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第1話

発端は、俺の伯母がペットロスになった事だった。 元々迷い犬を飼っていたのだが、旅行先でうっかり逃してしまいそのまま見つからず。伯母はすっかり憔悴してしまい、新しい友を迎えようということになった。俺は伯母のお供で、地域の動物保護センターへ行った。そこで何故か俺も一頭の犬と出会ってしまったんだ。 かなり大きい犬だった。グレーのツヤツヤとした短毛で、今まで見たことがないほど見事な犬だった。そいつは俺をジッと見ていた。諦めでもなく、憎しみでもなく、悲しみでもなく。気のせいではなく「俺だけ」を見ていた。檻を何往復かして、伯母が貰うコを決めた時、俺たちは檻を離れようとした。 (うおおおおぅ〜) 低く高く吼える声がした。直ぐにアイツだと分かった。俺は選ばれたのか。どうしてそう思ったのか。 その日からナイトは我が家の居候になった。ヒト一匹犬一匹。気楽な暮らし。祖父母の残した古い一軒家で、今時珍しく庭は広い。ナイトは異様に大きい犬だが、それなりに賢いようで、放し飼いにしていても、壁を飛び越えずに我が家の庭に収まっている。 俺は特に犬好きという訳ではなかったが、あまりにもナイトが人懐こいため、今ではご近所に愛犬家として知られるようになった。犬友達もできた。 (またか) 門のポストを開けると、無記名の真っ赤な封筒があった。最近毎日届いている。開けると、爪とか髪とか入っていて気持ちが悪いから、最近は開けない。それがついに、実害になった。 (わあっ!) 気がつくと俺は線路にいた。いてて、ホームで人が叫んでいる。 電車がホールに入ってきた。 その瞬間、視界がモノクロのスローモーションに見えた、と言うことは俺はもうダメなのか。 不意にギュッと体が締め付けられた。 勢いよくホームの下の暗闇が近づく。滑り込んだ瞬間、ビリビリと可聴域を越えた衝撃が耳を襲った。 (は、、、、、、) 冷たい汗が首を伝う。全身を何か温かいものに包まれている安心感。 (いっかいひお) キンキンと響く耳鳴りの中、耳元で確かな吐息を感じた。 なに?なんていってる? 、、、ああ、そうだ。 【しっかりしろ】 うん。 そこから俺は記憶が途切れ途切れでよくわからない。意識はあったはずなのに。駅員がホームへ降りてきて、ホームへ引き上げられた。どうやら俺は、抱きしめられ、線路からホーム下へ飛び込んだらしい。助けてくれた男は、全身グレーの服で、俺の体がすっぽり収まるくらいの大男だった。 俺が彼を見上げると、男は俺を見た。 (知ってる。俺はコイツを知ってる) だがそれが誰かは思い出せなかった。 結局、俺は会社を遅刻した。残業して帰宅すると、のっそりと犬が庭からやってきた。 (ナイト、ただいま) よっこいしょ、といった感じで犬が立ち上がり、俺の両肩に前足を乗せる。 余裕で俺よりデカイ。そして俺を見下ろして顔を舐めた。 でもコイツは犬らしくない。 (普通はさー、 ご主人様が帰宅したら ワンの人吠えでもして、 嬉しそうに顔をベロベロ舐めながら、 尻尾とかブンブン振るだろ? だけどアイツはそうじゃなくって 俺のこと静かに舐めんだよ) (へぇ、やけるね) (え?) (ハハハ) Tが笑った。彼は犬友達で、近所の高校生だ。時々公園のベンチで話したりする。といっても、数年前に飼い犬は死んでしまい、愛犬家がいると思わず声をかけてしまうのだそうな。 その後も俺の通勤は散々で、会社に着くとジャケットがスッパリ切られていたり、カバンが切られていたり。いつか我が身も切られるのではないかと、心中穏やかでない。 (おい) 電車を降りる時、後ろで低い声がした。振り向くと、女が灰色の大男に腕を掴まれている。女は眼鏡の奥から細い目で男をにらんでいる。 (こい) ズルズルと引きずられていく女。手に大ぶりのカッターを握っているのが目に入った。 まさか。 俺は後を追った。 大男は女を共用の公衆トイレに引きずっていくと、静かに戸を閉めた。 声をかけるべきかどうすべきか決めかねていると、しばらくして男が出てきた。俺の方をじっと見るといった。 (はなひはちけた) ん?あ、【話はつけた】かな? (あ、ありがとうございます。 あの、この間、 線路に落ちた時も 助けてくれましたよね? 遅くなりましたが、その節は、 本当にお世話になりました) 男はふっと微笑んだ。 今日も男は全身灰色だった。髪の色も服も、よく見ると目の色まで灰色だった。 (またな) その日以降、しばらくは電車での切り裂きも、赤い封筒も届かった。 ある日帰宅すると、犬がいない。 (あれ、どうしたのかな) そのまま家に入ろうとすると、何か違和感を感じた。なんだろう? 玄関扉の隙間から、鍵が開いているのが見えた。 恐る恐る開けてみる。 カチャリ。 静かに扉を閉めた。居間のカーテンが揺れている。俺は訳もわからず、ふらふらとカーテンへ近寄り、開けてみる。窓が割れている。俺はそっと窓に触れた。 ふと横を見ると、床に破れた紙が散らばっている。 (えっ?これはもしかして、、) 2階はどうなってるんだろう? 俺は階段を上った。ぎし、ぎし、階段がしなる。 (あ、) 声がした方を向くと、階段の上にTが立っていた。 (え、あの、なんで、君がいる、、) 俺は最後まで言えなかった。Tの顔は普段と違い、何か嫌な笑い方をしている。あれ、コイツ高校生だよな。今日はなんでこんなに老けて見えるの。 薄ら笑いを浮かべたままのTが片手をあげる。その手には大ぶりのナイフ。 (なんで、どうしてまたこうなる?) Tが静かに階段を下りてくる。 一段、もう一段。 そして俺の目の前に来ると、静かに手を後ろに引いた。 (刺される!) 声が出ない。 (×××××!) 誰かが低い声で俺の名を叫んだ。 (ゔをををを) 背後から低いうなり声がしたと思った瞬間、背中に強い衝撃を受けた。 ふっと体が浮いた。 俺は再び全身に強い衝撃を受けた。 、、、、、、、、、、、、、ぅうう。 (いっかりしを) 顔を舐められる。唇を舐められる。 そっと目を開けると、灰色の目が俺をじっと見つめていた。 (う、、、) 体が痛い。俺は階段を落ちたのか? 階段へ向けた視線を戻すと、顔のすぐ横に大きな犬の顔があった。 (ナイト、、、) あぁ、ナイトの目も灰色なんだった、、、、、、、、、、、、、、、。 Tは高校生なんかじゃなかった。制服を着て学生のふりをしながら、愛犬家と親しくなり、家を狙う空き巣だった。制服に騙されていたが、十代なんかでもなかった。 Tは今現在手配中だが、その行方はようとして知れない。幸運にも、俺の家は盗難の被害には合わず、たまたま犯人と鉢合わせし、犯人は逃走した。との事だった。 そんな事件が過ぎ、またうちのポストにはわけのわからない封筒が届いたり、夜道をつけられたり。ほんと、どうにかして欲しいよ。まあまたそのつど、あの灰色の大男に助けられるんだけど。それももう珍しくなくなった。 ナイトとは相変わらずのんびり暮らしている。 とりあえず、 今のところ毎日が平和だ。 あいつは全く気づいていない。 オレは犬じゃない。この星の生き物でもない。ただ、食い物のたくさんある場所へ行き、そこへ来たあいつと出会っただけだ。 あいつをみた途端、オレはあいつの匂いを感じ取った。これはきっと旨い肉だ。 オレがあいつを見ると、あいつもオレをみた。 もっとオレを見ろ。そしてオレを連れて帰れ。オレのそばでオレを見ろ。 オレは人に擬態し、あいつを追った。すると面白いことに気がついた。 あいつに惹かれるのはオレだけじゃなかった。幾人ものニンゲンが、あいつに欲望を持ち、我が物にしようとしているのだ。 オレにとって、あいつはエサをおびき寄せる格好のワナだ。オレはあいつに欲望を持つニンゲンを見つけては喰らっている。エサには困らない。 オレはあいつを見つめる。 あいつもオレを見つめる。 今夜も冷える。 オレはあいつに寄り添いながら、 あいつの匂いを嗅ぎながら眠る。 あいつは無防備な寝顔で、すやすやと寝息を立てて眠る。 こいつはオレだけのものだ。 (おしまい)

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