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愛は惜しみなく奪う(4)

 しかし、作成できた転移のマジックアイテムは転移先を事前に設定する必要があった。  そのため、マジックアイテムには仕方なくこの森を仮登録した、ということらしい。 「ここまでで質問は?」 「あの」 「はい、透くん」  詩絵里の口調はなんだか学校の先生のようである。  いや、彼女はもともと本職だった。  このタイミングで訊ねていいものかどうか一瞬迷ったが、二人にとっては常識だろうことが自分にとって常識でないことは山ほどある。  恥を忍んで、口を開く。 「……回復魔法って、ほんとに、ないんですか」 「ないわ。冒険者の傷の治癒については、ポーションでまかなわれているわね。あとは事前に装備しておくことで損傷を復元してくれるアーティファクトくらいかしら。国にひとつあればいいかどうかっていう貴重品だけど」  そんなものを冒険者が常備できるはずがない。  転生者ならその限りでもないだろうが、転生者基準を考えるのはまずこの世界の常識や平均的なレベルを知ってからだ。 「ポーションもポーションで、効き目はすごい薄いのよ。数値でいうとHP60の人が30のダメージを受けて、中級ポーションを使って回復できるのは15なの。下級だと7か8くらいしか回復しないわ。しかも連続して服用すると回復量が下がっていくクソ仕様」  単純計算だが、おおまかには中級25%回復、下級12%回復……という計算方法だろうか。  回復量が下がっていくということは、例の通りの被ダメージでも中級2本で完全回復できるわけではなさそうだ。  パーセンテージの減少率はどれくらいになるんだろう。 「一応、上級は50%なんだけど、作れる薬師は人間国宝レベルで敬われてるわ。流通量がどれくらいなのかは推して知るべしね」  冒険者が実用するにはこちらもちょっと現実的ではない、と。  魔法の存在するファンタジーな異世界ゆえに、当然のように回復魔法も存在するものだと思っていたが、想像以上にシビアだ。  これまではウィルの転移や勝宏に庇ってもらっていたが、迂闊に怪我なんてできない。  ひとまず基礎的な情報は得られたので、ありがとうございますと返しておく。  かなり小声になってしまったが、頷いた詩絵里にはちゃんと聞き取れたようだ。 「じゃあ次はさっきの男についてね。……あいつは「相手のスキルを編集する能力」を持っていたの」  森の外を目指して歩きながら、詩絵里が次の話に移る。  告げられた一言の衝撃が大きい。  息を呑む透の隣で、勝宏が小首をかしげた。 「私の解析じゃ、スキルの成長率や熟練度までは分からないわ。でも、熟練度が高ければ間違いなく、相手のスキルを削除ないし無力化できてしまうような能力よ」 「うへえ……厄介なスキルだな」  スキルを削除、という言葉でようやく、勝宏が遅れて話を理解したらしい。 「削除可能なのがメインスキルなのか、サブスキルなのかはごめん、分からなかった。でも、どちらにせよ――あいつに真正面から戦いを挑むのは無謀ね」  通常なら撤退するにしてもぎりぎりまでその場に留まって情報を得ようとする性格だろう詩絵里が、ああまで取るものも取り敢えずの様相を見せたのも納得だ。  ……あの場に残さざるをえなかった哲司はどうなったろうか。 「哲司さんは……大丈夫かな」 「……やなやつだったけど、だからって死んでいいわけじゃないし……後味悪いよな」 「君たち、詐欺師のことまで心配しちゃうのね……いやいいんだけど……」  透の呟きに勝宏も同調する。  肩を竦めた詩絵里が、さて、と話を仕切りなおした。 「あの商人さんが消滅してるにしろ生きてるにしろ、今の私たちにはどうしようもないことよ。それより透くん、そろそろ君の事情も話してほしいんだけど」  ……来た。  哲司によってカミングアウトされてしまった件だ。 「ああ、透が転生者じゃなかったってやつ? ……でも、転生特典のチートじゃなきゃどうやって転移スキルを手に入れたんだって話だろ?」  騙してきたつもりはなかったが、透のコミュ力の問題でなかなか言い出せずにいた。  その結果、勝宏は無意味なレベル上げに付き合わされ、透に足並みを揃えることを余儀なくされている。  打ち明けられなかったことで少なからず彼に迷惑がかかっているのだ。  自分のことだけを考えるなら、何も話さずに今すぐウィルに頼んでこの場から逃げてしまう手もある。  けれど、それは明らかな裏切りだ。  どうせ嫌われる可能性があるなら、せめて誠実でありたい。 「……哲司さんの話は、本当です」 「やっぱりね。転移スキルの仕様がどうにも私の知ってる情報と噛み合わないから、おかしいと思ったのよ」 「あの、俺の転移については、その、何から話せばいいか……、勝宏や詩絵里さんが会ったような、神様に、もらったスキルじゃないんです」 「別口ってこと? つまり透くんは、別に日本で死んでここに来たってわけじゃないんでしょ?」 「はい、えっと、知り合いに、精霊……みたいな子がいて、その子と雑談していたら、異世界の話になって、その……、た、試しに観光に行くか、みたいな……感じで……」  生きるか死ぬかのゲームをさせられている彼らを前に、観光気分でここへ訪れたなど失礼極まりない経緯を打ち明けなければならないのはなかなか寿命が縮まる行為である。  いつでも謝る準備をしていよう。  喉元までごめんなさいが出掛かっていたところに、勝宏がぽつりと呟いた。 「そっか……あの時、俺の勘違いで、透をこの世界に引き留めちまったんだ」  転生者ゲームに関係ないなら、日本にいた方が安全に決まってるよな。  言って、勝宏が先に「ごめん」と頭を下げてくる。  違う。  謝らなければならないのは自分の方だ。  確かに最初はぐいぐい詰めてくる勝宏のことを少し怖いと思っていたけれど、それ以上に、他人とこんなに近い距離感で接することができたのが久しぶりで。  出来る限り早く誤解をといて別れるべきだったのに、一緒にいるのが楽しくて、彼の負担になると分かっていながらずるずるとここまできてしまった。 「あの」 「ん?」  勝宏は、やっぱり、俺がいない方が、いいよね。  口をついて出そうになった言葉を理性で呑みこむ。  そんなことを言われても、優しい彼が返答に困るだけだ。 「ううん、なんでもない。黙ってて、ごめん。……こんなこと言うの、勝手かもしれないけど、……俺、その、勝宏と、一緒にいるの……楽しかった」  その場に立ち止まる。  もう自分には、彼らに同行する理由がない。  別れを告げて、ウィルと一緒に日本に戻るのだ。  楽しい旅だったじゃないか。  作りっぱなしのカレーが鍋いっぱいに三人分あったなあ、とこんな時に思い出してしまって泣きたくなった。 「透」  少しだけ先に行ってしまった勝宏が、足を止めてこちらに戻ってくる。 「まだ、帰んないで」  彼の手が頬に伸びてくる。  何を言われるか、覚悟して目を閉じたのに、断罪の言葉はいつまでも来なかった。 「危険な目に遭わせるかもしれないし、俺、透のピンチに間に合わないことの方が多かったけど」  頬に触れた手のひらが熱い。 「次からは、なにがなんでも間に合わせる。透と一緒にいたい。だからもう少しだけ……俺に、ついてきてくれないかな」  彼と一緒にいることを、その旅路に加わること。  彼と一緒にいて楽しいと思ってしまったこと。  それらすべてがこんなにあっさり赦される。  あまりにも自分に都合のいい話すぎて、透はその言葉をしばらく咀嚼できないでいた。 ---------- 「……あの、詩絵里さん? さっきから何してるんですか、木陰に隠れて……」 「いやあ、こういう場面ではね、淑女はね、迅速かつ確実そしてていねいに、モブとして背景に同化しなければならないものなのよ」 「は、はあ……」

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