1 / 1

第1話

雨が降っている日曜日だった。 日曜日は嫌いだ。だって明日になったら月曜日で、月曜日は学校に行かなければならない日だ。学生だった頃は毎週日曜日を恨んでいたしなんなら今でも夕方の国民的アニメが始まると胃がキリキリしてくる。アニメ悪くないのにね。 そんな根暗な子供だったおれは26歳にもなってこのざま。大人になったら痛みなんて感じなくなるのだと思っていた17歳のおれに教えてあげたい。痛いものは大人になっても痛いままだし男運の悪いゲイは男運の悪いゲイのままだ。 前世でなにかやったのか神様の気まぐれなのかおれはとても男運が悪い。運っていうかもう趣味が悪いのかもしれない。 確かに好きになる男はだいたい自称バイで女癖が悪くて平気で浮気する、とうかもしかしたら俺が浮気相手なのかもしれない。デートでは財布すら持ってこない癖にあれがほしいこれがほしいってハイブランドのショップに連れていかれる。未だに王冠と地球がモチーフになっているブランドを目にすると心が痛いしでもきゅんとしてしまうの本当にダメだと思う。女の子には出来ない手荒いえっちが出来てホイホイ金を出す都合のいい男がおれなんだろう。 それでもおれが好きになる人は優しい声でおれに甘えてくるイケメンで笑ったとき顔がくしゃっとなる表情なんて思いだしただけで涙が出る。あ、だめだ泣いちゃう本当に泣いちゃう。だってすごく好きなんだよなんだったらまだ好きなのに。 なのにもう飽きたって振られた。そりゃ今月ちょっとお金が厳しくていつもみたいにホイホイ貢げていたわけじゃなかった。でもそれぐらいで振られるとは思ってなかったんだ。 誕生日でもなければイベントでも記念日でもない日にブランドもののライターが欲しいと強請られて「来月じゃダメ?」って聞いただけで家を叩きだされるとは思ってなかった。 彼の子供みたいなところが好きだと友達に散々惚気ておいて、こんな子供みたいな理由で振られた。 付き合ってたら今日で1年になるはずだった。26年間生きててこんなに続いたことがなかったから運命だって頭がお花畑だったのだたぶん。 あー、神様がいくら俺をいじめても今日という日に雨を降らしてくれたことには感謝したい。これなら少しぐらい泣いたってバレないはずだ。もしかしたら気まぐれな神様もあまりにおれがみじめだから泣いてくれてたりしてるのかもしれないなんて頭の思考回路がショートし始めてる。 駅から彼氏の家まで片道20分。ご立派な車を持っていたのに一度も送り迎えしてくれたことはなかった。そのくせ終電ギリギリの時間まで一緒にいてほしいだなんて言って抱きしめられてそうなるともうあーなんでもいいやーだってこんなに幸せなんだもんー!って恋は盲目で全力の愛を注いでいた。 どっかでお金借りてでもプレゼントするべきだったかなぁ。いやでも知っている。別れる数週間前からあからさまに女物のピアスだとかブレスレットがベットの脇に落ちていたの見ちゃったしなんなら拾って彼氏のアクセサリー置き場にこっそりまとめといた。最初は片方だけのピアスが掃除したらもう片方も出てきたからそれもきちんと並べて置いといた。 おれに貢がせた香水を女にあげたっぽいのも知っている。彼氏の好みとは違う柑橘系とマリン系がまざったようなユニセックスな匂いのやつだった。彼氏の匂いはいつもくどいぐらい甘い。馬鹿だと思うしそろそろおれ自身が悪い気がしてくる。 ここまで考えないようにしていた自分も悪い。 でももう好きじゃないからって捨てられるのが怖くて、黙って見ないふりをしていた結果がこれだ。 いやまぁこんな重くてめんどくさくて生産性のない26歳のゲイより、ブランドもののキラキラしたピアスが似合う女の子の方がいいよねわかるわかる。いやおれはゲイだから女の子の良さはわかんないけど。 でも側に置いといてくれるだけで良かったんだよ。それですきすきだいすきあいしてるって嘘でもいいから囁いてくれればだいたいの我儘だって喜んできいちゃうバカだったのに。 二番目でもいい、なんて歌の中でしか言えないけど。 だって本当に言ったらもう人生そこでだめになっちゃうよねそれぐらいわかってる頭はあるんだよだってさお花畑にもう雨は降らないから。きっとこのまま枯れてしまうんだろう。 そんなからっぽのおれは通いなれた元彼の最寄り駅付近のカラオケにいた。 わざわざ。雨に打たれてまで。こうしてこの駅にいる。バッカだなそんなんだからだめな男ばっかり好きになるんだよバーカ!と友達なら詰ってくれるだろう。それは今日の夜にもう喉が枯れるまで歌った後にしてもらう予定だ。 今日記念日になるはずだったね。ストーカーかよ我ながら未練たらたらで笑えない。 言い訳をするなら前に来た時に当たった無料券をどうせなら使ってしまおうと思ったのだ。 そうしてもう二度とここには来ないようにしようそうしよう。 「フリータイム1人でお願いします」 前払いのお店だから会員カードとそのまま無料券を渡して、あーこのカードも今日が終わったら捨てようと決意した。嘘じゃないよ本当だよ。 マイクと部屋番号の書かれた伝票が入ったかごを受け取って、しかしそこにいつもは見ないタオルが詰め込まれていたのであれ、と店員さんの顔を見た。 「……余計なお世話かと思いましたが、風邪引いたらせっかくの良い声が勿体無い。お客様にはいつもご贔屓にして頂いてますし」 元彼はやたらとカラオケが好きだった。おれも歌うのは好きだからここにはしょっちゅう来ていた。それなりにべったりした距離感の男2人なんて覚えやすいのかもしれない。この店員さんはそうえいばよく顔を見ていた気がする。 「あーありがとう、ございます」 力なくでも笑顔を作れたような気がする。たぶん。今はどんな優しさも心に染みる。染みすぎて正直痛い。ほらまた泣きそうになる。 しかし流石にいい歳した男がカラオケのカウンターで泣きだすわけにもいかないのでさっさと部屋へ向かうことにした。歌って歌って歌いまくってすっきりしようそうしよう。 部屋に入って借りたタオルで頭を拭いた。ついでにそのまま顔を埋めて少し泣いた。 そのまま暫く泣いて、そのあとタッチパネルでコーラを注文して曲を入れた。 一番最初に歌う歌はいつも決まっていた。いちばん声が出しやすいおれの歌。 十八番とかそういう意味じゃなくて文字通りおれが作った歌。 おれは今でこそ会社勤めだけれど23歳までバンドでボーカルをしていた。すごく有名だったかと問われればまあコアなファンの方々に支えられておりまして以下省略だけれどそれでもカラオケには2曲ほど入っているからだめな大人であることを自覚しているおれが人生で唯一誇れることだ。 ステージの上に立つたびもう死んじゃってもいいやって思っていた。それぐらい好きだったし生きている意味だった。 だから歌わなくなったら死ぬんじゃないかってメンバーや周りの人間には揶揄われていたしおれ自身も歌わなくなったら死ぬものだと思っていた。酸素を吸って生きているのと同じぐらい歌うことが生命維持で必要な人間もいるんだ。 けれどバンドは解散して、一人になった今でもおれは生きている。 もうステージの上に立って歌うことなんて、たぶん、きっと、ないのにね。 だったら生きてる、というのは不適切かもしれない。体は健康そのものだけど心はステージの上に捨ててきてしまったから。空っぽになったおれは酸素を吸うことのできるだけの死体だ。 ……だから誰も愛してくれないのかなぁ。ああだめだ思考がポエミーになる。可哀想な自分に酔ってしまう。もういくら酔っても曲を作る糧にはならないのに。そもそも元彼との思い出を曲にするなんてもう古典文学だ。やめよう。 流れ出したイントロに涙腺がまた緩む。けれど涙を流すんじゃなくて代わりに声を張り上げた。我ながら綺麗な曲を作ったもんだと思う。作詞作曲編曲、歌うのも勿論好きだが曲を作ること自体が好きで全部一人でやらせてもらっていた。そういえばこの曲を一番良くライブで歌った気がする。たのしかったなぁ。まだ誰かにあいされているのだろうか。 おれのことは忘れていいから、この曲は誰かに愛されていてほしい。 歌い終わったところでタイミングよく、よすぎるぐらいによくノックされた。 もしかしたらドアの前で待っていてくれたのかもしれない。いつも二人で来ていた男が雨に濡れて一人で来たから、色々察してくれたのかなやばいおれすごい迷惑じゃん馬鹿みたいじゃんみたいな自意識過剰が頭を一瞬だけ駆け巡った。 「失礼します、コーラになります」 ドリンクを運んできたのはあのカウンターのお兄さんだった。 よく見ると男にしては長い黒髪にインナーカラーで青色が入っているのが見えた。 ピアスもジャラジャラついていてバンドをやっていたころの自分みたいだと少し親近感がわいた。 「ありがとうございます。あ、タオルも、すみません。お返しします。助かりました。」 ふと思い出して慌ててタオルを返した。いや帰り際でも良かったのかもしれないけれどお兄さんたぶん大学生ぐらいだしおそらくアルバイトだ。そうするとおれが帰るころにはもういない可能性もある。お兄さんに直接お礼が言いたかった。 「……ああ、いえ。完全にお節介でしたし。それよりあの、大変不躾なんですけど…あー…ずっと聞きたくてでもいつもお連れ様いたしどうかなーとか思っててでも俺今日でこの店辞めるしそしたらお兄さんお一人で来店されてすごいラッキーていうかなんていうか、あー、単刀直入ですみませんもしかしなくても「jeep」のシキさん?」 無気力そうな表情は変わらないのに声は少しうわずって聞こえた。 「え、あ、じーぷ…えっ?あ、はい。シキです……あー……やばいすごいはずかしい…己の曲をわざわざカラオケで歌う元バンドマン……なさけない…いやまさか知ってる人がいるとはあんまり思ってなかったんです…なんかすみません…」 「いやこちらこそすみません、あー…俺jeepのファンで、ライブも通ってました。シキさんの曲大好きで、今バンド始めたのも完全にjeepの影響で、えーと、あー、色々言いたいことあったのに、頭真っ白だ。すみません、声かけると迷惑かなって思ったんですけどたぶんもう伝える機会無いなって思ったらつい。えーと、シキさん、相変わらずすごいですね、ずっと俺の憧れです。あの、良かったら食べ物とかなんか適当に注文してください。俺が払うんで。お詫びです。」 無表情のお兄さんは矢継ぎ早にそう言って脱兎のごとく出ていった。 ドアがパタンと閉まる。ここのドアは中途半端に薄くて外のがやがやとした音はぼんやり入ってくる。 ……なんか、すごいことを言われた気がする。26歳ゲイが約1年付き合った男に振られてやけになってカラオケにきたらファンだという青年に出会った。もうこれだけでやばい。 高揚感が遅れてじわじわと頬を染めてきた。 久しぶりの観客は一人きりでしかもドア越し。ろくでもないステージで笑ってしまう。 純粋におれの曲が好きな子。おれのバンドの影響でバンドを始めて?おれが憧れ?すごい!すごい嬉しい! もちろん失恋のかなしさが帳消しになるわけではないしおれがだめな大人なのがいきなりまともになるわけではないのだけど、それでも心がコトコト沸騰しそうになった。 だって、おれの曲は愛してもらっている。 それだけで世界が少し輝いてみえた。 まぁ、今日ぐらいはいいんじゃないのって自分に甘い俺は浮かれ気味にタッチパネルでポテトを頼んだ。 もちろん、おれの曲を好きだと言ってくれた青年にドア越しではない声を届けるために。 あんな中途半端な声で満足されたらおれが悔しいからだ。

ともだちにシェアしよう!