔をして考えたあと、くるりと表情を変えてニッコリと笑顔を見せた。
「いいよー!」
「わっ」
てっきりマッティアを抱き締めるんだと思ってたら、横着にもリュカは、マッティアを抱いてる俺ごとふわりと抱き上げた。
「ちょ、リュカっ」
「いいだろう。マッティアも、嬉しそうだ」
確かに腕の中の小さな命は、あーとかうぇーとか、気持ちのいい声を上げて笑ってる。
不意に、俺もこの状況が愛しくなった。リュカが、俺とマッティアを幸せにするって、太陽に誓った事を思い出す。
「……そうだな。愛してる。リュカ」
「ああ、私もだ。アオバ」
「まーも!」
まだ自分の事を『まー』としか言えないマッティアも加わって、俺たちは顔を見合わせて微笑んだ。
リュカ。マッティア。太陽に誓った幸せは、確かにリュカの逞しい腕の中に、まるっと全部収まってた。
何だか心臓の辺りが、くすぐったい。ふふ。
End.
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