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「来日してまだ一週間ほどだが、鎖国の歴史があるせいか警戒心が非常に強いようだな。俺の姿を見て怯えるならまだしも、何故か塩をかけられた。あれはこの国の風習なのか?」
視線が今度は遼祐に向けられる。
毛に覆われた顔からは細かい表情は読み取れない。それでも不思議と嫌味ではない、子供のような好奇心を滲ませているように見えた。
「……場を清める意味で塩を撒くんです」
気分を害すかと思ったが、獣人は「キリスト教やカトリック教が使う聖水の代わりみたいなものなんだな」と言って納得したように頷いた。
「アジアは仏教が盛んだと聞く。聖水は使わないからだな」
一人で知識を整理する姿に、遼祐は少し拍子抜けした。獣人というぐらいだから、本能を重視すると思っていたが、意外にも知性的であることを知った。
不意に獣人が真顔になり尖った耳を動かす。視線を後ろに向けて、遠くをじっと見据えた。遼祐もつられるように視線を向ける。星と月のぼんやりとした明かりが照らす砂浜には、人の気配は感じられない。
誰もいないはずの場所から目を逸らすことなく、獣人は「仲間が呼んでる」とぽつりと言った。
遼祐はまだ他にも獣人がいるのかと肝が冷えたが、どんなに目を凝らしても視界に映るのは、青白い砂浜と黒い海だけだ。
「俺はルアン・グレース。三ヶ月ほど、滞在する予定だ」
突然名乗られて呆気に取られるも、お前はと目で訴えかけられ遼祐は、悩んだあげく天堂家の姓で名乗った。
「確か日本ではファーストネームが後だったな。それならリョウスケと呼ぼう」
それからルアンは何度か口の中でリョウスケと繰り返す。
自分の名前を何度も言われるのは気恥ずかしく、遼祐は居心地悪く足の先を見つめた。
「俺はもう戻らなきゃならない。また会おう。リョウスケ」
遼祐が顔を上げると、すでにルアンは背を向けていた。自分の腕二本分はあるのでは、と思うぐらいの尻尾が生えている。
立ち去る背を遼祐は呆然と見つめた。
突き返すことも出来ずに握りしめていた包みは、汗で少し湿り気を帯びていた。
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