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第1話
久しぶりに夢を見た。夢と言うより過去の記憶を。
抱き合って小さなベッドで眠っている。固い腕枕から伝わる体温が暖かくて眠りを誘う。あいつは俺の猫っ毛が好きだった。たがら俺が眠っている間、いつも大きな手で髪を撫でた。薄れていく意識の中で、その手の温もりを、指先から伝わる甘い刺激を、確かに感じていた。もっと触って欲しいと思う。ずっとこの幸せに包まれていたい。
そう願ったとき、何か強い力で逆さまに引っ張られた気がした。
「....先生?先生起きてください。もう12時回ってますよ。..まったく。毎日毎日遅くまで遊んでるからですよ。今回は男、女どっち?アジア人ですか?それともヨーロッパ人?」
頭の中に情報が一気に流れ込んできて、幸せな幻から一気に現実に引き戻される。
「....おはよ、松前くん。寝起きの人間に質問攻めはやめてくれ。...それと、昨日のはアラブ人の美青年だよ。」
「はぁ...。もう何人だろうが、美青年であろうが、美少女であろうがどうでもいいですけど。今日こそは依頼されてた猫探しやってもらいますからね。誰かさんが夜遊びばっかりしてるせいで、もう6件も依頼が溜まってるんですよ。」
そう言って松前はデスクの上に猫探しの資料を積み上げ始めた。黒、白、三毛猫。どいつもこいつも実にふてぶてしい顔をしてやがる。こんな畜生どもを探すのに十万でも二十万でも平気でだすやつの気持ちが俺には永遠に理解できない。まぁ、その猫様たちのお陰で毎日楽しく暮らしていけているわけがだ。
「ねぇ、松前くん。世の中にはどれくらい猫がいるのかな。」
「....さぁ、人間の数よりも多いんじゃないですか?繁殖能力めちゃくちゃ強いですし。」
「うん。全く僕もそう思うよ。僕らの仕事はその数億匹の猫ちゃんたちのなかからたった一匹を探しだすことだろ。それは新薬が開発される確率よりも、新しい星が発見される確率よりも低いんじゃないかな。」
「...まったく何を言い出すかと思えば。猫の行動範囲が全世界に及ぶわけないでしょう。いなくなった所から二キロ圏内を探すか、保健所に連絡かければ大抵見つかりますよ。」
「変わったなぁ、松前くん。前はそんなに視野の狭い子じゃなかったよ。僕ら探偵は猫をさがすにしてもだね、あらゆる可能性を排除してはいけないのだよ。そして解決にかかる費用、労力、様々なことに配慮しなくてはいけない。猫が船か飛行機に乗ってどこか遠い外国に行ってしまっていたら、僕ら弱小探偵事務所には探しようがないだろう?」
「言いたいことはわかってるんですからね。どうせまた似たような猫を保健所から引き取ってこいとか言うんでしょ。全く、探偵の風上にも置けない人なんだから。いくら容姿が抜群に綺麗だってね、もう少ししたら先生だっておじさんなんですからね。おじさんになったら中身がしっかりしてないと、誰も相手にしてくれなくなっちゃいますよ。」
「...おじさんって、僕はまだ32だよ..。」
可愛いげのない弟子を取ってしまったせいで、裏技がすっかり使えなくなってしまった。俺はしかたなくお猫様たちの捜索ポスター作りに取りかかった。そのころには夢の余韻など、すっかり消えてしまっていた。
この探偵事務所に来る依頼は大抵が浮気調査と猫探しだ。大手と比べてみても料金は多少高く設定してあるが、口コミやSNSでの評判は上々で、常に一定の依頼を得ている。
その青年は猛暑日の真っ昼間にやってきた。その日は午前の内に調子よく猫を2匹捕獲し、ラブホテルを張り込んで不倫の現場を無事に抑え、午後の予定が偶然にも空だった。うちの事務所は予約制を取っていたが、青年は飛び込みの客だった。
「昔の...昔の事件を調べ直して欲しいんです。」
青年は席に案内するや否や絞り出したような声でそう言った。色の白い、優しそうな、夏の似合わない青年だった。
「あの、人の紹介でここの探偵事務所のことを知って....それで長谷川さんがFBIで働いてたこととか、弁護士資格を持ってることとか、経歴を読んで...もしかしたら引き受けてもらえるんじゃないかって...」
「あの、失礼ですけど事件って,どのような事件なんでしょうか。」
松前がアイスコーヒーを差し出しながら青年に尋ねた。
「...昔、10年ほど前に...私の通っていた高校で放火があって...先生が1人亡くなったんです。その事件について調べ直して欲しくて..」
「...放火、ですか...。」
俺はその青年の話は少し妙だと思った。確かに10年ほど前、名門私立高校で火災があり高校教師が1人死亡するといった事件があった。しかし、青年の言うように「放火」ではなく、死亡した教員自身の煙草の火の不始末が原因の事故として当時報道されてたはずだ。
「あの、失礼ですけど、確かその件は事故として...」
「事故なんかじゃありません!!!」
松前の言葉に青年は強い口調で反意を唱えた。その瞬間、青年の瞳の中に強い怒りの感情が読み取れた。この人はきっと、長い間囚われているのだ。そして囚われている自身を嫌悪している。その感情を断ち切りたくてここへやって来たのだろう。俺にはこの人の気持ちがよくわかる。
「..私の弟子が失礼を申し上げました。...何か根拠をお持ちなのですね?絶対に事故ではないという根拠を。」
俺がそう聞くと青年はうつむいた顔を上げ、ぽつりぽつりと話始めた。
「先生は...黒崎先生は小児喘息だったんです。だから、煙草なんて吸うはずないんです。大人になっても気管支が弱いから、煙草は大嫌いだって、よく言ってました...。何度も警察にこのことを話したんです。でも...そんなの証拠にはならないって..きっと気が変わったんだって..全然取り合ってくれなくて...。 」
なるほど。この子の言わんとすることは分かる。だが、同時に警察がこの子の証言で動かない理由もよくわかった。小児喘息は大人なって症状が出る場合は殆どないし、普段煙草を吸わない人間が突然煙草を吸う確率が0と言うわけではない。現場検証の結果を第一に結論付けたのだろう。
「...それでも調べてくれた刑事さんもいたんです。でも、なにぶん前のことですから..どうしようもないって..それで、ここに依頼すればなにか手がかりが見つかるかも知れない、って言われて...」
佐久間のやつ、余計なことしやがって。俺は心の中で悪態をつきながらも、猫探しの数倍やりがいのありそうな事件の出現に興奮していた。
「わかりました。とりあえず調査をしてみましょう。」
そう言った瞬間、弟子の刺さるような視線を感じたが、俺の決意は固まっていた。
「ただし、依頼をお受けするにあたって、1つだけ条件があります。」
「...条件ですか?」
青年が不安そうに尋ねた。
「あなたと黒崎先生は一体どういった間柄だったのですか?この質問に正直に答えて欲しいんです。ただの教師と生徒という間柄で、先生のためにここまでするとは僕には思えない。」
普段ならこんな質問は絶対にしない。依頼人のプライベートなど微塵も興味はないし、金さえきちんと払ってくれれば結構だ。だか、その時は、青年の行動の理由を何故だがどうしても知りたかった。
続く
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