16 / 16
◆エピローグ
クソみたいに寒いエントランスにカタカタした音が響いた。
『詐欺! かよッ!』
うるせー声から耳を守るようにのけぞった俺は、生憎と日本語に堪能じゃない。たまに対戦してる時にチリが興奮して日本語で罵ってくるけど、相変わらずカタカタした言葉だなーと思うだけで一向に覚えられない。
俺が知っている日本語と言えば何年経っても『オカエリ』と『タダイマ』くらいなもんだったから、耳を押さえた手をどけて腹立つ感じに両手を開いて見せた。
「ニホンゴワカリマセーン。イングリッシュプリーズ」
「はっらたつ顔はほんといつも通りのアンタなのが余計腹立つわぁ……何だよマジで詐欺じゃん? チャックめっちゃ身長あんじゃん? つかどう見てもイケメンじゃんなんでやればできるのに手抜いて引きこもってたんだよ」
「ガラスのハートなんだっつの、トラウマと涙飲み込んで超絶努力して這いずって飛行機乗って来たんだっつの、もっと優しく受け入れろジャパニーズ」
「ハーフだっつってんだブリティッシュ」
散々見てきた画面と同じように顔を歪める小柄な女は、タイトスカートにタイツにセーターっていう珍しい格好をしていた。リズカの鉄壁の外面バージョンを初めて生で見た俺は、思ってたよりかわいーじゃんなんて素直に口から零してまた怒鳴られた。俺は相変わらず口が悪い。良くも悪くもデリカシーがない。チリに言われるくらいだから相当だ。
「つかユージンどこよ。俺今会わないとあいつに一生会わないと思うんだけど。あとミスターピーチ」
「ユージンは外でフランシスの介護。フランシスだめだわ表舞台に向いてないわ。緊張で吐いてるの見た。クソ駄目だと思った。うちの企業サブリーダーとか居ないからもう最悪アンタがスピーチしてよろしくイケメンひきこもりブリティッシュ。あとミスターピーチはアンタの後ろ」
「……ミスターピーチって呼ぶのやめてもらえるー?」
「あ、ミスターピーチお疲れ」
「ミスターピーチ今日はちゃんとたどり着けた?」
「やめてってば」
苦笑いで手を振る長身の美人は、ヘクセンハウスの営業頭ことイーサン・テイラーだ。俺はコイツにも勿論生で会った事ない。思っていたよりでかい。多分俺も同じこと思われているだろうけど。
ちなみにミスターピーチという名前の元ネタはと、あるゲームのヒロインだ。日本のゲームに無駄に詳しい俺と、まあ普通に日本に住んでいるリズカは、当たり前のようにマリオって奴を知っている。
この数年やたらと災害にぶち当たり、笑える事にやたらと定期的に拉致監禁されるこのオーストラリア人の事を、俺とリズカは愛を持ってピーチ姫野郎と呼んでいるわけだ。攫われすぎだろイーサン。本人がけろっとした顔で戻ってくるからいいけど、ほんと一々心配している俺達にもっと真剣に謝ってもいいと思う。
なんでこんな定期的に拉致されんだよと結構真面目に疑問だった。が、リアルに会って初めてこの男の目鼻立ちのバランスが絶妙で、なんかこう妙に視線をもっていく美人だという事を知った。
そりゃ拉致られるし監禁される。イーサンは相変わらず世界各国飛び回ってるから、きっと今後もピーチ姫よろしく拉致監禁されまくるんだろう。ご愁傷さまだ。とりあえず命だけ死守してほしい。わりと心配するからマジで。
ミスターピーチことイーサンは、気安く俺の肩を叩いてからさらりと手を差し出して来た。
「やぁ、生身では初めましてチャック。いつも顔は見てるから初めましてって感じしないね。リズカも久しぶり」
「あーいつぶり? 日本に来た時ぶり……いや違う香港で会った気がする。ユージン連れてった時。でも確かにイーサンもアメリカも久しぶりだわ。シアトルかシリコンバレー以外に来ることなんかないと思ってたよ。テキサスって何が有名なの? スペアリブ?」
「カウボーイとかじゃない? 知らないけど。一番有名なのはぼくたちが立ってる場所だと思うよリズーニャ」
「可愛い名前で呼ぶなピーチ野郎」
「なんできみはぼくの事嫌いなの?」
「嫌いじゃないけど半径一メートルに近寄ってほしくない奴っているっしょ? そう言う事だよピーチ野郎」
「良かったな嫌われてないってよピーチ野郎」
「きみたちが仲良しでぼくは嬉しいし悲しいよ。というわけで雑談はここまで。教授に挨拶に行くよリズカ」
「え。あたし? チャックは? チャックじゃダメなの?」
「俺もうこの前飯食ったもんあの辺のメンツと。おらさっさと行けリズカ。今晩どうせ暇だろ、終わったらゲームしようぜ。俺スマブラ持ってきてる」
「うおーまじで? やるやる。じゃあサクッと行ってくるわ。あー会見一時間後? まあそれまでにはフランシスも生き返ってるでしょたぶん、って希望は捨てない方向で祈っとくわ。じゃあまた後で。……イーサンあたしSETIとかMETIとかよくわかってねーけどいける?」
「いけるいける。ぼくたちの相手は宇宙の新しい生物じゃなくて相変わらずごちゃごちゃした英数字のコードだからね」
うだうだと会話しつつ二人はエントランスホールの奥に遠ざかって行った。さてここは何処だって話をし忘れていた。ここはイギリスでもなければ、リトル・ヒューストンでもない。俺がきっちりスーツをわざわざ着込んで立っているのはアメリカテキサス州の中心部。リトルじゃない、本物のヒューストンだ。
これからグレンジャー・グループ率いる新しいSETIのプロジェクトが始まる。去年のMETIプロジェクトの経験を経て、ミス・グレンジャーの挑戦は更に飛躍する、らしい。結構いろんな国を巻き込んだ、民間主体のでっかいプロジェクトに、我がヘクセンハウスは正式にメンバーとして招かれた。
金がもらえるならば何でもやる。宇宙との交信だろうがなんでもこなす、それがヘクセンハウスだから。ノルが三日三晩頼み込んできたから仕方なくフランシスにつないでやったことなど、もう忘れた事とする。
そのノルはさっき俺を見て綺麗に二度見してきやがったけど。あいつは相変わらずリトル・ヒューストンの外に出た俺に慣れない。
ちらっと覗いたミーティングルームは人間で溢れていて眩暈がしそうだった。時間ギリギリまで人もまばらなエントランスでふらふらしているつもりだったが、ふと思い立って携帯を取り出す。
時差の計算も面倒で、特別何も考えずにメッセージを送る。
ヒューストンなう、というメッセに対し二秒後に電話が鳴る。相変わらず行動が早い男で笑える。絶対昼間じゃないだろUAE。なんなら夜中じゃねーのと思うけど、まあ就業時間中じゃないならいっかと思う。
三年経ってもアブダビの秘書は真面目で、仕事中はほとんど連絡が取れない。でもその分十五時以降のあいつはどっかにネジでも落としてきたんじゃねーの? ぶっこわれてんじゃねーの? ってくらいくそあまい。
ラティーフの旦那も相変わらずノルを甘やかしてるけど、俺だって大概甘やかされていると思うからあんまりノルを揶揄えない。
「……電話早い」
嬉しい癖にそんな生意気な事を言う俺に対して、アイルランド人の秘書はいつものようにさらっとした声で滔々と、馬鹿みたいな速さで言葉を連ねる。
『貴方がどうでもいいような緊急ではない内容のメッセージを寄越して来た時は、九割の確率で無駄話を所望している、というのが私の経験則です。フライトは問題なかったようですねチャールズ。先ほどノルから、チャックなうというメッセが私の主に届いておりましたよ。貴方たちは本当に似ていて微笑ましい限りです』
「情報量多い。俺にも喋らせろよ……」
『浮かれておりますので。明日はノルと共にこちらにおいででしょう?』
「あーうん、たぶんうまく行けば夜前に着く……まあ、重大な事故とかとんでもないアクシデントとかなければね。あと俺が人とマスコミに圧倒されて倒れたりしなければ」
『会見の場に出るのはフランシスだと伺っておりましたが』
「ピンチヒッターになるかも。フランシスが緊張でダウンだってさ。あいつほんと表舞台に向いてねーよいや俺も向いてねーけど……。つーわけで、もしかしたらそこそこの人間に視線にさらされなきゃいけなくなるかもしんない俺に、激励の言葉ちょーだい」
『……これは、あー……愛している、等の言葉を連ねる場面ですか?』
「いや別にそこまでべたべたに甘くなくていーよ。あー。なんつーか、えーと。いつものアンタで良い。ちょっと不安になって来ただけだから」
それならば、と言い置いて、アブダビの男はふと息を零す。笑ったわけではないだろうに、甘い息を吐くのがうまい男で困る。
『貴方は何でもできる、とは言い難い不器用な方ですが、ひとたび息を吸いこみ腹を決めればいくらでも完璧になれる。チャールズ・ヘンストリッジは天才です。……大丈夫とは易々と保証できませんが、もしヒューストンの真ん中で倒れるような事があれば、私はすぐにでもテキサス行の飛行機に飛び乗ることでしょう。倒れた後の事はお任せください。ですので、倒れても問題ないと思ってご健闘なさい』
なるほど、その激励は酷くその男らしく、俺はうははと声を出して笑ってしまった。
「イーハ相変わらず固くて好きだよ。あー……がんばる。明日めっちゃ労って」
『いくらでも、貴方が望むだけ。ですが無理はしないように。砂漠の国からヒューストンに向けて、私は祈る事にいたします』
「……なんか今日やったら情緒的じゃない? そんなラティーフみたいな言い方してさ」
『私とてたまにはノスタルジックに恋人に語り掛けたくもなります。明日が楽しみなただの我慢ならない男のたわごとですよ。存分にお気をつけて、どうぞ五体満足でアブダビにお越しください』
お待ちしておりますと囁くイーハの声は甘く、耳がくすぐったい。
また連絡するからとさっさと通話を切った後も、しばらくはその場から動けないくらい俺は浮かれていて、最悪な事に背後に迫ったリズカに全く気が付けなかった。
「――なんだ彼女か彼女いるのかイケメン野郎」
「う、わ!? なん、だよ挨拶に行ったんじゃないのかよ……」
「イーサンが捕まったから逃げてきた。てかあたしもアレやりたいと思って」
「アレ?」
「うん、アレ。――ハジメマシテ、チャールズ・ヘンストリッジ」
にやにやしながら手を差し出す小柄な女の顔は、いつもの画面向こうで悪態つく女と同じ顔をしていたけど。確かに生身だとハジメマシテだわ、と笑って、俺はその手をバシッと叩いておなじみのハンドサインをかました。
「初めまして、エリザヴェータ・サクラバ。まあ、あー……これからもよろしく」
「本名で呼ぶなっつのよろしくチャック。んじゃ行くぞほら」
「リズカそっち外じゃね?」
「フランシス回収しないと始まんないの。んでチャック、さっきのでろっとした甘い声垂れ流しの電話の相手誰よ」
「……石油王の秘書」
「せき…………は? 何それ新しいスラング?」
「俺のフラットのスラングみたいなもん」
うはは、と笑う。あんたの笑い声耳に痛いから嫌だなんてリズカに言われて、あーそれよく俺がチリに言ってるなーと気が付いてなんかこう、よくわかんないけどリトル・ヒューストンが急に恋しくなった。
いつまでもあのフラットで変わらず生活できるとは思ってはいない。けど、もうしばらくはみんな一緒に過ごしてくれる筈だ。
それぞれが別の道に進む時、俺は何してんだろうな。もしかしたら石油王の秘書に泣きついて、あの熱い街に住みこんじゃうかもしれない。未来はまだよくわからない。でも、どんな道に進んでもなんとなく、あのしれっとした顔の秘書は俺の手を取って傅いてそう、と思えるから不思議だった。
リトル・ヒューストンは俺の世界全てだった。
でも今は、リトル・ヒューストンが俺の帰る場所だ。
……やっぱり砂漠は暑いし、イーハがリトル・ヒューストンに越して来た方がいいに決まってる。それにはまずラティーフがアブダビよりもイギリスを愛するようにならないと駄目だろう。まずはノルをけしかける事を考えつつ、俺はヒューストンの風を切った。
end
ともだちにシェアしよう!