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美しい人魚だと思っていたら本体は下半身の巨大な口腔だったみたいな話(3)
まさかこの中にはいないですよね? と、ルイーザがおそるおそる勝宏に尋ねる。
彼が答えあぐねているところに、詩絵里が割り入った。
「私から話振っちゃってなんだけど、それに関してはまた後にしましょ。こいつら警備隊の詰所まで連行ね」
廃教会とその地下を根城にしていた誘拐犯連中の数は、取り逃しがあってなお、これだけで学校の教室がひとつ埋まるんじゃないかというほどの人数である。
ウィルは斥候兼案内役を買って出ただけだろうし、女性メンバーでこの人数を相手に戦ったのかと思うとうすら寒さを覚える。
詰所でどうにかできる人数ではないが、そこから先は警備に関わったことのない自分たちの介入できる問題でもない。
「警備隊は俺が呼んできてやる」
これから修学旅行のような人数を連れて街中を歩くのか、と思っていた矢先、若干不機嫌そうなウィルが名乗りを上げた。
「本当? それは助かるわ。酷い格好の透くんに付き添いたいとか言うかと思ったけど」
「透は日本で休ませる」
「え?」
言い切って、透の意思は確認しないままウィルが転移を発動させた。
瞬きの間に気付けば自宅の玄関先だ。
「やられたのか?」
男たちに受けた暴力については、はじまったばかりのタイミングでセイレンに助けられたため、ほぼ未遂といって差し支えない。
首を振って否定すると、そうか、とウィルが息を吐く。
「とりあえず着替えて部屋で待ってろ。終わったら、あとで迎えに来てやる」
事後処理には関わらせないつもりらしい。
話すことのできない透が渋々頷いたのを確認して、彼が再び転移していった。
ウィル、人間態のままでここに連れ帰ったのは、念話をシャットアウトするためだな。
あの世界に行くまでは、ウィルのことを過保護だと思ったことはなかったが、最近なんだか過剰な気がする。
もやもやする気持ちのまま浴室へ向かい、シャワーを浴びる。
『あの男にもやもやしたって仕方ないのではなくて?』
(わっ! セイレン……あの、一応俺男なんだけど……)
『今は女の子の体ですわよ? それも私がお貸ししている肉体ですわ』
入浴中にウィルと話すのは気にならなくても、セイレンの声はどう考えても女性の声である。
異性に裸を見られるのはまずいんじゃないか、という意識が働きかけたが、よく考えてみれば先ほどの暴力シーンもしっかり見られてしまっている。
今更といえば今更である。
『私が働きの対価にいただきたいのは、あなたの感情。今は、そうですわね。とびきり甘いものがいただきたいですわ』
(か、感情……?)
『あなたの心をもっとも揺さぶるのは、あの少年ですわね? イグニス……ウィルのことは放っておいて、あの少年のことを考えてくださらない?』
あの少年って、勝宏のことだろうか。
そんなことを言われても、今勝宏のことを考え出したら止まらなくなる気がする。
おそらく一度しか使えない嫉妬の種を失ったというのに、回収に向かうことなく勝宏をもてあそんだ男の真意。
勝宏の暴走。
種子の話題が上がってきた直後に「発芽の引き金」という発言。
一人で考えると、不安ばかり増長してしまいそうな要素が出揃っている。
『違う違う、そっちじゃありませんわ。あの男の子、好きな子がいるそうですわね? 意中のお相手は誰かしら?』
どつぼにはまりかけた思考を、セイレンがすくい上げてくれた。
転移直前に、詩絵里がそのようなことを話していた。
彼も十八なのだから、恋のひとつやふたつしていておかしくないだろう。
自分は未だに、初恋すら経験したことはないが。
幼い頃からコミュ障をこじらせて中卒で屋敷に一人暮らしという、言葉を使う文明人として最底辺な生活を送っている透に、恋愛などというコミュニケーション力必須の高度な行為ができるはずもないのである。
生活の資金から冒険で用いる魔法まで、悪魔たちとの契約前提で成り立つ透の現状は臓器を切り売りして暮らしているのと大差ない。
一方、金が無いならサバイバル、金があったら慈善活動……というのが容易に想像できる勝宏は実に生活力がある。
うっかり毒魚を食卓に持ち込んだこともあるけれど、まあ彼にとっては若干いたみかけの食材、程度の認識だろう。
あれが透なら間違いなく命を落とすが。
きっと、うまいとこ彼の手綱を握れるたくましい女性が伴侶になれば、これ以上ない幸せな家庭が築けるはずだ。
『ちーがーいーまーすー!』
勝宏の「好きな子」のことを考えろというので思考を巡らせていたが、セイレンの口には合わなかったらしい。
どうしろっていうんだ。
『うーん……あら? その指輪、つけたままお風呂ですの?』
こちらが困惑しているのを見て、セイレンが話題を変えた。
(あ、どうしよう、つけっぱなしだった。傷んじゃうかな)
『水濡れによる劣化は私が保護できますわ。そんなことよりも、それ、これからもつけたままあの男の子と旅を?』
慌てて外そうとした透を遮って、彼女が本題らしき話に移る。
これからも、勝宏と。
……婚約は破棄されるのだから、これで勝宏があの国にとどまる必要はなくなったことになる。
この不便な私語禁止女体化も、本来の体のメンテナンスが終われば戻ってくる。
そうすれば、皆との旅路は完全に元通りだ。
これからはウルティナにダンジョンを紹介してもらって、イベントの追い上げに移るのが決まっている。
魔物を相手にするだけの気楽な冒険は、少し楽しみでもある。
『本当に元通りになりますの? その指輪、つけたままではあの男の子に意識されてしまうのではなくて?』
そういうことか。
確かにこれは、女の裸を見てしまった勝宏が動転してプロポーズしてきた時のものだ。
女の体のまま彼の前でこれをつけていると勝宏の心の傷を抉りそうだし、かといって男の体に戻ってからこれをつけると彼を不快にさせてしまうかもしれない。
外すべきだろう。
失われるかもしれないと思っていた日常がせっかく戻ってくるのだから、彼との日常の代わりに身につけていようだなんて女々しい経緯は抹消してしまった方がいい。
『どうせなら、訊いてしまえば良いのですわ』
(なにを?)
『この指輪を外すべきかどうか。あちらの世界に戻ったら、直球で訊いてしまいましょう? 紙とペンはあるようですし』
自分にそんなことできるのか、と思ったが、筆談なら事前に手紙を用意して、その場で差し出して見せるだけだ。
普段言いにくいような内容でも、意外といけるかもしれない。
浴室から出て、いつもの服に着替える。
詩絵里に持たされている生理用品を、また詩絵里に持ち帰らされた新品のショーツにセットするという苦行に耐え切ったところで、ウィルの迎えが来た。
ウィルが傍にいる時は、セイレンはあまり話しかけてこない。
人間態ではないウィルが火の玉っぽくて、セイレンが人魚を自称していたことからすると、彼らは属性的に相性があまり良くないのだろう。
連れてこられたのは現場ではなく宿の一室だった。
ベッドに腰掛けて、ルイーザから提供されたメモ帳に受け答えで必要そうな文面を書き込んでいると、勝宏が入ってくる。
「透、着替えてきた?」
頷きをひとつ。
勝宏はこちらに近付いてきて、隣に腰を下ろそうとして……再び立ち上がった。
「ご、ごめん。嫌だよな、あんなことあってすぐ、男がベッドに来るの」
あんなこと。とは。
首をかしげて、彼が座ろうとしていた隣をぽんぽんと叩く。
「……お……お……おとこだと……おもわれて……ない……?」
なにやらもごもごと呟きながら、勝宏が大人しく隣に座りなおす。
自分のようなびっくり宝石人間改めびっくり性転換人間はともかく、勝宏が女の子に見えることはないので安心してほしい。
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