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第37話 赤い跡
真っ直ぐに僕を見ながら、真っ直ぐに成田さんが「好きだ」と言った。
そしたら、その言葉と一緒に白くなった吐息がふわりと広がる。彼の言った言葉が白く僕の前の広がって、しばらく漂っていた。
「好きな人いますよね?」
「っ」
目は正直だ。正直すぎて、胸が痛くなる。
「その、好きな人」
「成田さん……」
「けど、彼はまだ」
「成田さんっ!」
成田さんの視線も、僕の視線も、痛くて。
「そんな痛そうな顔して、恋愛すんの、俺は」
「っ」
「俺だったなら、性別のことは、あるかもしんないけど、でもっ、歳の差とかないし、なにより……そんな顔しないでいいんすよ?」
痛くて、苦しい。
「もう、高校卒業すんでしょ?」
「!」
「そんで片道二時間かかるとこに通うって。けど、通わず、向こうにワンルームとかで住まわせてみたらわかりますよ。二年の間で、いや、あっという間に冷めますって」
話したっけ。専門学校に行くって。その後、うちで仕事するって言った。
「しちゃいけないことって楽しいじゃないですか。若いんなら特にそうじゃないすか。テンション上がってて、今は盛り上がってるけど、でも、それだけだって」
離れたら、きっと佐野さんだけじゃなくて女の子と知り合う機会なんてたくさんあるだろう。佐野さんみたいに控えめな子ばかりじゃない。積極的な子だって。
「離れれば、熱は冷めます」
世界が広がって、出会いが増えて、そしたらもっとたくさん。
「酷なことを言うようですけど、今、彼は貴方にしか頼れないでしょ? 親代わりに育ててくれて、学校だって進路だって、ちゃんと考えてくれて。貴方しか、それが恋愛感情に似ちゃってるだけ」
十六歳年上の男なんて、きっとどうでもよくなる。
「離れて冷静になれば」
「わかってます。高校生にとっては楽しい火遊びみたいなもの。ダメって言われれば余計に盛り上がる」
もっと楽で、もっと自由に。
「依存と恋愛を間違えてる」
「……相馬さん」
「郁を大事に思うのなら、好きになっちゃいけない」
「……」
「そんなのわかってます。どれもこれも、わかってます」
十八歳の郁と三十四歳の僕、未来がさ、全然違うんだ。まだこれからがたくさんある郁と僕じゃ。
「わかってても、好きなんです」
泣くまいと思った。考えるまいと、思った。郁の手を取った時からそう決めてた。
「ダメなの、わかってるけど、それでも、郁がいい」
「相馬さん」
「郁じゃなきゃ、やなんです」
考えたよ。泣きたくなるよ。しんどいよ。
「俺なら泣かせない」
「っ」
「俺なら、そんな不安な顔させない。苦しそうな顔なんて絶対にさせない。そんな悲しそうな声なんて」
「っ、っ」
「俺ならっ!」
成田さんだったら、楽だっただろう。男同士ってことを隠しながら、でも、目が溶けそうなほど泣くことも、泣いてるのに、喉のとこ潰してしまいたいほど声を我慢することもない。不安に胸のところを掻き毟りたくなることだってない。きっと、ずっと、楽だ。
「俺なら、貴方のことっ!」
「それでも僕はっ」
「文は俺のだ」
僕は郁が、いい。
「この人は俺のだ」
「郁っ」
手を掴んでくれた。手首のとこ、ぎゅって。
「あんただけじゃない。誰にも文のこと、やるつもりないから」
「君は」
「知ってるよ。あんたなんかに言われなくてもわかってる」
痛いよ。そんなに掴んだら、痛いってば。ねぇ、郁。
「帰るよ。文」
「郁っ」
「文がお世話になりました。また、是非、今後も宜しくお願いします。来年からは俺がやり取りさせていただくと思うんで」
切なさに苦しくなる胸のとこの痛みなんて、どうでもよくなるくらいに痛くて、痛くて。
「失礼します」
痛くて、涙が止まった。
「郁!」
「……」
「郁ってば!」
手を掴んだまま、返事もしない郁に引っ張られてた。駅からうちまで黙ってる郁の背中をただ見つめて。
「郁っ!」
「ご近所迷惑」
「だって、いっ」
郁が何も返事をしなからじゃないか。ようやく郁が口をきいてくれたのは、うちに辿り着いてからだった。
「あの人、やっぱ文のこと狙ってた」
「郁っ」
「怒ってる。今日子ども会じゃなかった? なんで、あいつとデートみたいなことになってんの?」
「なっデートなんかじゃない。クリスマス会の後少し寄って晩御飯を食べてただけのことだ。そんなこと言うなら、郁は? 郁は佐野さんがいたでしょ? 可愛いデートみたいな格好をした彼女とボウリングしてカラオケして、夕飯食べて。どっちがデート?」
そう、どっちがデートらしい?
僕が郁と出かけるのと、郁が彼女と出かけるの。どっちがデートって思われると思う?
答えなんて誰に聞かなくてもわかる。郁と彼女だ。すんなりとそのまま、見たままが「デート」に見えるだろう。
でも、そんなの承知の上で、郁も僕も、今こうして手を繋いだ。
キスをした。
誰にも言えなくても、辛くても、きつくても、それでも郁を選んだ。
郁は僕を選んでくれた。
僕らが決めたんだ。僕らは、僕らを恋人と思い合えればそれでいいって。そうしたのに。
不安になる。成田さんの言葉に涙が零れる。
「郁、抱いてよ」
不安に、胸を掻き毟りたくなる。
「抱いて……」
身体を繋げたら、こんな気持ちにならないで済むのかな。郁と繋がったら、そしたら、この不安は消える?
「ねぇ、郁っ、も、いいよ。抱いて」
胸を不安の色で塗り潰されることもなくなる?
「郁っ」
「……抱かない」
「!」
「まだ、抱かない」
身体を繋げてしまえば――。
「なっ、なんでっ」
ほら、その一言だけで、たったそれだけでこんなに怖くなるのが、繋げただけでなくなるなら、もういっそのこと。
「さっき、言ったじゃん」
「……」
「あの人にも誰にもやらないって。あいつが言いたいこともわかってる」
どうせ今だけ盛り上がってる。禁じられた恋愛が楽しいだけ。忘れる。今だけ。すぐに、冷静になる。のぼせてるだけ。
「だから、今は抱かない。今だけじゃない。この状況を楽しんでるわけでもない。一時のことなんかじゃない。だから、今はしないよ」
「っ」
「文のこと、好きだから」
「っ」
「泣かないで……」
零した涙を郁の唇が拭ってくれた。
「好きだよ」
「っ……ん」
そして、唇が重なった。ふわりと触れて、涙で濡れた唇が深くしっかりと重なって、そしてあったかかった。
「郁」
「つか、俺、怒ってるんだかんな。あいつが狙ってたの知ってたし。マジでムカつく。けど、一個だけ……」
キスを止めて逃げられないようにってうなじのところを掌が掴んでくれてた。
「一個だけ、嬉しかった」
「……」
「文のこと好きだって、初めて誰かに言えたから」
「……」
佐野さんが郁を本当に好きだった。大事に思ってて、郁のことをすごく心配してた。僕は不安で潰れそうだった。胸のところ、苦しくて切なかったのに。
「それだけ、めっちゃ嬉しい」
君の笑顔ひとつで、胸のところに広がるんだ。たまらなく優しくてあったかい幸福感が。
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