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この世界で生きているひと(2)

 詩絵里たちにも食事を届け、透は次いでカノンの自宅へ向かった。  転移で女性の部屋に直接入るわけにもいかないので、こちらは徒歩で訪問する。  透がすぐに屋敷へ通されるように、カノンは使用人たちにあらかじめ透のことを話してくれていたようである。 「透さん、いらっしゃーい」  ものの数分で、カノンが姿を見せた。  いくら使用人たちに話を通してくれていたにしても、この広い屋敷では応接室に向かうまでにも時間がかかるはず。  これは、近くで納品を待ってたかな。 「ど、どうも……あの、これを」  手荷物として持ってきたのは、攻略本と手作りのお菓子である。  先日のマリウス攻略の件でお菓子作りの材料が大量に余っていたのだ。  クッキーを皿ごと持って帰ってしまったくらいだから、きっと食べてもらえるだろう。 「攻略本ー! 助かったあ、スキルのお店にも売ってあったんだね」 「はい、えっと、ちょっとこの場で、転移していいですか」 「うん? あー紅茶まとめ買いしたやつとか一度に持ってこれないもんね。詩絵里に聞いたよお、スキルが便利な代わりにアイテムボックスが機能してないんだって? 大変だねー」 「そ、それじゃあ、一旦失礼します」  うっかりぼろが出そうになって、返事もそこそこに日本へ転移してしまった。  そうだった。  転生者は基本的に全員、アイテムボックスを持っているんだ。  この場で全品出せない方がおかしいのである。  詩絵里の用意の良さに感謝しつつ、自宅で鯖の味噌煮定食をトレイに乗せた。  白ご飯はこのタイミングでお茶碗によそう。  冷めきってしまう前にカノンに届け、それから紅茶を少しずつ持ち込めばいい。  再度転移でカノンの待つ応接室に戻る。 「ナイスうー! 待ってました! 実はお夕飯まだなんだよねーいっただっきまーす」  言って、カノンはさっそく箸を手に取った。  応接室で構わず食事を始める様子は、もう見た目の貴族令嬢らしさがすがすがしいほど軽く吹き飛んでいく光景だ。  続けて頼まれていた紅茶も持ち込む。  彼女が食事をしているテーブルに在庫を乗せるのも気が引けるので、紅茶の段ボールはまとめてテーブルの足元に重ねることにした。 「あ! しまった……」 「ど、どうかしましたか」 「いま全部食べてしまわないで、うちの料理長にこれ再現できないか聞けばよかった……」  何事かと思ったら、鯖の味噌煮の話だった。  独り身男のボッチ’sキッチン料理ひとつで、まるでこの世の終わりのような表情で打ちひしがれている。 「あの……レシピ書きましょうか」 「マ? それオマケ?」 「特にこれ以上、何かを要求する気はないです」 「ああー! 神ー!」  紙なら持ってます。  いつ女体化して喋れなくなるか分からないので、メモ帳とペンは常備している。  ちなみにこのメモ帳がメモとして使われることはほぼほぼない。  カノンが一膳を味わって完食している間に、材料と手順を図説付きで細かく数ページにわたって書き記す。  最後にページ番号を振り、切り取って彼女へ手渡した。 「ありがとー! こっちの食材でどうしようもなさそうなやつは定期的にお願いするね」 「はい」  専門職である料理長さんとやらにレシピを渡せば、透よりも完成度の高い味噌煮ができあがることだろう。 「ついでにあたしも覚えちゃおうかな。推しにあたしの愛のこもった手料理を……」  それもいいですね。  夢を広げている少女のことをほほえましく見ていると、彼女がふと定食のトレイを脇にずらした。 「そうだそうだ、ちゃんとあたしもエリクサー用意してきてるからね! はいこれ」  何もないところから、テーブルの上に数本の瓶が現れた。  アイテムボックスから取り出したのだろうが、詩絵里たちも使っているスキルだというのにこちらは未だに慣れない。  何かの液体が入っているようだが、これがエリクサーか。 「攻略本はホント助かったよ。愛の手料理よりも先に、さっさとこの乙女ゲーム終わらせないと落ち着いて推しを愛でらんないもんね」  買い物用のエコバッグにエリクサーを詰める透へ、カノンが改めて口にした。  このゲームを終わらせる。  カノンの話は、透にとって少し耳に痛い内容だ。 「あ、あの……」 「なにー透さん?」 「その……婚約者の、エドワードさん」 「セーブおじさんのこと? 何か聞きたいことでもあった?」  透が声をかけてしまったせいで、カノンが聞く姿勢に入った。  どうしていま、話しかけたんだろう。  明確に聞きたいことなんてなくて、ただ漠然と彼女が不安そうに見えないことに疑問を抱いただけだというのに。 「ゲームのキャラクター、なんですよね」 「まあふつーにそうなるよね。だって完全乙女ゲームの世界だもんこれ」  聞きたいことが漠然としていて、これを訊いてしまっていいのかが分からない。  中途半端なところで言葉を止めた透に、彼女がははあ、と目を光らせた。 「あれじゃね、ひょっとして恋愛相談的な? 透さんもどっかのゲームと混ざっちゃった系の転生者?」 「え、いえ……あの……」 「で、好きになっちゃまずい人を好きになっちゃったんだ?」  自分の不用意な発言でこちらの情報を渡すことになってしまうのでは、とたじろいだ透の反応で、彼女は色恋沙汰の話題だと確信したようだった。  結果的に彼女の推測は間違っていなかったりする。 「いいよお、好感度マイナスのとこから婚約者にまでのし上がったあたしがアドバイスしたげる」 「えっと、俺は、別に……でも、すごいですね」  好感度マイナスからのし上がるだなんて、自分には絶対にできない。  一度嫌われてしまったら、謝るだけ謝って目の前から逃げてしまうだろう。

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